第1話 負け犬の視界
ホイッスルが鳴った。
試合終了。
スコアボードには、はっきりと数字が並んでいる。
0-3。
神奈川県三部リーグ。
中学最後の大会。
そして、俺のサッカーも、たぶんここで終わる。
「おつかれ」
チームメイトが肩を叩いて通り過ぎていく。
悔しそうな顔をしている奴もいれば、もう切り替えて笑っている奴もいる。
でも、俺は動けなかった。
ピッチの中央に立ったまま、ただ芝を見ている。
ボールが足元に転がってきた。
トン、と軽く止める。
その瞬間、頭の中に一つのイメージが浮かぶ。
(ここで縦パスを出せば……)
さらに続く。
(いや、違う。こっちだ)
右サイドのスペース。
味方が走り込む未来。
その次のパスコース。
シュートまでの流れ。
全部、見える。
まるで上からピッチを見ているみたいに。
「……遅いんだよな」
小さくつぶやく。
見えている。
でも、遅い。
判断も。
パスも。
すべてが。
身体能力が追いつかない。
俺のポジションは右サイドバック。
攻撃も守備もこなす便利屋だ。
でも、本当は――
中盤をやりたかった。
試合を作る場所。
ゲームを動かす場所。
でも俺には、そこに立つ力がなかった。
夕方の空を見上げる。
オレンジ色の空。
なんとなく、昔のことを思い出す。
小学生のころ。
俺は神奈川のジュニアチームにいた。
横浜エンゼル。
県内ではそこそこ強いチームだ。
大会でもよくベスト8くらいまで行く。
でも、そのチームにははっきりした壁があった。
Aチーム。
Bチーム。
その差は残酷だった。
Aは試合に出る。
Bは応援。
どれだけ頑張っても、その差はなかなか埋まらない。
俺はずっとBだった。
ドリブルはそこそこ出来た。
でも、それだけ。
スピードも、フィジカルも、技術も。
全部、Aチームの連中のほうが上だった。
小学校五年生の冬。
俺はサッカーをやめた。
理由は簡単だ。
心が折れた。
AとBの差。
その現実に。
「もし……」
誰もいないグラウンドでつぶやく。
「もし、もう一回やれたらな」
小学生から。
最初から。
今の頭で。
今の視野で。
サッカーをやれたら。
どこまで行けただろう。
そのとき。
突然、強い風が吹いた。
砂が舞う。
視界が真っ白になる。
思わず目を閉じた。
次に聞こえたのは――
「海ー! 起きなさい!」
母さんの声だった。
目を開ける。
天井が見える。
見覚えのある天井。
ベッド。
机。
ポスター。
全部、見覚えがある。
いや――
見覚えがありすぎる。
俺はゆっくり起き上がった。
机の上を見る。
ランドセル。
カレンダー。
そこに書かれていた日付は――
2016年。
「……は?」
鏡を見る。
そこに映っていたのは、中学生の自分じゃない。
もっと小さい。
もっと幼い顔。
小学生。
しかも――
三年生くらいのころの俺だ。
心臓が大きく鳴る。
ドクン。
ドクン。
「……戻った?」
思わず声が出る。
信じられない。
でも、記憶ははっきりしている。
中学三年までの全部。
試合。
敗北。
後悔。
すべて。
つまり――
俺は小学生に戻った。
庭に出る。
サッカーボールが転がっていた。
懐かしいボールだ。
足で軽く触る。
トン。
もう一度。
トン。
ボールが足に吸い付く。
そして、ふと周りを見る。
庭。
道路。
電柱。
全部が小さく見える。
いや、違う。
自分が小さいんだ。
でも、頭の中は変わっていない。
中学三年のまま。
もう一度ボールを触る。
トン。
トン。
その瞬間、頭の中にピッチが広がる。
選手の位置。
スペース。
パスコース。
未来の動き。
全部が見える。
中学生のころより、もっとはっきりと。
俺は小さく笑った。
「なるほどな」
神様の気まぐれか。
偶然か。
理由はわからない。
でも、一つだけはっきりしている。
やり直せる。
小学生から。
もう一度。
サッカーを。
そして今度は――
あの場所へ。
世界の頂点へ。
ボールを強く蹴る。
コロコロと転がっていく。
俺はそれを見ながらつぶやいた。
「今度は負けない」
Aチームでも。
県大会でも。
世界でも。
俺はエースじゃない。
天才でもない。
でもいい。
主役じゃなくてもいい。
ただ――
試合を動かす存在になる。
誰にも気づかれない場所から。
世界を変える。
そのための物語が、今始まる。




