第1話 科学の年
10月14日金曜日。2016年ももうあと数ヶ月で終わるという今日この頃だ。
何だか最近は真新しい科学の進歩がないと一般大衆は思うようになってきたこの頃だが、今でも科学の進歩は着実に訪れている。
ただ“科学の年”と呼ばれる2000年を経験した一般大衆は科学の躍進の歩幅が些か小さくなったように感じるだけだ。
“科学の年”なんて現代の中学生が学ぶ現代社会では重要語句になっていたり、今では“高度経済成長期”くらいメジャーな単語になりつつあった。
そしてここ東京のド真ん中に佇む私立相良中学校でも勿論教えられていた単語だった。
「えぇ……と“科学の年”の時はおまえらが……何歳だ??……あれ、ちょうど生まれる前か!!あっはっは」
相良中学第二学年社会科担当兼学年主任である定年間近のおじちゃん先生こと大槻宗雄はおどけたように笑う。
「それでな“科学の年”で最も偉大な二つの発明があるんだが……解るやついるか??」
「……先生ぇ……、その発明って私たちの身近にあるの〜?」
一人の女子生徒が良い質問をしてくれたようで、大槻は得意顔で
「身近にはないかなぁ……」
なんてヒントを出す。誰も答えられないと思っているんだろう。一つは言えたとしても、その年を経験していない若者がもう一つを解るはずがない。
平成20年以降生まれにポケベルの存在を問うようなモノだ。
「…………“Dcs細胞”と“CTシステム”」
「……っ!!!」
尋ねたくせに驚く大槻。
「い、今答えたの誰??」
なんて聞く始末だ。
“Dcs細胞”は知っていておかしいことじゃない。Dcs細胞はまだ稀だがテレビ報道で医療技術として導入されていることは知ることは出来る。
ただCTシステム自体はアインシュタインの理論を破綻させかねない驚天動地の大発明だったにも関わらず、それが日常で使われるようにはならなかったし、それを知ることも困難だったはずだ。
「さっきの……シュウ君です」
気の弱そうな女の子が、隣に居る“シュウ”と呼ばれた男の子の顔をチラチラ見ながらそう言った。
彼女の言う通り答えたのは、藤崎修弥という男子生徒だった。
目立つような生徒ではないし、成績も上の中くらい。スポーツも上の中くらい。
寧ろ目立たない生徒を本人も演じていたくらいだ。
「藤崎っ……お前良くしってたなあっ!!“Dcs細胞”は解るが“CTシステム”が出てくるとは思わなかったぞー」
気の弱そうな女の子が、余りにも大槻が藤崎を持ち上げるので申し訳なさそうに藤崎を見る。
藤崎も『気にしないで』というように優しく微笑み返すが、実際“大人”に目をつけられるのは良い意味でも悪い意味でもあんまり良い気がしなかった。
ただまあ、藤崎の中にも妥協する気持ちはあった。
「科学のそういうの……好きなんですよ」
と当たり障りのないことをなるべく愛想良く言って場を馴染ませた。
「じゃあ、この二つはノーベル賞を受賞してるんだが誰が発見したか知ってっか?」 つい欲がでた大槻は、自分が言うより生徒に言わせたほうが皆の覚えが良いからと藤崎に更に質問を迫る。
「相生佳奈子と………………藤崎……修作」
シュウは躊躇うように……そう言った。
「藤崎修作……??……相生佳奈子はDcs細胞の発見者であってるんだが……、CTシステムは桐野隆明って言う学者さんだぞ」
ここまで健闘してくれたシュウに大槻はこの間違いを笑うことはしなかった。
寧ろ良くモノをしっているんだな、と心内評価は上がった。
そんなこんなで授業を再開しようと大槻が黒板に向きなおると、シュウは手を挙げて言った。
「…………先生。……保健室、行ってきて……いいですか……?」
さっきの問い。CTシステムの開発者は誰かという問いは、本当はシュウの解が正しいのだ。
ただそれを知っている一般大衆は居ない。世間一般では桐野隆明の発明ということになっているのだ。
「……保健の先生、居ないみたいだね……。」
「いいよ。……サボるだけだから」
ぶっきらぼうに言って、保健室のソファに横たわるシュウ。
「……それにしても気にしすぎよ!……お父さんのことに託けてサボりたかっただけなんじゃないの??」
シュウの付き添いで来た保健委員、相生愛は幼なじみだからとばかりにシュウの尻を叩く。
「……そうだよ。サボりたいだけ……。顔も見たことない親父の名誉なんか、気にするわけないだろ」
親父……藤崎修作は偉大な科学者だった。そうシュウは聞かされていた。
ただその父はシュウの母にシュウを孕ませたあと、ある不名誉な事件で命を落とした。
だから一度としてシュウは生で父親の顔を見たことはなかったし、写真でさえ母が焼き払ってしまったから、母が死んだあとに出てきた家族二人の写真でしか見たことはなかった。
「……ふぅん。……じゃあイジケてるシュウの為に今晩はシチュー作ってあげるね」
「イジケてないし!……今日も佳奈子さん帰ってこないの?」
「……ママは研究が忙しいんでしょ。しらないわよ。もう」
同じマンションのお隣りさんどうしである相生愛と藤崎修弥は幼なじみという縁では足りないような、兄妹もしくは姉弟見たいな関係にあった。
このおかしな関係は学校ではある意味認められていて、一部では夫婦だとかのたまう奴もいる。
「……イオのほうがイジケてんじゃん」
「イジケてないよ!……呆れてるだけ!……ホントもう、科学なんて無ければ良かったのに……」
そう愚痴をこぼす相生を笑うシュウ。
「あはははっ!科学がなかったら、俺達は今でも槍もって動物を仕留めなきゃならないよ!」
「何よ!全然面白くないわよ!」
「いやあ、ごめんごめん。……でもさ、俺は親父がどんなことをして、何を思ったのか確かめて見たいんだよな」
「なにそれ!!まさかシュウも科学者になりたいの!?」
相生は飛び上がって、シュウに怒鳴りつける。
「だ、大体シュウの成績じゃ、逆立ちしても科学者に何かなれないわよ!」
「いやいやお前が言うな!お前よりは全然成績良いからな!」
シュウの成績は学年の中では上の中。多分全国平均でも上の下から上の中くらいの間だろう。
対してイオこと相生は成績は下の中くらい。微妙な言い回しだがこれが言い得て妙なのだ。
「と・に・か・く!!シュウは絶対科学者になんかなっちゃ駄目なんだから!!……げほっ……ゲホっ……!!」
「お、おいおい!!大丈夫か??お前まだ病み上がりなんだから、そんな大声だしちゃだめだろ!」
「けほっ……けほっ……わ、……もう病み上がりじゃないもん……ちょっと噎せただけ……げほっ……げほっ」
背中を摩りながら、元から喘息を患っていたが更に酷くなってしまったイオの喉をいたわる。
「……おいおい。これじゃどっちが保健委員だかわからないよ」
なんて皮肉をいいながらも、嫌な顔ひとつせず背中を摩ってやるシュウとイオの間にはやはり家族の絆が見て取れた。
そんな事をしながらも保健室では時間が過ぎて行き、6時間目終了の鐘が鳴った。