銘柄コード1003
「ガコーン、ドシン、痛っ!」
深夜2時、安らかに眠る人々の邪魔をする不快な音が響き渡った。少し考えれば誰にでもわかることだが、スチール製の物干し竿に、不摂生な成人男性をぶらさげる耐久力があるはずもなかったのだ。外に出ることもなく、運動不足な彼の体重は一年前の62kgから83kgまで増加していた。床に転げ落ち、スチールの棒に頭を殴られて痛みに悶え苦しんでいると、両親が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。
「あんた、何やってんの!」
パチーンという気持ちの良い高音が彼の頬から発せられた。引きこもって以来、殴られたのはこれが初めてであった。それは、肉体の痛みを一瞬忘れかけてしまうほどの衝撃を彼の脳内に与えた。暗い気分に取り憑かれ、思考停止していた脳が切り替わり、目が覚めた。
「いや、その、あのぅ…」
まごまごしている間に、母親は机の上にあった遺書を発見する。鬼の形相から彼女の表情は、悲しみへと変化していった。
「こんなことをさせるために産んだんじゃないわよ。ほんともうあんたって子は」
母は泣いていた。涙を堪え切れない様子であった。普段から寡黙な父親は何も言わなかったが、母と同じく涙を堪えている様子であった。しかし、決して涙を見せることは無く、父はさめざめと泣く母親を優しく介抱した。彼は、情けなかった。父は54歳、母は48歳であった。職人である父は体が動く限り働き続けるのかもしれないが、世間で言う定年まで後数年であった。小さな工務店に勤めているだけであり、多くの年金は望めない。年金の仕組みなど彼は知るよしもなかったが、両親の老後は彼が支えなければならないことを漠然と認識してはいた。けれども、現状において彼は支えられる側であり、このままでは今後も支える側に回ることができなかった。
彼も泣いた。声をあげて泣く様は、小さな子供のようであった。何一つ変化のない世界に絶望して、とっくに涙も枯れていた男が久々に感情を昂らせた。泣きながら、なんとかしなければいけないと思った。自殺は失敗したのだ。この惨状を見て、もう一度死ぬ気にはなれなかった。
「とにかく夜も遅いからもう寝ろ」
しばらくしてから父はそれだけ言って、母を連れて部屋を出た。未だに泣き止んではいなかったが、その指示に従い、ベッドに入って枕に顔を押し付ける。そうして、泣き疲れて眠るまで、涙で枕を濡らし続けていったのだった。