創作落語 三献茶
長屋の朝というものは早いもので。
豆腐屋が「とーふー」と来る。
納豆売りが来る。
裏では井戸端で洗濯の音。
そんな中を、八っつぁんが何やら難しい顔をして歩いております。
「ご隠居ー。ご隠居ー」
「何だ朝っぱらから。戸が外れる、静かに叩け」
ご隠居、煙草盆を引き寄せながら顔を出す。
「どうした八」
「へへ……ちょいと教えて貰いてぇ事がありまして」
「珍しいな。借金じゃないのか」
「違いますよ。今日は学問で」
「お前の口から学問なんて言葉が出ると、世も末だな」
八っつぁん、照れたように頭を掻く。
「いやね、昨夜、講釈で小耳に挟んだんですけどね。
石田三成ってのがお茶を三べん出して、それで太閤さんに気に入られたってぇ話」
「ああ、“三献茶”だな」
「それですよ。
ぬるい茶をいっぱい、次に少し熱いのを半分、最後に熱いのを少し。
あれがどうして偉ぇんです?」
ご隠居、ふむと頷く。
「そりゃ、お前ぇ。
ご領地を駆けずり回っている太閤が。
汗まみれの時を考えてみな。
最初から熱い茶を出したら飲めやしねぇ。
だから始めはぬるくして量を多くする。
喉の渇きを癒やすためだ」
「ほう!」
「次は、少し落ち着いた頃合いを見て、やや熱い茶を半分」
「なるほど」
「最後は、熱い茶を少し。
これは“茶そのものを味わって頂く”」
八っつぁん、目を丸くして感心している。
「へぇぇ……!
ただ茶ァ出したんじゃねぇんだ!」
「相手の様子を見て、心を配る。
それで太閤秀吉が感心したんだ」
「いやぁ、ご隠居。学問ってぇのは深ぇもんだ!」
「お前も少しは学べ」
「ありがとうございます!」
八っつぁん、ぺこぺこ頭を下げると、慌てて飛び出していく。
ご隠居、その背を見ながらぽつり。
「……ありゃ妙な事を覚えなきゃいいが」
昼過ぎ。
八っつぁんの長屋へ熊さんがやって来る。
「おーい八、いるか」
「おう熊! ちょうどいいところへ来やがったな!」
「何だい。やけに嬉しそうだな」
「今日はな、天下人も感心した茶を飲ませてやる」
「ほう? そりゃ結構だ。朝から寒くて敵わねぇ」
季節は真冬。
障子の隙間から吹く風がぴゅうぴゅう鳴っている。
八っつぁん、得意満面で茶を淹れる。
「まずは一杯目だ」
どん、と大きな茶碗。
熊さん、一口すすって顔をしかめる。
「……何だい、こりゃあ」
「どうした」
「やけに、ぬるい」
「それでいいんだ」
「こんな水みてえなお茶、目一杯注ぎやがって」
「喉を潤すんだよ」
「喉って、お前」
だが八っつぁん、得意顔。
「これが三成流だ」
「誰だそいつぁ。
風邪ひきそうな茶ァ出しやがって」
「太閤様に褒められたお方だ」
「太閤様もどうかしてたんじゃねえのか。
こんなぬるま湯、しこたま飲まされて」
「まあまあ、こいつあ最後までやらねえと分からねえからな。
学のねえ奴なら尚更だ」
「余計なお世話だ!!」
八っつぁん、構わず二杯目を出す。
今度は半分ほど。
「次は少し熱めだ」
熊さん、飲む。
「……ようやく人肌の茶だな」
「ほら見ろ」
「でも量が足りねえよ。
さっきのぬるいのが目一杯で、次は半分かい」
「頃合いってぇものがある」
「頃合いねえ」
八っつぁん、満足そうにうなずき、最後の一杯を用意する。
急須に、カンカンに沸いた熱湯を注ぐ。
地獄の釜もこれほどかと言うくらいの熱さ加減。
「これが締めだ」
熊さん、まだ寒くて仕方がない。
思い切って一口で飲み込んでみたら、脳天まで熱さが突き抜けた。
「あちちちッ!!??」
「これは“茶そのものを味わって頂く”」
「味わって頂くじゃねえよ!!
さっきから、なんでえ!?
ちったあ、季節てえもんを考えろ!!」
八っつぁん、そこで初めて、障子の外の木枯らしに気がついた。
「あ……」
「どうした?」
「しまった……今は霜月。
冬の陣じゃ、太閤様の出番じゃねぇや」




