銘柄コード1011
売買単位1000株の山火電気の最低投資金額は7000円だった。彼がすべてをこの銘柄に注げば、17000株買い付けることができる。もしも、この株が100円まで値上がりすれば、170万円という大金を手にすることができるのだ。他の株が数百円や数千円で取引されているのを見ると、この銘柄がそうなっても全くおかしくないように思えた。
株価が二桁になっているものは散見されるが、一桁になっているものはほとんどなかった。彼は自らのフィーリングを信じることにした。彼の見立てでは、勘こそが株で最も重要とされるものだと考えていたのだ。山火電気が、100円になり1000円になることが、次第に彼の中では確定事項へとなっていった。善は急げと彼は、7円で買い付け注文を出して就寝した。明日が楽しみであった。
朝6時に起きて、ラジオ体操を終えると、彼はノートパソコンに株のトレードツールをダウンロードした。インターネットでの株取引においては、専用ソフトを使用するのが一般的であり、各証券会社はそれぞれ使いやすいトレードツールを基本的に無料で配信している。ツールによって証券会社を選択する人もいるため、各社はそれぞれ特色を出しており、定期的に内容を微調整したり、大幅改定したりと開発競争も熾烈である。昨日、SBS証券のWEB上でツールの広告を目にしていた彼は、早速ダウンロードして、山火電気の値動きをチェックしようと考えたのだ。
ダウンロードしたスーパーSBSを立ち上げログインする。十数秒の読み込みの後、ソフトが起動し彼の資産やマーケットの基本的な情報を示す画面が表示された。上部のバーには、チャートやマーケット情報といったいろいろなボタンが用意されており、新しいパズルを手に入れたようであった。それらをいじって使い方を覚えていくことがとても楽しかった。未知の用語や数字やグラフが眼前に広がっていたのだ。
「ふみおー、ごはんよー」との母の呼びかけに「うん、今行くー」と答えた。
それでも、ツールいじりが辞められず、一心不乱にいろいろな銘柄のチャートやランキングなどを眺めた。内容がよくわからないにもかかわらず、マーケットニュースも何本も読んだ。あっという間に15分は過ぎる。しびれを切らした母が、とうとう部屋にまで呼びに来て、やっと食卓へと足を向けた。
朝食のごはんと味噌汁をかきこむと、そそくさと自室へ戻る。時刻は8時を回り、スクリーンには寄り付き前の注文が表示されていた。寄り付きとは、午前9時にマーケットが開いて最初の取引のことで、9時までに発注された売り注文(売り板)と買い注文(買い板)によって板寄せが行われる。個人投資家のツールでは株価情報に、価格と数量の情報を持つ買い板と売り板が八本ずつ表示されているが、その数量と価格の板同士が一致する様を、板寄せと呼ぶのだ。
山火電気の寄り付き前注文は、売り板が7円、買い板が6円であった。このまま推移すれば彼の注文は7円で約定(取引成立のこと)する。次第に注文の数量は増え始める。彼は、それをじっと見つめていた。オープニングベル10秒前になると、7円の買い板は53万4千株、6円の買い板は87万5千株に膨らんでいた。成行の買いは4万3千株、成行の売りは2万1千株である。成行注文とは値段を指定しない注文で、売買が早く確実に行われる注文である。従って、価格と数量を指定して注文する指値より優先的に約定する。それならば、成行にしたほうが得に思えるかもしれないが、要は値段はどうでもいいからとにかく早く売らせろ買わせろという注文である。使い方を誤ると、驚くほどの安値で売ることになったり、高値で買わされたりするはめになることもあり、デメリットも大きいのである。
9、8、7…と彼は机上の青い目覚まし電波時計を見ながら、心の中でカウントした。目まぐるしく売り板と買い板の数量は変化し、その度に画面がピコピコと点滅した。点滅はカウントを重ねるごとに激しくなる。3、2、1…
「約定ありがとうございます」
甲高い男性の声が約定を告げる。彼は、投資家としての第一歩を踏み出したのだった。




