一話
この物語はフィクションです。
真っ暗闇の中、誰かの声が聞こえような気がした。
その声に導かれるようにして俺は目覚めた。
目覚めたと思ったのだが、目を開けようとしても何故か閉じたままで、目の前は真っ暗闇なまま。
ならば、手を動かしてみようとしたのだが、これも思い通りに出来なかった。
足、頭、口、身体、色々と試してみたが、何一つと思い通りに出来ず無駄に終る。
(夢なのだろうか?)
そんなことを考え始めた所で、スライド式のドアが開く音を聞く。
慌ただしい足音を響かせ、誰かが近付いて来るのが分かった。
スライド式ドアの音がしたのを不思議に思いつつ、母さんが寝坊しそうな俺を起こしに来たのだと思った。
俺の身体を揺さぶりつつ、母さんが名前を呼ぶ。
「尋、起きなさい。早くしないと遅刻するわよ」
これでやっと目覚めることが出来る、と思ったのだが先程と同じで思い通りに動くことは出来なかった。
そのまま暫くすると、母さんの声が段々と震えていくのを感じる。
学校に遅刻する程度で泣くなんて大袈裟過ぎる、と思ったのだが、母さんの次の一言で混乱してしまう。
「尋、尋、どうして貴方が事故にあって、こんな酷いことに……」
(事故だって? 俺が?
そんな記憶は……)
記憶を探っていく内に思い出した。
思い出した、というよりは気付いたのだ、学校を出た後からの記憶が無いことに。
多分、事故の所為でその時の記憶が無くなっているのだ。
事故で身体が自由に動かすことが出来ないよりも、これから先も寝たきりのままで、家族の負担になってしまうことが悲しかった。
そんなことを考えている内に、母さんではない誰かの声が聞こえた。
何と言っているのか、はっきりと分からないのを酷くもどかしい気持ちで聞いていると、真っ暗闇の中に薄緑色の光が差し込み始める。
光が差した途端、先程までと違い、声がはっきりと聞こえた。
『私の声が聞こえますか?』
聞こえたと思っていたが、エコーの掛かった声が頭の中に直接響いている感覚だった。
不思議な感覚に戸惑っていると、また同じ言葉が頭の中に響く。
このままだと、ずっと同じ言葉を聞くことなるかも知れないと思い、不安に感じつつも、声に答えることにした。
「ちゃんと聞こえてる」
『良かった。このまま同じ問い掛けをずっと続けなければならないのかと……』
どうやら思った通りだったみたいだ。
何か返事をしようとする前に次の言葉が響く。
『現状を理解していますか?』
「事故にあって身体を自由に動かせない、ってことなら分かる」
『そうですか。簡潔に説明しましょうか?』
その言葉に直ぐさま頷く。
けど、身体が動かないのを忘れていたので、伝わったか不安だったが杞憂に終わった。
『学校帰りに事故、病院に運ばれ治療するも植物人間に、事故から三日後の病院のベットの上です』
本当に簡潔だった所為か、あまり驚きはしなかった。
けど、これで身体が自由に動かない理由と今居る場所は分かった。
しかし、この不思議な状況については何も分からない。
「質問があるんだけど、良い?」
『えぇ。どうぞ』
「もしかして、お迎えに来たのか?
植物人間と会話出来るような人物は神様ぐらいなものだろ?」
神様を人物と言って良いのか分からないが、それしか思い付かなかった。
『お迎えでは無いですが、私は神様の使いみたいな者ですね』
(お迎えじゃないのか?
なら、一体何だ?)
今まで普通に会話していたが、急に寒気がした。
そもそも、本当のことを言っているのか、自分自身では判断出来ないのが怖かった。
『どうやら、不安にさせてしまったみたいですね。
では、事故の追体験と今居る病室の様子を見せましょうか?』
(どうする? このまま何も答えず、帰るのを待つ?
それとも……)
そのまま一、二分程悩み、決意した。
「見せてくれ。ただ、事故は追体験じゃなく映像にしてくれないか?」
追体験だと痛みとか、色々感じそうだったので遠慮したい。
『では、事故の映像を見せますね』
その言葉とともに、俺の意識は次第にフェードアウトしていった。
映像を見て一番始めに感じたのは、一人で歩いている姿が少し猫背気味だったから、今度から気を付けようだった。
しかし、学校から出て来る自分を見ているのは、何というか違和感が凄かった。
そのまま学校の門を潜り、同じ学校の生徒達に混じりつつ、駅前通りの商店街に向かって歩いて行く。
赤信号から青信号に変わり、横断歩道を進んだ時、それが起こる。
甲高いブレーキ音を響かせトラックが突っ込んで来た。
俺は驚いた顔をしつつ走り出すが、慌てた所為か足が縺れて、コケそうになっていた。
そのまま体勢を持ち直せず、突っ込んで来たトラックと衝突する。
トラックは衝突した衝撃か何かで横転し、俺は五メートル程の距離を転がり、頭から血を流して倒れていた。
『事故の映像はこれでお終い、次は病室の様子です』
その声が響き、また俺の意識は次第にフェードアウトしていった。
まず視界に入ったのは、包帯が巻かれた自分の顔だった。
顔から段々と離れていき、病室の全体が見えるようになった。
病室は個室らしく、白いベットは一つだけで、点滴が左横、右横には心電図モニタがあった。
左横の点滴からは伸びたチューブ、右横の心電図モニタからは何本ものケーブルが、ベットの中へ入っているのが見える。
多分、チューブは左腕に針が刺さって、点滴の中の液体を身体へ送り、ケーブルの先の電極は身体に繋がっている筈だ。
そんなことを考えつつ、母さんが病室の中に居ないのに気付く。
その時、花瓶を抱えた母さんが病室に入って来た。
花瓶の水でも取り替えたのか、花を入れ替えたのだろう。
母さんは窶れてはいなかったが、眼は充血していて、化粧で隠してはいるようだが、それでも分かってしまう隈を作っていた。
母さんの姿を見ていると胸が痛む。
もう良い、と言おうと思った途端、意識がフェードアウトしていった。
『どうでしたか?
信じて頂けました?』
事故の映像と病室の様子を見せて貰った俺は、力無く頷く。
「あぁ。神様の使いだと信じるよ」
『では先の問いに答えますね』
「問い?」
『お迎えなのか? ということに関してです』
映像とかの所為で、すっかり忘れていた。
『貴方が植物人間から元通りになれるチャンスを持って来ました』
理解出来ず、おうむ返しに聞く。
「チャンス?」
『えぇ、チャンスです。どうしますか?』
混乱していたが、先を促すことにした。
「もっと詳しく教えてくれ」
『この街の伝承と言えば分かりますか?』
「願いが叶う虹色の流れ星……
まさか、真実なのか!?」
『真実です。選ばれし者だけが願いを叶えることが出来ます。
ただ、試練に合格しなければなりません』
やはり、簡単には願いを叶えたり出来ないらしい。
けど、植物人間から元通りになれるなら、やってみる価値はありそうだ。
「その試練に挑戦させてくれ」
『後悔しませんか?』
その問い掛けは、まるで後悔することが確実に起きるみたいな言い方だった。
けど、何もしないで後悔するより、行動して後悔する方が、良いと思った。
「後悔しない。例え、後悔したとしても大丈夫だ」
『良い返事です
では、貴方の名前を教えて下さい』
身体はやはり動かなかったが、深呼吸して一息入れたつもりになって、はっきりと伝えた。
「尋、柳 尋だ」
『では、尋、貴方に幸運があらんことを』
その声とともに、また俺の意識は次第にフェードアウトしていった。
こうして俺の戦いは始まった。