嘘まみれのシンデレラストーリー1
「レイティーシア・チェンザーバイアット嬢。お迎えに上がりました」
そんな言葉と共に跪いて手を差し伸べる男性に、レイティーシアはやっぱり戸惑いを隠せない。
ひたすら農地が広がるド田舎のチェンザーバイアット伯爵領には似つかわしくない、立派で豪華な馬車を背後に従えた男性は、黒髪の騎士様。しかも、王都で数多くのご令嬢がたがその妻の座を狙って争っていると言われている、有名で人気の方だ。
いつまでも手を取らないレイティーシアを不審に思ったその男性は、レイティーシアを見上げて首を傾げた。そして整った顔立ちの中で薄氷のような印象を与える切れ長の蒼い瞳を緩ませ、レイティーシアを安心させるように微笑む。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもございません」
そっと息を吐いて覚悟を決め、男性――オルスロットの手を取る。
「では、参りましょう」
立ち上がったオルスロットは、レイティーシアを馬車へと導く。
騎士としては細身ながらもしっかり鍛え上げられた長躯を黒い騎士服に包み、非常に風格のある彼。
一方レイティーシアの貧相な身体を包むのは、流行なんて遥か彼方へ放り投げた、ゆったりとしたシルエットのドレス。ひっつめにした鈍色の髪の毛と、顔の大部分を覆う長い前髪と大きな眼鏡が相まって、非常に野暮ったい。
レイティーシアにとって、明らかに遠い彼方の存在であるオルスロット。
しかし、彼は今日からレイティーシアの夫になる。
しかも政略結婚ではなく、オルスロットがレイティーシアを熱心に望んだ末の結婚。たった一月前に偶然出会い、強引ともいえる程早急に手続きが進められ、あっという間に結婚である。
本当に理解が出来ない、不思議な出来事だ。
これで、レイティーシアが絶世の美女ならばまだ分かるのだ。でも、レイティーシアはただの野暮ったい女。しかも、22歳という貴族令嬢としては明らかな行き遅れである。
一方のオルスロットは容姿端麗であり、27歳という若さでこのテルべカナン王国の第二騎士団副団長という要職に就いている。しかもランドルフォード侯爵家の次男。
次男なので家は継げないが、血筋の良さは折り紙つきであり、侯爵家の後ろ盾が付いてくる。
つまり、とんでもない優良物件なのだ。
それがなぜ、レイティーシアを選んだのか。
レイティーシアの表立っては公表していないが、隠している訳でもない才能を取り込むためかとも思うが、今日までオルスロットはそういった話題を欠片も匂わせていないから違う様な気がする。
全くもって理由が分からず、悶々と考え込んでいるうちに、ゆっくりと馬車は走り出していた。
向かうは王都、オルスロットの邸宅だ。
§ § § § §
ド田舎のチェンザーバイアット伯爵領から王都までの、ゆっくりとした一週間強の旅は何事もなく平穏に終わった。
そして王都に着いてからも、春前で多忙のオルスロットと余り派手なことをしたくないレイティーシアの利害の一致で、結婚証書の提出だけであっさりと済ませてしまった。
しかし、あっさりしている本人たちとは異なり、王都に暮らす人々はこの話題で非常に盛り上がっているようだった。
結婚証書を提出して一週間ほどしたある日。宛がわれた私室で、唯一チェンザーバイアット伯爵家から連れて来た侍女――マリアヘレナに紅茶を淹れてもらっていた時だった。レイティーシアは初めてソレを知る。
「私が希代のシンデレラ……?」
「ええ。レイティーシア様が王都に来る前から、結構この話題で盛り上がっているらしいですよ」
そう言いながらマリアヘレナが差し出すのは、いくつかの週刊紙や絵物語だ。
週刊紙には大きく、レイティーシアとオルスロットの結婚に関する記事が載っている。そして、有ること無いこと、というより無いこと無いことが書いてある。
また絵物語の方は、二人の出会いから結婚までをモチーフにしているらしい。全くもって真実とは別の物語になっていたが。
しかしとりあえず、どちらにしても言えることは、レイティーシアを希代のシンデレラとして扱い、この結婚は非常に夢のようなものとされている。
確かに、この結婚は傍から見たら夢のような事態かもしれない。
いつまでも女性との噂の無い、王都で有名な人気の男性。彼が社交界の華のような高名な姫君ではなく、名も知れない女を見初めてあっという間に結婚したのだ。
しかもレイティーシアが社交界に全く出ていなかったおかげで、いつの間にか貧乏な苦労人設定になっていた。ついでに、絶世の美女設定も付いていた。
とても夢がある。
「皆さまの娯楽になるのは構わないけれど、でもコレは困ったわ……」
「そうですね……」
二人でため息を吐きながら視線を遣るのは、美しい封書の数々。噂の真相を確かめたい貴族達から送られてきた、様々な催し物の招待状だ。
「嫌だわ。デビュタント以来、一切社交界とは関わって無かったのに」
「デビュタントなんて、もう10年も前ですね」
「ええ。家ではお茶会なんてものもやらなかったし……」
深々とため息を吐き、大きな眼鏡に触れる。確実に、レイティーシアを見れば貴族達は失望するだろう。噂のシンデレラなんて存在しないのだ。
それに、オルスロットとレイティーシアの出会いは全くロマンチックなものではない。
たまたま王都に用事があって出向いていたレイティーシアがすっ転んだところ、郊外での演習帰りだったオルスロットの馬に轢かれそうになったのだ。危うく大惨事になるところだった。
慣れない人混みでボーっとしていたレイティーシアが悪いのだが、謝罪のためと名を聞かれ、その後あっという間に結婚までなぜか話が進んだのだ。
このスピード感は確かにロマンがあるかもしれない。しかし正直、結婚の理由が分からない当人としては不気味さの方が気になる。
「はぁ……。出来れば今までみたいに研究に没頭したいわ。折角良い素材が手に入りそうなのに……!」
「レイティーシア様、現実逃避しても招待状は無くならないですよ」
マリアヘレナの琥珀色の瞳で呆れた様に見つめられ、嫌々ながらも招待状の取り扱いを考える。
「…………とりあえずこの招待状については、旦那様に相談するわ」
「そうですね。それがいいでしょうね。色々利害関係とか有るでしょうし」
マリアヘレナの同意を貰ったレイティーシアは、深々とため息を吐く。その顔は、鈍色の髪の毛と相まって、非常に辛気臭いものになっていた。