嘘まみれのシンデレラストーリー2
その日の夜。いつものごとく、屋敷の広い食堂でレイティーシアはオルスロットと二人で夕食を摂っていた。
オルスロットは忙しいと言いつつも、毎日夕食は二人で摂れるように帰宅しているのだ。非常に律義である。その代わり、朝はかなり早くに出ているらしい。また、夜も遅くまで屋敷の書斎で仕事をしている様子だ。
ちなみに、なぜオルスロットの日々の行動について断定ではなく憶測なのかというと、なんてことではない。レイティーシアとオルスロットの寝室が別々だから、詳細はよく分からないのだ。
本当に、なぜ強引に一月あまりで結婚したのか分からない。勿論、熱烈に求められても困るのではあるが。
ちらりとオルスロットを見遣れば、大量の肉料理をかなりのスピートで食べ進めている。さすがは騎士様。食事量が半端ない。
おまけに猛然と肉を平らげているのに、その所作はむしろ優雅に見え、操るナイフとフォークは一切音を立てていない。さすがは貴公子。
「どうかしましたか?」
「っ、あ、いえ。その……」
マジマジと見ていたため視線が気になったようだ。オルスロットが食事の手を一旦止めて、問いかける。しかし、さすがに食事の様子に感心していた、なんて言いにくい。
顔の半分を長めの前髪と分厚いレンズの眼鏡で隠しているためあまりバレていないと信じながら、きょときょとと視線を泳がせる。
そして結局、ここの所気になっていたいくつかの疑問のうち、比較的聞きやすい疑問を投げかけることにする。
「いつも本当にお忙しいようなのに、なぜ結婚を急がれたのかと疑問でして……」
その問いを聞いたオルスロットは、一瞬薄氷のような蒼い瞳を細める。しかし直ぐに、小さく首を傾げたレイティーシアへ、申し訳なさそうな表情を向ける。
「無理に王都までお連れしたのに、構うことも出来ずに申し訳ない」
「いえ。私は構いません」
慌てて首を振るレイティーシアにゆったりと微笑み、オルスロットは手にしたままだったナイフとフォークを置く。
「確かに、結婚まで無理なスケジュールでした。でも、今ならばまだ比較的時間が取れたので」
「こんなにお忙しいのに?」
「はい。新年祭が終わり、春の異動の準備期間の今は、まだ休みが取りやすいのです」
「ああ、騎士団も異動は春なんですね。お役人だけではないのですね」
「ええ。異動となると、別の任地まで動く必要がありますからね。何かと春の方が都合がいいのです」
「そうですか。……でも、それなら、結婚も春過ぎの方が良かったのでは?」
「いえ、異動の後は夏の御前試合の準備に追われるので。その後では、半年以上先になってしまいますので、無理をお願いしてしまいました」
小さく笑うオルスロットに、レイティーシアはさらに首を傾げる。
「……? 別に、婚約後半年以上間が空くのもおかしくありませんわ」
「そうですね。でも、遠隔地に居る婚約者では心許ないですから」
「……?」
レイティーシアは婚約者が側に居ないからといって、他の人間とどうこうなり得る人間ではない。そんな器量も甲斐性もない。
それに、レイティーシアがオルスロットに対してそういった心配をするか、というとそれもあり得ない。
そもそも、レイティーシアはオルスロットのことをあまり知らないのだ。その段階で嫉妬を抱くほどの独占欲など、持ち合わせていない。
何を言いたいのか全くもって理解ができない。
悶々と考え込んでいたレイティーシアは、オルスロットが氷のような視線で観察していたことには気づかなかった。
「それよりも、レイティーシア。何か不便などはないですか?」
「あ、はい。皆様、とても親切で助かります」
そうなのだ。この屋敷に勤めている使用人たちは、皆非常に親切なのだ。不気味なほどに。
このお屋敷の女主人としての振る舞いを求められると思っていたのに、皆ひたすら甘やかしてくれる。今までチェンザーバイアット領に引き籠り、研究に没頭していたレイティーシアとしては非常に助かるが、普通ではない。
これもまた、この結婚の不思議なところだった。
「……あ、そうです。旦那様にご相談したいことがありました」
「相談ですか?」
「はい。あの、たくさんの招待状を頂いたのですが、私は社交界にほとんど出ていないので、面識のある方も居なくて。旦那様のお付き合いもありますし、行くべきものがあれば教えていただきたくて」
「そうですか……」
軽く目を伏せたオルスロットは、少し考え込む。
「今は忙しい時期ですから、俺もエスコートなど出来ませんし……。そうですね、王族の方が主催の催し以外は断ってしまって構いません」
「王族……。では、ウィンザーノット公爵令嬢主催のお茶会だけ、参加しますわ」
様々な招待状が来ていたが、幸い王族――王家、および公爵家主催の催しは一つだけだった。ほっと一安心するレイティーシアだったが、オルスロットは苦い表情をしていた。
「ウィンザーノット公爵令嬢、ですか……」
「どうかしましたか?」
「いえ、あの方は典型的な王都の貴族です。気を付けてください」
「う……はい」
典型的な王都の貴族。つまり、格式やらしきたり、名誉などを非常に重んじる人間、ということだ。おまけに総じてプライドがとても高い。正直、レイティーシアが一番苦手とする部類だ。
一気に気が重くなり、せっかくの夕食も砂利を食べている気分になってしまった。
§ § § § §
「それでマリア。報告したいことって何かしら?」
夕食後、部屋に戻るなりマリアヘレナから報告があると耳打ちされたのだ。レイティーシア付きとして配されている他の侍女達を下がらせた後、問いかける。
「はい。このお屋敷の使用人たちですが、やっぱり旦那様から特別に指示を受けているようです」
「なんて?」
「レイティーシア様については、好きなことをさせるように。あと、奥方としての役割は振らなくていい、とのことです」
「そう……」
強引に結婚した割には、屋敷の女主人としての役割も、体も何も求めるでもなく、放置。利益を求めているようではない。
かといって、愛されている感じでもない。オルスロットは優しいが、それだけなのだ。
本当に、何をしたいのだろうか。
「その指示の真意は分かるかしら?」
「そこまで知っている人は居ないようでした」
「そう……旦那様に直接聞くしかないかしら」
顔を覆う眼鏡を弄りながらレイティーシアはしばらく考え込む。そして一つ小さく頷くと、マリアヘレナを伴い部屋を出る。
向かう先は、書斎だ。
こんな時間に押しかけるのは褒められたことではない。しかしレイティーシアは、分からないことは早急に、そして徹底的に解明したい性質なのだ。
明日に先延ばしにする、という選択肢はない。
そして書斎を訪ねると、予想通りオルスロットはそこに居た。
「どうしたのです、このような時間に」
「お仕事をされているところ、申し訳ありません。どうしても、早く旦那様に教えて頂きたいことができましたので」
「……? 何でしょうか」
薄氷のような蒼の瞳を細めて問うオルスロットに、レイティーシアは息を詰める。微かに、オルスロットの纏う空気の温度が下がっている。
さすがは騎士団の副団長を務める騎士だ。たったそれだけの変化なのだが、威圧感が半端ない。
しかしここで折れてしまっては先に進まない。
ぐっ、と唇を噛んで顔を上げ、オルスロットを見据える。さらり、と長い前髪が顔の脇へ僅かに流れた。
「私と結婚した目的は、何でしょうか。耳触りのいい理由ではなく、本当のことを教えて頂きたいです」
瞳は分厚いレンズで隠れてはいるが、決して譲るつもりはないというレイティーシアの意思は感じ取ったらしい。オルスロットは一つ息を吐き、眉間にしわを寄せた。
「……大人しく温かな嘘に包まれていれば良いものを」
そしていつもと異なり、凍てついた視線をレイティーシアへ向けるのだった。