第3話 破門の意味
時刻は10月14日の午後7時30分を回っていた。
彼女の所属する大学の大学病院で一ヶ月前、世界初の試みがなされた。
彼女の名前は相生佳奈子。40歳。
年の割には綺麗な肌と若い顔付きで研究室内では今だに紅一点として輝いている。
「……あの子達の容態は変化ありませんか?」
「ありませんね。……まったく貴方は素晴らしい研究をした」
白衣を着た、医学の先生はカルテを置き絶賛する。
「まさか、移植して一度も拒絶反応を起こさずに脳細胞を再生させるなんて」
「恐縮です。……ただまあ、拒絶反応は無いにしてもDcs分離反応を起こす方は稀ですが体質的にいるのではないかと予測していたんですよ」
「分離……ですか」
医学の専門とは言え、Dcs細胞の……それもその研究グループくらいでしか使われてない専門単語は解らないらしい。
「ええ、Dcs細胞が環境に耐え切れず、特質的なその細胞の性質を放棄して、一般的な細胞に馴染もうとするケースが……実験では10000人に1人いるかいないかといった確率で懸念されていたんです。……脳への移植と聞いたのでもしかしたら……と」
Dcs細胞の売りの一つは体細胞が死滅して行く度に細胞分裂し補うという永続的活性化にあるのだが、Dcs細胞が分離した場合その特異性を失い一体細胞としてしか機能しなくなってしまうのだ。
それでは意味がない。
「なるほど……。でもまあ、杞憂でしたね。二人とも実に理想的に回復を見せてますよ……。ただ……」
医者は困り果てたように眉間にシワをよせる。
「ただ……?」
「その患者は両親が自殺していて、引き取り先が決まっていないんですよ。まだ幼いのにこれから、どうなるのかと」
老た医者には子供を引き取る体力はないし、そう簡単に子供を引き取るなんていう者は現れないだろう。
「……ああ、なら。心配はいりませんよ!」
「……え?」
「……引き取り先が見つからないなら、私が引き取りますよ」
同日同刻。……場所は都内のとあるオフィス。
上品な観葉植物が飾られ、普段なら優雅な広いオフィスだったのだろう。
ただ今は違う。
恐持ての黒服達が何十人と血を流して倒れ込み、ゴミ山を形成していた。
辺りには銃やナイフなどが乱雑に放置されている。
「……ばっ……化け物!!」
そう言って尻餅を付く一人の男がもっていたのは、銃だった。
しかも銃口からはわずかに煙がなびき、薬莢の臭いがする。
ほぼ一人で興賢組員32名を倒した、化け物と言われ恐れられていた男……勅使河原影虎は肩に銃弾が被弾しても顔色一つ変えず、腰の抜けた男の首根っこを片手で持ち上げる。
「残りの組員はどこだァ?……10秒以内に答えろ……さもないと、お前の頭ァぶち抜くぜ?」
そう言ってもう片方の手で拳をつくる。
「…………お……お、まえら……!……興賢組にこんなことして……」
「10ゥ」
「た……ただですむと……」
「ゼロォォォ!!」
「えっ!?ちょとま……ッ!!」
バゴォオオオオオオ!!!
とおよそ人の肉と肉とで奏でられるような音ではない爆音がオフィスの中に響き渡る
殴られた男は天井に上半身が貫通し刺さったまま落ちて来なかった。
「若はおっかねェな〜」
龍谷もまた、その人のゴミ山の前に達死体同然の興賢組員のケータイを物色していた。
「……本気じゃねェ、本気だったら頭ぶっとんでるさ」
そう言って腕時計で時間を確認する。
「……肩ぁ大丈夫ですかい?包帯ありますよ」
「あぁ……問題ねェ。それより他の組員達の場所は解ったか?」
「華原商会倉庫ってかいてありますねぇ」
幹部のモノだったのだろう、龍谷が物色したスマフォのアプリケーション“メモ”の中の予定欄辺りににそう書いてあるのを見つけた。
「……行くぞ」
「……なぁ……イオ……聞いてる?」
「……う、うん……」
せっかく宿題を教えてやってるのに、呆けていられては、シュウも気分が良くない。
「じゃあ、それ以上溶質を溶かせない状態の水溶液をなんていう?」
「………………いっぱいいっぱい?」
「イオの頭がいっぱいいっぱいなのは良く解った。……答えは飽和水溶液な?」
「……そ、そうだった……ど忘れしてたっ。あはは……」
「お前さぁ……お前の為にやってるんだから、ちゃんと聞いてくれよ……」
呆れ顔ついでにシュウは身体を伸ばす。
確かに頭は良くないが、どうやらイオこと相生愛は学習内容で頭が飽和しているわけじゃないらしい。
……何か気掛かりで、集中できてない感じ。
「あのメールのこと、気にしてるの?」
シュウとイオは、シュウのスマフォに送られてきたメールに添付されていたリンクをふんで変なアプリケーションをインストールしたあと、スマフォを投げ捨てて本来の目的である宿題をしていた。
「……ちょっとね。……思ったんだけど。……もしかしたらだけど、あの文字列……暗号とかになってないよね?」
「暗号……?……それってまさか……」
「そう。弥生さんが良く出してくれた暗号ゲームみたいな」
藤崎弥生。シュウの母であり、イオの第二の母のような存在だった。
「母さんの暗号って……、確かに“文字化け”は元々は文だった訳だし、規則性が解れば解読できるかもだけど…………。……そうか……解読か……」
実際盲点だった。
ただあの文を訳したらどうなるのかなんて、それこそ知ったところでどうなるわけでもないだろう。
そして母、弥生の暗号クイズに良く挑戦していたシュウとイオだが、難易度はさほどたかくない。
例えば
『1.11.11111.11.7.5』
という文字列の解読や
『2=0 4=0 8=2 16=1 32=0 64=1 128=2 256=1 512=0 1012=1 2028=?』
『O T T F F S S ? …』
『I+I=F I+V=J I+X=? V-I=A X-I=S X-V=M I=J V=M X=?』
などの規則性に気づいて?を探し出すものなど、多種多様。
ではあったが……流石に本格的な暗号解読なんて難解なクイズはなかった。
『ユーフォーサーザメール♪♪』
「っ!!……なんだこの受信音!?」
身に覚えのないメールが届いたことをシュウのスマフォが伝える。
開いて見てみると先のアプリが差出人不明のメールを受信していた。
「……また、“文字化け”……か……」
父からのメールよりも随分短い。が、ちゃんと“文字化け”していた。
「……やって……見るか?」
「うんっ!やろう!」
解読がそう簡単に上手く行くとは思わなかったが……それでもあの文字化けにシュウが感じた違和感をつかむために二人は、まず差出人不明の文字化けメールの解読に取り掛かった。
辺りは暗くなり、けれど都内は人工の明かりで照らされ、それをひどく冷たく無機質に影虎は感じていた。
首都高に入ると、影虎と龍谷を乗せた車の中にはタイヤとアスファルトの摩擦音と回転音が一定のテンポで鳴り響くだけになった。
「……若。……今回はなんでそんなに焦っているんです?」
「敬語、やめてくれ……。最近お前よそよそしいんだよ」
運転席から鏡越しに龍谷は後部席の影虎の顔色を伺っていた。
そういう下手にでるような態度は影虎はあまり好きではない。
するのもされるのも、だ。
「…………俺はさぁ、親父がああ言うのを理解できねェわけじゃないんだよ。ああいう“賢さ”も“強さ”だって解ってたからな」
「ああ言う?」
「組を守る為に戦わないって良く言うだろ。……あれだよ。
だがな、組のモンがやられて家族までやられてよ……やり返さねェってのは組を守る為じゃねェ。……自分を守る為だ。今の親父はただの卑しい臆病者だ。」
影虎達の世界では基本的にその世界の中での人間で抗争する。それ以外の、その世界と何の関係もない人間を巻き込むのはご法度。
そんな法度はないが仁義として、礼儀として、道徳として、何より人間として暗黙に了解されていた事項なのだ。
「……なるほどね」
「関係ない家族も殺された吾代が、復讐を望んでねェわけねェ!!俺だけでも……あいつの為に闘ってやる」
拳を握りまぶたを閉じる。
吾代という組員は影虎の兄貴分で、そして組内で最も年が近く、よく下らないことで笑いあった中だった。
花札、麻雀等のゲームも、女との遊び方も、説教の切り抜け方も、喧嘩も、……多くが吾代から習った物だった。
「……だがな、若。……あんた一つ間違ってる。……大間違いだ」
「……なに?」
「組長は臆病者なんかじゃねぇですよ。……臆病者が、敵地に単身乗り込むって聞かない息子を黙って送りだしてやれねぇよ」
「はん。……破門を盾に言うこと聞かせようとしたじゃねェか」
「……わからねぇですか?…………その破門は、気兼ねなくぶっとばして……そんで、生きて帰ってこいっつうメッセージだってことが」
破門とは組から追い出すということだ。
実際肉親でも破門すれば組との関わりはなくなる。
だが親子の関わりを無くすことはできない。
勅使河原組の者として影虎が敵対勢力を叩けば、その復讐は組全体にふりかかる。
だが、組を破門された二人でならそうはならない。
「ケッ……そんな聖人みたいな解釈はできねェな。……自分の身を守るためじゃねェか、あの腰抜けジジイ」
身内を気にせず全力で勝ってこい。
というメッセージに受け取ることもできるが、影虎はそうは思わない。
少し驚いた風だったが、またさっきと同じように窓の外を眺めはじめた。
「……ただまあ……、生きて帰ってやるよ。……あの腰抜けジジイに一発浴びせてやらねェと死んでも死にきれねェからな」
ただ、そう言う影虎の目は少し優しく、暖かい物をみるようだった。
それを見て龍谷は安心したように溜息をつき車を加速させた。