銘柄コード1001
彼は至極平凡な男だった。幼少期から他人と比べて特筆するような何かをした記憶は自らにもなかったし、彼の両親にもなかった。生まれは埼玉県であり、母親が専業主婦で、父親が大工という家庭で育った。そんな一般的な家庭でお受験などに縁があるはずもなく、地元の公立小中学校に通学したのは自然な成り行きと言えよう。成績はすべての科目で中の下といったところで、高校は公立の商業高校に進学した。特に何かがやりたかったというわけでもなく、生徒指導で担任の先生から告げられた「これからの時代は何か資格を持っていたほうがいいぞ」というアドバイスに則して、簿記の資格が取れそうな商業高校を選んだのだ。
高校でも何かやる気があったわけではない。少々根暗な高校生にありがちなアニメやエロゲにハマった。アニメイトでアニメ雑誌を買いあさり、お気に入りのキャラのグッズは欠かさず予約した。コンビニでのアルバイト代やわずかなお小遣いはすべてそこに注ぎ込まれ、それに浸ることは彼の生涯で最も幸福な期間であったかもしれない。友達は決して多い方ではなかったが、気が合うアニメヲタク数人と常につるみ、毎日一緒にたわいもないことを話しながら帰宅した。
商業高校だったこともあり彼は進学を考えてはいなかった。勉強は好きではなかったし、早くお金を稼ぎたいと思っていた。家庭は決して裕福とは言えず、これといった目的もない息子を進学させる余裕はない。高校卒業後は社会に出て自立してもらいたいと考えていた。本人も実家に数万円を入れて残りを趣味に使うことができるし、自分にはそうすることが最善のように思っていた。社会人になれば自由になり、車を持って彼女もできるのではないか。夢は膨らんでいくばかりであった。
結局、地元の中小企業の事務員として採用された。実家から自転車で10分程の場所にある、ネジを作ったり旋盤で簡単な金属加工を施す会社である。商業高校で日商簿記2級の資格を取得していたことと、それまでの母校からの採用実績がものを言った。
仕事は実にくだらないものであった。次々と渡される伝票をパソコンに打ち込み処理していくだけ。彼はまさにそれだけの機械であった。しかし、決して優秀な機械とは呼べなかった。数字を一日に一度は打ち間違え、間違いを発見した上司に毎日毎日叱責された。就職して数ヶ月経ってもその状況は改善しない。
「いつになったらできるようになるんだ!お前なんて給料泥棒だ!無能なんだから早く辞めちまえ!」
彼は毎日上司に怒られて、頭がおかしくなってきた。判断能力が低下して伝票の打ち間違えはさらに増えた。とうとう彼は上司にこう告げられる。
「もう何もしなくていいよ」
会社に彼の居場所はなかった。その日はデスクでぼーっと過ごした。放心状態となった彼はまさに廃人のようで、天井を見つめる目の焦点はあっていなかった。けれども、会社の同僚の社員などは誰も彼のことを気にもとめなかった。身長163.5cmで眉毛は太く目は一重、イケメンどころかどちらかと言えばブサイクな彼に興味がある女の子はいなかった。そこに、彼を心配する者は誰一人としていなかったのだ。
次の日、彼は会社を無断で休んだ。会社から電話がかかってきたが怖くて出られなかった。そして、そのままなし崩し的に懲戒解雇となってしまう。手許に残ったのは4ヶ月間なんとか働いてもらった給料を貯金した12万円だけだった。失ったものは少なくない。彼はうつ病となり精神病院に通うこととなった。労災を申請するということを彼は知らず、両親も知らなかったため彼はお金を受け取ることすらできなかった。