銘柄コード1009
母親は、SBS証券の封筒を我が家のポストに見てびっくりした。身に覚えがなく、詐欺か住所を間違えて配送してきたかのどちらかとしか思えなかった。しかし、宛名を見ると新垣文雄とあった。彼女の息子の名前だ。
「あんた、株なんて始めるの?」
文雄の部屋で封筒を彼に手渡しながら、彼女は言った。彼は、うんと頷くだけであった。母は「借金だけはしないようにやりなさいよ」とだけ言った。彼の母親は、先日のいいともの富豪とバブルで大損した人のイメージくらいしか、株に持っていなかった。具体的な知識は何もなく、危険そうだから近づかないのが一番だという認識である。ただ、抜け殻だった息子が何かを始めようとするのが、少しだけ嬉しかった。これが何かのきっかけになってくれたらいいと思ったのだ。その対象が株であることに不満はあるものの、何かを一生懸命になって始めるのは彼にとって前進であるように思え、そのいい流れを崩したくなかった。
母は書類提出に保険証が必要だからと、彼に出してくれるように頼まれるとすぐさま用意したし、ポストに投函するように頼まれたSBS証券の封筒も快く引き受けた。
一週間後の昼、SBS証券から口座開設が完了した旨の手紙が届き、口座番号とログインパスワードが記載された書類が同封されていた。その吉報を心待ちにしていた彼は、急いでその口座にログインし、取引開始に必要な契約の同意などの事務手続きをろくに読みもせず、あっという間に済ませた。残りは、虎の子の12万円をSBS銀行に入金し、そこから証券口座へ入金するだけである。部屋を飛び出し、夕飯を買いにでかける母にまた入金をお願いした。一時間ほどで、全てを終え帰宅した母に礼を言い、ウキウキしながらその日の夕飯のカレーを母と一緒に作った。
夕飯を食べ終えると、早速パソコンの前に向かい、SBS銀行の口座から証券口座へ入金した。明日から任天堂の株主になれると思うと気持ちが昂ぶり、現物取引の買付注文画面で任天堂と検索し、任天堂の買付注文を出そうと試みた。指値で12000円で10株の買い注文を出す。
「売買単位が誤っております。単位株数をご確認ください」
警告文が表示され注文は受付けられなかった。何が起こったのかさっぱりわからず、とりあえず彼はもう一度同じことをしてみた。すると、全く同じ警告文が表示されるだけであった。売買単位というものを彼は知らなかった。
Googleで調べると売買単位というものは、銘柄(業界で使用される有価証券の名称、つまり株のこと)によって違うようだった。1株単位で注文を受ける銘柄はむしろ少数で、100株単位や1000株単位で売買を受け付ける銘柄がメジャーであった。10株や50株という単位で注文を受け付ける銘柄もある。ちなみに、今日の東京証券取引所では100株単位を推奨しており、多くの銘柄は100株単位に移行しつつある。
任天堂はというと、100株単位であった。つまり、任天堂の株が欲しければ、最低120万円用意しなければならなかったのだ。彼が、10倍の期間働かなければ貯められないお金であった。彼は、出鼻を挫かれ絶望を感じたと同時に、自らが株に対して全く無知であることを痛感した。彼は無計画なタイプであった。高校時代に、大阪の修学旅行でろくに計画を立てずに出発し、現地で道に迷って、ウロウロして無駄な時間を過ごした挙句、関東にも進出しているチェーン店のお好み焼き屋に入ったのを思い出した。




