表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポコチン哲学  作者: 星狼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/4

破り捨てられた原稿の雪


一条零士は、かつて娯楽小説の旗手と呼ばれた男だった。


デビュー作から三作まで、どれもが読者の心を鷲掴みにした。軽快な筆致で描かれる人間模様は、笑いと涙を同時に誘い、書店に並ぶや否や売り切れ続出。誰もが「これが一条零士だ」と頷いた。


四作目の執筆を前に、彼は一通のメールを受け取った。


「一条先生の作品には、娯楽を超えた深みがある。ぜひ、純文学の領域へ挑戦してみませんか」


編集部の熱い誘いだった。担当編集者・片岡忍の言葉が、メールの端々に滲んでいた。


一条は迷った。いや、迷うというより、胸の奥底で何かが疼いた。新たな挑戦。娯楽の仮面を脱ぎ、自分の中に眠る「本当の言葉」を暴き出すこと。


「やってみるか」


そう呟いて、彼は引き受けた。


それから半年。


一条零士の日常は、静かに、しかし確実に変わっていった。


毎朝、机に向かう。だが、指は動かない。頭の中に浮かぶのは、いつもと同じ軽やかなシーンではなく、重く澱んだ感情の塊。登場人物の内面を掘り下げようとすればするほど、言葉は逃げていく。抽象的な表現が並び、具体性が失われる。読者に「考えさせる」ために書いているはずなのに、自分自身が何を考えているのかわからなくなる。


夜になると、苛立ちが募った。酒を煽り、煙草を灰に変え、原稿用紙を破り捨てる。破り捨てた紙の山が、部屋の隅で雪のように積もっていく。


「俺は、こんなもの書きたかったのか?」


鏡に映る自分に問いかける。かつての笑顔はどこへ行ったのか。目だけが、異様に充血していた。


片岡忍は、そんな一条の変化を、遠くから見守っていた。


編集者として、彼は知っていた。純文学への転向は、多くの作家を苦しめる。娯楽のスピード感に慣れた筆が、突然「深み」を求められると、息が詰まるのだ。


だが、それでも片岡は思う。


苦しみこそが、小説の魂になる。


一条零士が今味わっている痛みは、無駄ではない。むしろ、それこそが彼の四作目を、ただの「面白い小説」ではなく、「残る小説」にするための、必要な試練だと信じていた。


今日も、片岡は一条の自宅兼仕事場へと向かう。


インターホンを押す前に、彼は深く息を吐いた。


「先生、今日も……生きてますか」


ドアの向こうから、物音が聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ