自由気ままなイケオジ殿下は生涯一度の恋をする
1.
*****
大好きな紙巻きたばこを荒れた唇にくわえると、マッチを使ってその先端に火を灯した。
紫煙をうっとうしそうにする若者の姿が、眼前にある。
「兄上、ですから今日日、紙巻きの煙草など――」
「いいだろう? 好きなんだから。ヒトに言われてやめられるものではないよ」
姓は「アンダーテイカー」、ゆえに決定的に、ウチの家系は不吉なんだ。
二人、安い酒場でのこと、カーク・アンダーテイカー第一皇子はオデュッセウス・アンダーテイカー第二皇子と顔を突き合わせていた。
皇族が安価な店で何をという話だが、だからこそ、我が帝国は安全なのだという気持ちを新たにする。
「だからなぁ、オデュッセウス」まだ長い煙草を金物の灰皿に押しつけ、ビールを一口すすってから、カークはそう話しかけた。「親父殿が退くと決めた以上、次を継ぐのはおまえが適任なんだよ、もっと言えば望ましいんだ。経歴に適性、加えて才能っていう観点から考えても、絶対におまえがふさわしいんだよ」
「ですが私は二番目の皇子です。候補としては二番目にすぎないんです。そして、お言葉ではありますが、けっして親父殿ではありません。唯一無二、この皇国における絶対的な皇帝です、で・す・か・ら、そうお呼びすべきです」
「かたっくるしいなぁ、おまえは、ほんとうに。釘を刺すところが特に暑苦しい。そんなきらいがあるから女の一人もできないんだぞ」
「兄上はノリが軽すぎます」
「そのへんはさておき、まあ、しかしだなぁ――」
「おっしゃりたいことはわかります。理解するのも困難ではありません。我が国はほんとうに平和です。だからこうして、皇族のくせに場末の飲み屋で酒をあおることができる」
それはしつこいくらいにわかっている。
また煙草に火をつけた。
癖みたいなものなので、一連の動作はスムーズかつ堂に入ったものなのだろう。
遠巻きに女性陣が集まっているのがわかる。
いずれも持っているのは色紙だろう、かなりの数であることからして誰かが知らせ、ゆえに集まってきたのだろう。
無論、目当ては美男のオデュッセウスに違いない。
無精ひげにすら白いものが混じりつつある四十絡みのカークが目的であるはずがない。
「俺はだな、オデュッセウス、正直、正直、誰が執政してもいいくらいすばらしい国だと思ってる。だが、そのすばらしさをさらに昇華にまで導けるのはおまえしかいないとも考えている。どうかうまいことやってくれ。ほんとうに、おまえにならそれができるに違いないんだから」
するとオデュッセウスはまぶたを閉じ、それから前にかくんと首をもたげ、「あなたは何もわかっていない」とか嘆くように言った。
「兄上、結局のところは――というかそもそも論、あなたは皇族の筆頭のくせに皇族のトップには立ちたくないというだけでしょう?」
そんなこと、もはや言われずとも。
煙草の煙をぷかりと吐きだす。
何かに縛られる人生は嫌だ、好ましくない。
皇族にあっては言ってはいけない言葉なのかもしれないが、雲のように生きたい身からすれば、皇帝になるだなんて固辞したいに違いなかった。
「くどいようだが皇帝はおまえがやれ。おまえなら難なくこなせるし、気の利いたこともそつなくできるはずだ。コツを掴むのが誰より早い」
「で・す・か・ら、そもそも論、そういうことではないんですよ」
まったく、オデュッセウスは釘を刺すのと「そもそも論」が大好きだな。
自分が訴えたいことを連続的かつ深みのある言葉でもって伝えたいのはわかるのだが。
「兄上、ともあれまずは皇帝陛下を訪ねてみませんか? あの方の本音を耳にすれば、あなたの気だって変わるかもしれない」
皇帝陛下にあの方。
たかが親父のことをそんなふうに言わないといけない状況――環境が馬鹿馬鹿しいと、カークは心底、思うわけだ。
「しかしだ、親父殿はずいぶんともうろくしてるって話じゃないか」
「それは噂にすぎません、全然しゃんとしていらっしゃいます。そして『親父殿』ではありません。『皇帝陛下』です」
わかったわかったと諦観じみた吐息を漏らすしかない。
堅苦しい限りである。
でもそのへんのオデュッセウスの律義さを、じつはカーク、とても気に入っている。
オデュッセウスがビールジョッキをおもむろに掲げた。
「我が兄には真面目かつ真剣であっていただきたい。じつのところ、ほんとうに誰より優れた人物なのだから」
オデュッセウスの生真面目さゆえの物言いだとわかっているものだから、カークは文句を言ったりはしない。
「陛下は日に何十人もとお会いになっています」
「トップダウンで捻じ込もうっていうのか?」
「まさか。きちんと待ち行列に並んだうえで、面会します」
「いつくらいになる?」
「十日もすれば、恐らくは」
断る理由が皆無なので、カークはオデュッセウスのジョッキにジョッキをぶつけた。
お互いに、けっこう勢いよく、ぐびぐび飲んだ。
ぐびぐび飲んだあと――。
「いいですよ! 来てください!!」と、オデュッセウスが大きな声を出した。
途端、遠巻きの女性陣が揃って「きゃぁっ」と声を上げ、駆けだすようにしてテーブルに近づいてきた。
順番の列をなして――ホント、アイドルみたいだな――オデュッセウスに色紙を手渡し、サインを求めるのだ。
オデュッセウスが皇帝をやればいいのにと本気で考える。
国民からの支持、期待は絶対的だし、くだんの弟君を悪く言うやつなんて、男女問わず、いようはずがない。
わざわざ立ち上がって、一人一人のサインの要望に応え、挙句、握手にまで応じる。
ほんとうに、ここまでフレンドリーで庶民派の皇族がどこにいる?
いっぽうの第一皇子殿はからっぽにすべく、大いにジョッキを傾ける。
ぷはぁと息を吐いて、それから次を頼もうとしたときのことだった。
隣に女性が立ったのだ。
色紙を抱いている。
不思議に思って、カークは「何か?」と三角定規みたいにきちっとした質問をした。
「あ、あのっ、サインをいただきたいです、あとできれば握手も……ダメですか?」
学生とまでは言わないのだが、二十代に乗ったばかりであろうくらいの若い女性だった。
くわえ煙草に戻ったカークはいささか不思議に思い、左方にこてんと顔を傾けた。
「サインって、俺の?」
「そうです。カークさまの、その、サインが欲しくて……ダメですか?」
二度目の「……ダメですか?」を主張されると、その威力からは逃れられないというものだ。
カークは椅子から腰を上げて――くわえ煙草のまま――それからその若い女性の色紙について、自身が胸に常備している万年筆でさらさらとサインを記した。
まったくもって「サイン」などというミーハーに違いない対応ができること自体が軽々しいのかもしれないが、需要と供給の問題だ、署名の練習くらいはするし、あるいはそうすることがカッコ悪くても、ひらに許してもらいたいのである。
「ほい、なんか、ありがとうな」
カークは気さくにそんなふうに応えた。
若い女性は色紙をあらためて胸に抱いた。
「うふふっ、宝物です、宝物になりました」
「それは良かった」
「くわえ煙草のお姿、ほんとうに素敵ですっ」
「ありがとうな、ほんとうに」
――なんて応えつつも、自らにそのような価値はないのになと思う、とことん自虐的に。
そもそもカーク・アンダーテイカーとはそういう人物なのだから。
「気の早い話なのかもですけれど、次の皇帝陛下はカークさまがいいと思います……」若い女性が頬を染めながら言った。
「それはない、それはない。優秀な弟がいるから、そいつに任せようと思うんだ」
「支持率が高ければよいのでしょうか? 実務がしっかりできるとよいのでしょうか?」
カークは目をぱちくりさせ。
「お嬢さん、というと?」
「ごめんなさい。でもいっそう、生意気な口を利きますね?」
「いいさ、まるでかまわない」
「私の周りの女のコは確かにオデュッセウス殿下を推す声ばかりです。でも、ヒトを統べるって、人気があるだけではダメなんだと思うんです」
「お嬢さん、だから我が弟は人気だけの存在じゃあない。頭の良さだけではなく、フィジカルも強い。皇帝にふさわしいとしか言いようがない」
それでも私はカークさまを推します。
そう言うなり、若い女性は、もう恥ずかしがる様子もなく、にっこりと笑んで――。
彼女を含めた女性陣はそのうちはけて、そしたら、オデュッセウスが話しかけてきた。
「私のファンは少なくない。が、兄上を支持する女性もいる。そもそも論、そういうことなんですよ」
「おまえがそもそも論が好きなのはわかったし、おまえが言いたいこともわかるといえばわかる」
「兄上の支持者のほうが熱心で真剣だと言っています」
「だから、その言い分が無礼だというんだ」
わかってはいるんですよ。
そう言うなり、苦笑を顔に貼り付けたオデュッセウス。
「生まれ持った才というものがあります」
「いまさらおまえとその才とやらでやりあおうとなどとは思わない」
「しかし、ええ、違いますか? あなたが私より劣っていると? そんなはずがない。国民はみな、それがわかっている」
「時におまえは、馬鹿ばかりを抜かすようだな、オデュッセウス」
「経験則ですか?」
「違う、おまえが好きな言葉を用いると、そもそも論、そうだという話だ」
またビールジョッキをぶつけあう。
「ほんとうに、私は皇帝の器ではないんですよ」
とほほとでも言わんばかりに、また首を前にもたげたオデュッセウス――。
たははとテキトーに笑い、カークはまた一つ、宙に煙の輪を描いた。
2.
*****
二週間が経過したところで、親父殿こと皇帝陛下との面会が叶った。
赤絨毯、そう高さのない三つだけの階段の上の玉座に堂々と、皇帝陛下は腰掛けている。
威厳さには文句のつけようがなく、男としても尊敬できるのは間違いない。
が、髪にはずいぶんと白いものが交じるようになった。
生物としてのニンゲンの衰えを、そこに見る。
「皇帝陛下、お久しゅうございます」恭しく、オデュッセウスが言った。
カークとオデュッセウスは絨毯の上で片膝をついている。
「オデュッセウスよ、しゃちほこばった口を利いてくれるな。無論、カークもだぞ」
「そうもいきません。陛下の前での無礼など」
「だからオデュッセウス、わしはだなぁ――」
「親父殿、煙草を吸ってもよろしいか?」
「兄上っ」
そう咎められたところで、吸いたい気持ちが萎えるわけもない。
だからといって、さすがに火をつけるのはやめておいた次第だが。
ホッホッホ。
この日初めて、皇帝陛下は愉快に笑ったのではないか、ハトみたいな人畜無害な発声だった――。
「親父殿、そろそろ退位したいという噂はほんとうなのか?」
ムッとしたようにオデュッセウスが、「皇帝陛下です」とまた釘を刺してきた。
「いや、いいんだ」なんだか目をらんらんと輝かせた皇帝陛下。「ほんとうに気さくに接してくれ。息子や娘に礼儀を強いるのは、父としては寂しいことなのだよ」
だったらまあいいだろう?
そうあるべきことは明らかながらも、やっぱりオデュッセウスは難しい顔――。
「ようやく話ができる。さあ、どっちだ? どちらが皇帝の位を継いでくれるのかね?」
「言わずもがな、俺はオデュッセウスを推します」
「言・わ・ず・も・がな、私はカーク兄さまを推挙します」
ややあってから、三者が三様に、「はぁ……」と明らかな吐息を漏らした。
「仲良くやってくれれば私はそれでいい。そもそも論、おまえたち二人を比べる必要がないのだ」
また「そもそも論」か。
よくわからないな「そもそも論。そこに合理性はあるのか?
「おまえたちで話し合って答えを出してもらえればそれでよいのだ。おまえたちは自慢の子だ。誰が玉座についてもいっそう、国を豊かにしてくれるに違いないのだ」
協議のテーブルにつくくらいはしてやろうと思う。
というか、きっちりしっかり、話し合わなければならない。
オデュッセウスはおろか、カークだって、自らが皇帝にふさわしいとは考えていないのだから。
皇帝の地位を継ぐのと国民の幸せを担保するのは同義と表現するしかない。
だからこそ、私情を挟むことは大いに間違いなのだ。
とはいえ、間違いだとわかっていてもだなぁ……。
カーク自身、煮え切らないのが悪いクセだとはわかっているのだ。
いよいよ煙草を吸いたくなったので、カークは早々に皇居を辞去した。
もはや後ろからオデュッセウスが追いかけてくるようなこともなく……彼は呆れているのだろう――。
3.
*****
カークは城内の私室に第一皇女であるミリアリアを呼びつけた。
呼びつけた――というのはいささか失礼かもしれない。
お願いして来ていただいたというのが、きっと正しい。
カークの狭い部屋に座るところはロッキングチェアかベッドの端しかない。
どっちがいいかと訊ねたところ、「では、こちらに」と答え、ミリアリアはベッドの端に腰を下ろした。
「相変わらず、煙草の匂いが絶えませんね」
「おまえが嫌だと言うのなら改めるのかもしれないな、ミリアリア皇女殿下」
「やめてください。私には何も、兄上に勝る部分がない」
「女だという時点で秀でている」
「この時代、そのような物言いは歓迎されませんよ?」
わかっているさ。
言ってから、カークは新しい煙草に火をつけた。
「で、兄上、折り入っての話というのは?」
ミリアリアは皇位継承権の三番目であり、年齢については二十代後半。
豊かな紫色の髪、凛々しい顔立ち、豊満至極な肢体――そろそろどこかの嫁に行ってもいいだろうに――と、カークは常々、考えているわけだ。
まあそのへんは良しとして、早速「ミリアリア、おまえは皇帝になりたくないか?」と腹の内を切り出した。
すると、怪訝そうに、あるいは不快そうに眉を寄せた、ミリアリア。
「冗談――で、ございますね?」
「冗談ばかりの人生のように思うが、つまらない冗談は言わないと決めている」
「存じております。心得てもおります。それで、オデュッセウス兄さまは、なんと?」
「ミリアリアになら譲ってもいいという話だ。あの堅物にすら、おまえは買われているんだよ」
すると、ミリアリアは駄々っ子みたいに口を尖らせて。
「私ごときが抜擢されるなど。私は兄上のどちらかが指名されるべきだと考えます。でなければ、ほかのニンゲンの支持だって許可だって――」
ああ、そうだ。
皇帝陛下は名うての種馬で、あちこちで子を孕ませたものだから、きょうだいはたくさんいて、いざ皇帝にとでもいう話になれば、その連中の合意まで取りつける必要があるというわけだ。
「俺が知る限り、おまえとオデュッセウスは特別だよ。おまえたちしか候補はいない」
「それは違います。兄上こそ、皇帝の器です」
だからそれは違うんだよ。
カーク・アンダーテイカーはそんなに大したニンゲンじゃあないんだ。
ぷかりと煙を浮かべてから、カークはそれなりに切実に、その旨、伝えたつもりだ。
「私は遠慮させていただきます。オデュッセウス兄さまがなられてもいいですし――しかしやはり、私はカーク兄さまを望みます」
暇さえあれば、街に出て女を漁ってる。
夜になればアルコールをあおって気持ち良くなっている。
ろくでなしを地で行く阿呆で煙臭い浅薄な男に何を期待するというのか。
そんな胸の内を正直に打ち明けたところ、帝国最強の騎士とまで呼ばれる優れた妹――ミリアリア――は、くすくす笑ってみせた。
「カーク兄さまのご命令とあれば、私はとことんまで戦ってご覧に入れます。戦えるのです、兄上のためであれば」
「オデュッセウスではダメなのか?」
「そうは言いません、言いませんが」
「次期皇帝の話が持ち上がって以来、俺はえらく持ち上げられるようになった」カークは言う。「面倒としか言いようがないんだがな」
また、そもそも論です、兄さま。
そんなふうに、ミリアリアは前置きし――。
「皇帝の価値とは実務がうまくなせるとか、そういうことではないと考えます。何より必要なのは」
「必要なのは?」
「もちろん、悪魔的なまでの求心力です」
仮に自分にそれがあるのだとしたら、なおのこと、めんどくさいなと考えさせられたカークである。
「お手を」おもむろに、ミリアリアが左手を差し出してきた。
あのミリアリアがまさかとは思ったが、やはりその手を手に取れと言っているのは間違いないらしい。
カークは手に触れた、くわえ煙草のまま。
武勇の誉れ高き女傑の手は、思いのほか頼りなく、か細かった。
「ほら、兄上の手は温かい。温かいのです」
「そうかね。まるで自覚はないんだが」
「でしたら自覚なさってください」
あなたは民を導く存在です。
ヒトの総意として振る舞う器たるべきなのです。
尊敬するしかない妹の言葉なのだから、「皇帝なんて絶対にやりたくない」という決意が鈍りそうになった。
4.
*****
西の高原で隣国と小競り合いが続いているのだという。
ミリアリア自らが出張り、先頭に立ち、戦闘を続けているのだという。
オデュッセウスからそう聞かされた。
とっぷりと日が落ちた夜の今、カークはオデュッセウスの私室にいるわけだが、ロッキングチェアを譲ってくれたものだから、弟はベッドの端に座っている。
さすがに煙草は吸えなかった。
高潔でしかない高貴な香水のそれが控え目なれどきっちり主張していたからだ。
「西の高原、戦況は? 芳しくないのか? ――と、自らの無能ぶりを露呈してみた」
「ええ、無能であるはずがない。知ろうとしていないだけなのでしょう?」
「まあ、そうなんだが」カークは肩をすくめ、続ける。「ミリアリアのことが心配だ。だから、俺が出ようと思う」
「まさか」オデュッセウスはゆるゆると首を振った。「彼女は負けません。誰より強い兵士、否、戦士だからです」
「だったらどうしていざこざが絶えないんだ?」
「相手の国を潰してやろう――そういった考えが、我が国の軍部にはないからです」
なるほど。
トップダウンに違いないその意思を貫こうとするあたりが思いやりに溢れる我が国らしいなと、カークは納得した。
「私は取り潰すことを提案したい」
「当該――隣国をか?」
「しきりにちょっかいをかけてくるわけですからね」
「我が国に敵うだけの戦力はないんだろう? だったら、どうしてやりあうことを望むのか」
「古くから戦闘民族とされています。その名のとおり、戦わずにはいられないのでしょう」
だとしたら、やはり取り潰すべきなのかなぁと、冷静に「べき論」として、考えたりもする。
だが、本格的にやるとなると、どこぞの誰ぞが大いに犠牲になるわけでなぁとも考える。
自身に非がなければ座して滅ぼされてもやむなし――などと言いたくもなる。
「いずれにしても、兄上が気を揉むようなことではありません。我が国はそれなりに、強いのですから」
そのとおりだろう。
世界地図を俯瞰しても、我らは巨大な領地を誇る強大な国家であるには違いない。
「ところで、ですが兄上」
「なんだ?」
「皇帝陛下がおっしゃっておられました。いいかげん、後を継いでくれと」
いいかげんもなにもないな。
そんなこと、言われずとも重々認識させてもらってる。
「親父殿もおまえもだな、オデュッセウス、それにミリアリアもだ、おまえたちの希望するところがイマイチ理解できんし、そうでなくとも俺は偉いヒトなんかにはなりたくないんだよ」
「偉いといえば、今だってそれなりの立場であるはずなのですが?」
オデュッセウス、おまえには成り上がろうという気概はないのか。
カークはそう訊いた。
「ないことはないですが」そう前置きすると、オデュッセウスにしては珍しく、清々しい笑みをそこに浮かべ――。「兄上、私はもはや確信しています。国のためには、絶対にあなたがトップに立ったほうがいい」
そんなはずはないんだがなぁ……。
実際にそう、カークはのんびりと口にした。
「白髪交じりにしてろくに手入れもしない無精ひげの中年男。そんな野郎におまえはおろか、民のみなさまもなんの希望を持とうというのかね」
「きっとですよ、きっとです、しかし、私はそこにエグいくらいの確信すら見ています」まったく大げさな枕詞のオデュッセウスである。「兄上、あなたが次の皇帝になるべきです。そうあれば、我が国はいっそうの団結力を得、どこにもひけをとらない国家になることができます」
「なあ、弟君、俺がそうあらずとも、絶対的にこの国は間違いないだろう?」
「知りませんよ、そんな屁理屈は」
ぷいとそっぽを向いて、賢人のように、あるいは駄々っ子みたいにそんなふうに言ってのけた、オデュッセウス。
「もっと小汚い身なりをすることにしようかね」カークは苦笑を浮かべた。「今でもそれなりに、清潔感とは無縁であるつもりだが」
「どんな小細工を講じてもどうにも隠せない雰囲気、魅力というものはあります。ご自覚いただきたいですね」
「あるいは親父殿には早々に退いてもらって、若いニンゲンが出張るべきだと?」
「皇帝陛下はもはや晴耕雨読の日々を望んでおられます。年老いたがゆえでしょうが、それって悪いことなのでしょうか?」
いや――と、カークは肩をすくめた。
「皇帝陛下――いや、親父殿は、これまで誰よりもがんばってきたんだ。誰も文句は言えまいよ」
「そのとおりです。今度も子である我々が、『新たな皇帝』なる地位にあるニンゲンを、よりいっそう、根っこから支えるべきです」
根っこから支えるべき、か……。
「あとは兄上、あなたの決断次第です」
「まったく面倒な選択だよ。迷惑な話でもある。おまえが相手だからそう言っておくぞ、オデュッセウス」
「あるいは」
「ああ、あるいは?」
「ええ、あるいは、兄上は自らの伴侶の『は』の字すら見えないことから身を引こうとしていらっしゃるのでは?」
伴侶がない?
ゆえに皇帝を得るにとっては消極的だと?
まあ皇后がいなければ格好がつかないようにも思うが……。
「兄上は後生、パートナーを得ようとは考えておられないのですか?」
後生だとかパートナーだとかヘヴィだな、いやでも、べつにそうわけでもないんだ。
ないんだよと口にしたカーク。
「わかりました、兄上」
「何がわかったんだ、弟君」
「まずは恋人を見つけましょう。あなたの場合、そうしたほうが止むを得なくなるはずだ」
恋人だぁ?
はぁぁぁぁ?
カークからすれば眉を寄せて、首をかしげざるを得ない。
「オデュッセウス、どうしてそうなるんだよ」
「だって、第一皇子が思い人を得れば、否が応でも次期皇帝の座に就くしかないでしょう?」
「けっこう論理が飛躍しているように思うが?」
「兄上、あなたを皇帝にできるよう、私は死力を尽くす所存です」
いくらなんでも、さすがにそれは大げさすぎる物言いではないのか?
「まずは真剣に女性を好きになってみましょう」なんだかすんなり言ってくれたように思う。「恋をすれば、ヒトは変わります。特に兄上の場合、恋愛をするイコール皇后を決めることになるわけですから、慎重になりつつも、しっかりぜんぜん、一生懸命にそうあってもいいはずです」
「そうあってもいいってのは?」
「くどいですね。素敵な奥方が得られればという話に他なりません」
「誰かに強いられての恋なんて、誰も喜ばないと思うんだが?」
兄上の場合、積極的に恋をなさってください。
オデュッセウスは「これはお願いです」と頭まで下げてみせた。
「候補は私が選びます。煙草でもぷかぷか吹かして――任せてください」
「なあオデュッセウス、おまえは恋愛についてそこまで造詣が深いのか?」
「あなたよりはまともです、兄上」
「ヘアスタイルを整えるのは面倒なんだ。髭を剃るのもそうなんだよ、だから――」
「ええ、それはわかっています。ですが、隠しきれない魅力というものは、やはりある」
「白いものが混じっているとも言った。どうかわかってくれないかね。そういうことなんだよ、オデュッセウス」
あなたがどう考えていようが、厳密に述べると、それはどうでもいいのです。
なんらか確信しているようにそんなふうに言い、さらにオデュッセウスはにっこりと微笑んでみせ――。
5.
*****
選りすぐられたであろう女性らと、カークはそれぞれ会うに至った。
ああ、そうか。
つらいこともしんどいことも多々あると思われるのだが、それでも皇帝の妻になれるともあれば、候補者は後を絶たないのか。
そんなふうに思い、とあるまだまだ若い女性を相手にその旨、冗談抜きで話題として持ち出した。
そしたら、だ。
天下の往来、オープンカフェでのことだったのだが、若く美しいその女性から攻撃を受けた、それは物理的なものだった。
女性はカッと目を見開き立ち上がり、今日もくわえ煙草のカークの左の頬を右手で盛大にぶってくれたのだった、当然、煙草は口から飛んだ――。
「カークさま、あなたはまるでご自分のことをわかっておられません。あなたはサイテーです。私は本気なんです。なのにあなたは『見返りが目的なんだろう?』みたいなことをのたまい、そうすることで私のことを侮辱されました。カークさまのおっしゃりたいことはわかります、理解もできます。ですけど、ナチュラルなことであるにせよ、あなたの自嘲的な考え方は良くありません。あなたに抱かれることは簡単です、あなたは素敵な男性ですから。だけどそれではいけないのだと考えます。もっと自覚を持ってください。このあとキツいことに晒されのかもしれませんけど、この大国における皇帝陛下を担おうという人物なのですよ、あなたは」
そこまではっきり言われたものだから――これまで異性にまるで興味を持つことなんてなかったのに、カークはつい、金色の髪が眩しいこの少女に名を訊いてしまった。
「ターシャです、いけませんか?」なぜだか彼女、ターシャは不機嫌そうに、喧嘩腰に返事をした。
だがそのへん面白いなと思って、カークは笑顔になった。
「また会ってもらえるかな、お嬢さん」
「かまいませんけれど、私なんかに時間を割いてもよろしいのですか?」
「私なんかに、か。きみのほうがずっと自嘲的であるように聞こえるんだが?」
「気のせいです。そんなことはどうだっていいです。会っていただけるということであればお断りはしません。それだけです」
ここの支払いはもってくださいましね?
ちょっとぷんぷんしたように、それから身を翻すと、ターシャ嬢はすたすた向こうへと去ったのだった。
6.
*****
あるいは世界で最も美しいとされる離宮の庭に、ターシャを招いた。
これまでと違い、ターシャはおめかししていたふわりとした桃色のドレス、感心したくなるくらい愛らしかった。
庭の中央にある白くて丸いテーブルを挟んで腰を落ち着けた。
ターシャはきょろきょろと興味深そうに瞳を動かして、「へぇぇ、確かに大したものですね」などと感心したように言った。
「カークさま、ターシャめは今、すごく感動しています」
カークが知る限り、ターシャは簡単におべっかを述べる女性ではない。
ただ誰よりも正直な女性ではあるので、何をのたまってもおかしくないだろうとは考えている。
「なぜ、私をこの離宮にお招きになられたの?」
そう言われると、じゃっかん、答えに窮する。
――が、まあ、そこまで重要な理由というのもない。
「まさか、このあと、私を手籠めにしようと? 私をめちゃくちゃにしてやろうと?」
聞いているほうが恥ずかしくなるような物言いだ。
そのへんを平然と言うあたりに、彼女の明るさを見るよりほかにない。
「この冴えない中年男をあまり買ってくれるなよ」カークは苦笑した。
「でしたらそもそもお誘いにならないでくださいませ」なんだかぷんすかのターシャ。
情報の収集を繰り返しました、どうやらカークさまは酒と煙草を愛してやまないだけでなく、女好きでどうしようもない阿呆な皇子らしいですね。
――などと、なんともひどいことを、ターシャは真正面から言ってくれて。
まるきり違うということもないから、これまた苦笑を浮かべるしかない。
だが、言うほど抱いてはいないのだ。
行きずりといのもままあるのだが、それでも不誠実であった覚えは一つもない。
「はあぁ……」心底嘆くような、ターシャのため息。「まあいいです。ほんとうに素敵なお庭です。白いものが大いにまじった無精ひげの皇子さまにはふさわしくないと断言することができます」
まったく、ひどい言い方をしてくれる。
言葉の中には幾分の気遣いもない、嘘もないに違いない。
だからこうして、誘い、また一緒の時間を過ごしているのだろう。
「これまでの俺は、生き方というものに関して、不真面目だったと思うんだよ」
カークがそんなふうに切り出すと、ターシャは目を丸くして――。
「なんの話ですか?」
「もういい年のオッサンとは言え、俺は皇子だ、しかも長男坊だ。なのに日々をふらふら過ごしていた。そろそろ真剣に、どうあるべきなのか考慮する段階にあるのではないのかね」
「そのおっしゃりよう、やっとご自覚されたのですね」
まるで自らの手柄のように言って、ターシャは笑った。
だがまあ、手柄といえば手柄だろう、その点、否定はすることはできない。
ターシャ、確かにきみは、短い時間の中で、カークなるオッサン皇子の考え方を一変させてくれた。
「ターシャ、聞かせてほしい」
「次はなんの話ですか?」
「俺が結婚してほしいと言ったら、引き受けてもらえるだろうか?」
ターシャは明らかにきょとんとなって――。
それから睨むように眉根をよせて――。
「それはよくありません。私とカークさまはお似合いではありませんから」
……いや、いやいや。
そもそもおまえが女房になりたいと挙手したのではなかったのか――?
「とはいえ、考えはいたします。両親にも相談します」
やはり、「はぁ?」である。
こちらが打ち明けさえすれば、それで解決すると考えていた。
「で、どうされます? これから私を抱かれますか?」
これまた思い切ったことを言ってきた。
「抱くのはかまわんのだが」
「かまわんのだが、なんですか?」
「だから、順番が逆なのは良くないという話だ」
「私の両親の許可が必要だと?」
「そう言っている」
「できちゃった婚はいけないと?」
「そうとも言っている」
ヘンに気を遣われるんですね。
それそうなのだが、もはやターシャの言葉と口調がツボであると言っていい。
子どもっぽい言い方ばかりするものだから、余計にそこに愛らしさを覚えてしまう。
「ご両親にお会いしたい」
ターシャはいっそう難しい顔をして、「冗談はやめてください」などと言った。
「冗談を言う理由がない。何度言わせる? 私が心配しているのは一点だけだ」
「何を心配なさっているの?」
「ターシャ、おまえにとって、この煙草くさいオジサンでいいのかという話だよ」
ターシャは腕を組み組み、「本気ですか?」と訊ねてきた。
「だから、本気も本気だ」
「そうですか。やぶさかではありません。色好い返事ができるとは限りませんけれど」
「それでいい。ほんの少し真剣に、考えてもらえないだろうか」
「皇族なのに、お優しいのですね。力ずくでなんとでもできるというのに」
「ヒトの生とは、どうあれボトムアップであるべきだ」
「カークさまのことを初めて尊敬しました。びっくりです」
まったくもって、そういうことらしい。
ゆえにカークは気分を良くした。
理解が得られると嬉しくなる。
「ああ、そうだったそうだった。ターシャ、とはいえ俺は、しばらく君とは会えなくなる」
えっ!
さうがのターシャも驚いたようだった。
「それは、どうして……?」
「西の高原の具合が、どうにもよろしくないらしいんだよ」
「それは存じ上げています。我が国の情報に関する透明度が高い恩恵だと考えています」
聖域なき国家。
親父殿が謳うとおり、そのとおりなんだろう。
美しい離宮、緑豊かな、その庭。
おもむろに空を見上げると、白い鳩らがちょうど羽ばたいていった。
「連中の国は強いとは言えない。俺たちの国に敵うはずがない。が、あまりにしつこい。戦争というのはやる気の問題だ。そのうち、本国に足を踏み入れられるかもしれない」
「まさか。国力の差は歴然であるはずです」
「こういった事象はままあっておかしくない。ゆえに、以降同様のことを繰り返させないために、ここで強く叩いておく必要があるんだ」
「それでも、カークさまが出ることではないと思います。だって当該の指揮を執ってらっしゃるのは『最強』のミリアリアさまなのでしょう?」
「彼女は戦争の天才だ。それでも状況如何で手こずることもある。妹のことだからな。なんとか力になってやらなければというわけだ」
ミリアリアさまに敗北などありえませんっ!
ターシャはそんなふうに強く言い――。
「西のことが片付き次第、きみのご両親にお会いしたい。そういうことで、ダメかな、ターシャ」
ターシャは明らかに悔しげに、顔を俯けた。
「両親がダメだと言う理由がありません。だってあなたはカーク殿下なのですから」
「つまるところを伺おう。やっぱりオッサンは嫌かな?」
顔を上げた、ターシャ。
しっかりとした目で、かぶりを振ってみせた。
「殿下はただのオッサンではありません」
「というと?」
「間違いなく、イケオジです。だから私としては、鼻が高いです」
「ほんとうに、そう?」
「ほんとうにそう、です。カーク様は危険すぎます」
笑顔でそう応えてもらえた。
とあれば、西の件にケリをつけるにあたっても、気合いが入るというものだ。
カークはテーブルを回り込むと片膝をつき、それからターシャの左手を右手にした。
まだまだミルクの匂いが濃いようなその甲に唇を当て、それから誓った、「未来永劫の愛を、きみに捧げる」――。
「感動なんてしませんから。私にとってはフツウのことですから」
なんともつっけんどんな物言い、言い方。
カークが微笑んでみせても、ターシャはそっぽを向いたままだった。
少し頬を染めたように見えたのも、きっと気のせいだろう。
「……とうに」
「ん?」
「ほんとうに、戦争に、ゆかれるのですか……?」
なるほど。
目を伏せるあたり、少なからず心配はしてもらっているようだ。
「戦争をしない、したくない皇族の方がいてもよいと思います」
「いてもいいんだろうが、きょうだいが指揮をし、戦っているわけだ」
「助けないわけにはいかないと?」
「ああ。そして逃げるわけにはいかない」
「のんびり屋で有名なカークさまらしくないと思います」
「だよな、まったく」
その手の甲に、再び唇を近づけた。
目を閉じたまま、「守る者が生じるのは、面倒ばかりだと考えていた」と言った。
「今の殿下は、それは間違いだとおっしゃるの?」
「ああ、そうだ。間違いだ。きみの美しい空色の瞳を見ているうちに、そう考えるようになった」
「面倒ではないのだとすれば、いったいどういうことなのですか?」
「早くに病気で亡くなってしまった友人がいた。そいつには愛する女房がいたんだが……。奴さんが死ぬ間際に吐いた言葉がある。心に染みついて、きっと一生、剥がれ落ちることもない」
「なんとおっしゃられたのですか?」
「俺は彼女のおかげで強くなれた」
カークは小さく吐息をついた。
若くして死んだ友人が言いたかったのは、きっと「こういうこと」だったのだ。
「ありがとう、ターシャ。守る者ができたおかげで、俺もまた、強くなれる」
らしくない、ああ、まったく、らしくない。
ほんとうに、自らに大切な女性が現れるとは思いもしなかった。
自らが口づけを重ねたこの華奢で小さな手を、一生をかけて守りたい。
そこに嘘はなく、そうである以上、いくらでもがんばることができる。
「戦争は、怖いものです。でも、私にはその印象しかありません。戦争とは遠いものなのです」
「そうであっていいんだよ。知っているニンゲンが偉いわけではないし、知らないニンゲンが愚かなわけでもない」
「しかし、私は愚かであるように思います」
「考えすぎだと言っている」カークは立ち上がり、ターシャの頭にぽんと右手を置いた。「ただ、知っておいてほしいことはある」
「それは?」
「戦っている兵士がいるという事実と現実だ。彼らは職業軍人に違いないが、だからといって恐怖に身を翻したりしない。勇気のカタマリなんだよ」
きょとんとしたのち、ターシャはくすくす笑いだした。
「なんです、それって。勇気のカタマリ、って」
「あれ? おかしいかね?」
「ええ、とっても」
「一生懸命に言語化したつもりなんだがなぁ」カークはカークで頭を掻いた。
「いいです。カークさまがとても誠実で真面目であることは伝わりましたから」
「今まではそうでもなかったんだよ。だが、これからはそう生きようと思う」
かつて早逝した「その友人」も、弱い身体に鞭打ち、死の数日前までを戦場で過ごした。
どうしてそこまでして戦ったんだ?
どうして死する寸前まで、戦い抜くことができたんだ?
病床にてそう訊ねたところ、「この国を守りたかった。ほんとうに、それだけなんだよ」――。
カークという男は皇族のくせにある種の非国民と言っても差し支えなかったわけだが、今ならわかる、理解できる。
彼はヒーローそのもので、カーク・アンダーテイカーはその姿に恋焦がれんばかりに憧れていたのだ。
天に召されたのだ。
身体はよほど軽くなったことだろう、ひどく痛んだらしい癌だってすっかりどこかに飛んでいってしまったはずだ。
馬鹿で阿呆に違いない神さまの野郎だって、それくらいの気は利かせてくれたはずだ。
いつか天国で再会する機会に恵まれたら、そのときこそ、酒を酌み交わしたい。
ビールって苦いんだね。
気の良いアイツだったら、そう言って笑うだろう。
煙草もまた苦いんだね。
そんなふうに、続けただろう。
7.
*****
白い陣幕の内、カークはミリアリアと会っていた。
ミリアリアは申し訳なさそうに椅子を譲ろうとしてくれたのだが、それは断った。
あくまでも国のことを思い、がんばってくれているのはミリアリアに違いないのだから。
「ミリアリア、実際の戦況はどうなんだ? 詳しいところまで、俺は知らないんだ」
「兄上、正直に申し上げますが……」
「正直に言ってもらってかまわない」
「かつてないほどの被害に遭っています。それもこれも、敵軍の特攻作戦によるものです」
特攻作戦?
カークはわかりかね、だから訊ねた。
「文字通りです」ミリアリアは答えた。「爆弾を抱えて突っ込んできます。迎撃はできます。しかし、なにせ数が多いのです」
「それは損害が膨らむだろうなぁ」
カークは自分でもわかるくらいのんびりとした口調で言ったが、ミリアリアに怒ったようなところは見られなかった。
カーク・アンダーテイカーの人柄を熟知しているからに違いない。
「俺が行こう」
「兄上一人でなんとかされようと?」
「そういうことだ。兵士の同伴も必要ない」
「お待ちください! 私がなんとかいたします!」
「いいんだよ、ミリアリア。我が国の意向、敵国の動静、そのへんうまくバランスをとったうえで、おまえはじつによくやっている。ケリくらいは兄貴に任せろ。格好をつけさせろという話だ」
ミリアリアの泣きだしそうな顔なんて、初めて見た。
「兄上、あなたの投げやりすぎるところが私は気に食いません。そんなあなたを見たくないから、私は誰より先に戦場に立っているのです」
「わかってるさ。俺に任せてしまったら、誰より先に俺が特攻をしかけてしまうだろうからな」
死んだふうにしか生きてこられなかったのが、カーク・アンダーテイカーという男だ。
ほんとうに、自分のことを大事だなんて思えず、だから他のニンゲンすら大切にすることができなかった。
だから酒をあおった、煙草だって辞められずにいる、辞めるつもりすらないままでいる。
だが、今は違う。
ターシャがいるから、少し違う。
「わかりました、兄上。私は司令官として厳しく厳かにっ――命令を下します」ミリアリアはキッと鋭い目を寄越した、そこには決意が見てとれた。「我が国最強の兵士、カーク・アンダーテイカーよ、貴殿に敵の掃討を命じる。存分に戦い、そして生きてかえってこい!!」
承知した。
そう応え、カークは颯爽と身を転じた。
8.
*****
思いの外、敵軍は元気に見えた。
よく整理され、よく展開され、そしてよく戦っている。
自分が出張る以上、付き従う兵は最低限でいいと申し上げたわけだが、それでもまあ、勝つか負けるかはやってみなければわからない。
左右にそれぞれ短剣を握り締め、部下の制止など聞かず、飛び込むように、踊るようにしてまるで舞い、敵陣に向かって切り込んでいく。
悪いな。
心の中でそう謝罪しつつ、討ち取ることを繰り返す。
ほんとうに、悪いな。
おまえたちにも両親や家族がいるだろうに。
だがしかし、一度、戦場に出てしまえば、その命には軽いも重いもない。
だからこそ、やっつけるより他にないのだ。
中隊規模だった。
駆逐しつづけ、隊長にまで至る。
それは女だった、筋肉質な、しなやかな豹を思わせるような肢体。
傷つけられた左目を左手で覆い、地に両膝をついたまま、見上げてくる。
悔しさ等が入り交じった表情ではない、ただただ、びっくりしているようだった。
「そうか。おまえがカーク・アンダーテイカー、世に名高き『帝国の悪魔の騎士』……」
「よくご存知なことだ、お嬢さん。残念だが、ここで行き止まりだよ」
「とっくにロートルなくせに、なにを……っ」
「その年寄りにやられるのさ。ほんとうに、残念だったな」
首根っこを断罪すべく、右の短剣を振りかざす。
「言い残すことは?」
「我が軍はまだまだこれからだ。思い知れ、そしてのちの敗北を噛み締めろ」
そんな呪詛じみた言葉を期待したわけではないのだが。
次の瞬間だった。
背から胸にかけ、刃物で貫かれた感触が、確かにあった。
血を吐く。
致命傷な気もするが、ここで倒れるのは簡単だから、けっして膝すらついてやらない。
振り向きざま、造作もなく、相手の首を刎ねてやった。
剣は背から刺さったままだ。
背に手を回し、力任せに刃を抜いて、あらためて、女隊長へと向き直った。
「我が部下ながら、大したものだ。してやったりと思ったんだが」
「ああ、まるで気づかなかったよ。大した手練れだよ、奴さんも、おまえもだ、お嬢さん」
「殺せ、もういい、気が済んだ、ああ、いいさ、私を殺せ。悪魔なんだろう? 貴様は」
「殺さないさ」
「なぜだ?」
「イイ女は殺さない――いいや、殺せない」
カークがそんなふうに言うと、女隊長は目を丸くして、それから「ははっ!」と小気味良く笑った。
「その甘っちょろさが、おまえを死に追いやるのだ!」
それでもいいさ。
女を殺すよりはよほどいい。
胸の痛みが強さを増し、目の前もかすれてきた。
それでも煙草をくわえる。
その愛おしさゆえに、今日も今日とて煙を吐く。
「お嬢さん、今なら殺せるぞ?」
「そのうち死ぬんだ。それなら私は黙っている」
それはそれで気の利いたジャッジに違いない。
意識すら消えそうになり、前のめりに倒れてしまう。
捨て置けばいい。
捨て置かれると思った。
なのに、咄嗟の判断でしかないのかもしれないが、女隊長に抱き止められてしまった。
「おっ、おい、馬鹿っ。こっちに倒れ込んでくるな!」
「仕方ないだろぅ、こちとら、死にそうなんだから」
「おまえは私の敵だ、敵でしかないんだぞ!」
「それでも誰かに抱かれて死ぬのなら悪くないさ」
「おいっ、こらっ、ま、待て、死ぬなっ!!」
いったいどういう了見なんだ……くそっ!
悔しげにそう漏らした「イイ女」の声だけが耳に届いた。
死した部下の分も仕返ししてやる。
おまえは絶対に私が殺してやる。
だから今は死ぬな、悪魔の騎士!!
――と、いうことらしかった。
女という生き物はフクザツだな。
フクザツすぎるから気色が悪くて、だからだ、時に吐き気すら覚えるんだよ――。
9.
*****
いろんな夢を見た気がする。
しかし、そのどれもを忘れてしまった気もする。
目を開けると、見慣れた白い天井があった。
ああ、そうだ。
間違いなく、ここは自らの屋敷の寝室だ。
あったであろう事、あるいはあったらしい事を頭の中で整理する。
えっと、確か、死にかけたんだった。
いや、だからこそ、死んだとばかり思っていた。
あの女隊長は慈悲深い人物に思えたが、それでも敵の首をとるくらいの非情さは持ち合わせているように見えた。
「お目覚めですか、兄上」
視界の中にその美しい顔を覗かせたのはミリアリアだった。
優しく微笑んでいて――それはあるいは自らにしか見せない表情だろうと思い知る。
「そうか。死に損ねた、か……」
「そんなふうにおっしゃらないでください。私は今、とても安堵しています」
「戦況は? 相変わらず、逼迫したままか?」
「敵は退きました。兄上がもたらした恐怖の賜物でしょう」
「俺はそんなに大したニンゲンじゃあない」
「私が知る限りだと、最高の男なのですが?」
妹とはいえ、帝国最強の兵士とも称される女性だ。
彼女から褒められるとこそばゆさに近い照れくささを覚えてしまう。
ああ、そうだとカークは思い出す。
俺には心に決めた女性がいたはずだと。
「彼女はどうしてる? 俺のフィアンセの話だ」
「取りすがって泣くものですから、強制的に排除しました。ほんとうに兄上は九死に一生、ほとんど死体だったのですよ?」
なんともミリアリアらしいしっかりとした措置だなと考えると、苦笑が漏れた。
「ターシャ嬢ですか、彼女のまっすぐな思いを目の当たりにすると、少々、妬かざるを得ませんでした。それはなぜだと兄上は問われるでしょう」
「ああ、その心は?」
「きっと初恋だったのです。それは私にとって最後の恋になるやもしれませんが」
カークは目を大きくする。
身体は満足に動かないが、それくらいはできた。
「きょうだいに生まれて損をしました。舌打ちくらいはお許しください」
ミリアリアはにこりと笑むと、部屋をあとにした。
煙草をくわえる暇もなく、入れ替わるようにして入ってきたのが、ターシャだった。
今日も愛らしい顔をして――だけど今にも泣き喚かんばかりの顔をしている。
ターシャはカークの身体に覆いかぶさって、わんわん泣いた。
カークは痛む上半身を起こして、彼女の小さな頭をそっと撫でた。
顔を上げたターシャは、ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らした。
「どうして泣くんだ、ターシャ嬢?」
「わかりません。でも、カークさまが負傷されたと聞かされ、その瞬間から気が気ではありませんでした」
「そこにあるのは愛なのだろうか」
「否定できません。悔しいですけれど、そうとしか言いようがありません」
「ああ、そうだった。ターシャはいくつだったか」
「十六になりましたけど、それが何か?」
二十四も違うと、カークは笑った。
「手を取り合うところから始めようか」
カークがそう提案すると、ターシャは彼の右手を両手で包んだ。
カークの右手を大切そうに持ち上げ、愛おしそうに頬ずりした。
「だがしかし、すぐには抱けないなぁ」
「そんなふうに言って。また子ども扱いをされるのね?」
ぷんすかなターシャを見ていると、微笑みが込み上げてきた。
「愛しているよ、ターシャ」
「えっ」
「愛していると言ったんだ」
ターシャは顔を真っ赤にした。
「ま、また、オジサマだから若いカラダが欲しいだけなのでしょう? そうですよね?」
「どうもにもきみはスキンシップばかりに敏感なようだな」
「スキンシップとか!? 敏感とかっ!?」
「幸せに暮らそう、時間を共にしよう。嫌かい? ターシャ」
「い、いいです、我慢します……」言って、ターシャは恥ずかしそうにもじもじしてみせた。
10.
*****
カークはというと、のんびり屋の自らをあらため、正し、戒め、軍に籍を置いている。
司令官を補佐する立場であり、そうである以上、上司は当然、ミリアリアである。
ミリアリアは「司令官は兄上であるべきです」などと訴えるように言ってくれたが、兵はみな、末端のニンゲンまで、彼女を慕っている。
だからこそ、「ずっとおまえがやるべきだ」と諭した。
――が、一つだけ退いてもいい理由があるぞと教えてやった。
それは「おまえが誰かの家に入ることだ」と強く強く伝えてやった。
てっきり驚かれ、あるいは頬を赤らめるのではないのかと思ったのだが、ミリアリアは右手で前髪を掻き上げると、呆れたような顔をした。
「ああ、カーク兄さままでそのようなことをおっしゃるのですね。そのへん、もう聞き飽きています」
「うるさいのはオデュッセウスか?」
「皇帝――いえ、父上もです。というか、私の恋のお相手はもうすでに明かしたつもりですが?」
「生来、俺は意地悪らしいんでな」
「間違っても嫁になど行きませんから、絶対に、です」
あっはっは。
カークはつい、大きな声で笑ってしまった。
今は離宮。
「さあ、花嫁のご登場にございます」
にこりと笑んだミリアリアに言われ、真白のタキシード姿のカークはゆっくりと後ろを振り返った。
初めて会ったときよりはずっと女性らしい身体つきになったターシャの姿があった、白いドレス――。
誰もが「厳かかつ盛大に」と言ったのだが、「慎ましやかかつ開放的」なガーデンウェディングを望んだのはターシャ自身だ。
誰もが気兼ねすることなく、誰もが気軽に出席できるように――そう望んだのだ。
カークはあらためて、好きになった女性がターシャであって良かったなと思った。
ともすればわがままを言い、わがままな顔をするのに、他者への思いやりはホンモノだからだ。
優しくできていて、ゆえに肝心なところでは大らかに、微笑みをもって接することができる。
誇らしい女房としか、言いようがない。
もうオジサン極まりないくせに、カークは照れくさくなった。
こんな気持ち、ひょっとしたら、生まれて初めてのことかもしれない――否、絶対に初めてだろう。
駆け寄るようにして、近づく。
ターシャは「なおいっそう、幸せにしてくださいましね?」と笑った。
言うだけならタダだし簡単だから言葉にはしない。
ただ一つ頷くことで、永遠の愛を約束した。
神父を前にし、台本どおりのキス。
唇同士が離れると、拍手の中、ターシャはにこり。
「やっぱり煙草くさいのです」
カークはターシャの小さな頭を胸に抱いた。
ターシャは小さな声で、呟くように言った。
「子の名前はなんといたしましょう……?」
このタイミングで訊ねることかねと思った次第だが、確かにそう、ターシャの腹は少しのふくらみをみせている。
自らが子をもうけることになるだなんて思わなかった。
最近に至っては「今さらつくるとなると申し訳ないな」とも考えている。
なぜなら子が二十歳を迎える段においては、自身はもう六十にもなっているからだ。
そしたら、ターシャはカークのそんな心を読み取ったように――。
「だいじょうぶです。カークさまはただのおじさまではありませんから。イケオジでございますから」
どちらにせよ、しょせんはオッサンではないか。
苦笑が込み上げてきたわけだが、「大好きです、カークさまっ」と語尾上げて言われてしまうと、「ああ、べつにオッサンでもいいか」と簡単に割り切ることができてしまった。
ニンゲン、どこで誰に巡り合えるかわからない。
そのへん、カーク・アンダーテイカーは恵まれた。
手を繋ぐ。
前に進む。
花びらが舞う中をゆっくりと進む。
「おめでとう!!」
誰より大きな声で祝福してくれたのは、オデュッセウスとミリアリア、それに皇帝陛下の親父殿だった。
不覚にも、少々鼻をすすってしまった。
生まれてくる子のことを考えると、もう煙草は吸えないな。
なんて幸せな禁煙だろう――泣きそうな顔から一転、笑いたくなった。




