第6話 傷つきたくない
そのあとも合コンは続いた。
桐生さんは佐々木さんに捕まっていて、私と話すことはもうなかった。
もちろんほかの誰からも声はかからない。まあ、これは予想通りだ。
だいたい桐生さんが変なんだよ。あんなふうに話しかけてくるなんて、想定外だった。
そういえば……川本さんも少しおかしかった。
私のことを可愛いとか、なんとか。酔っていただけだと思うけど。
最初はベタベタしてきて驚いたけどそれきり近寄ってこなかった。正気に戻れば私なんて眼中にない、そういうものだ。
にぎやかな声を横目に私はひとり静かに食事を味わっていた。
結局その後も何事もなく、合コンはお開きになった。
店の前で簡単に挨拶を済ませ、私はさっさと背を向ける。
視界の端では、佐々木さんが桐生さんに話しかけていた。少しだけ気になるけれど私には関係ない。
料理は美味しかったし、満足だ。
それに……桐生さんの意外な一面も見られた。それだけで収穫だった。
なんでかな。ほんの少しだけ、嬉しい。
彼の顔がふっと浮かび胸がトクンと鳴る。
あれ? なに、これ。
違和感を覚えながら一歩踏み出す。
もうすっかり夜だ。店の灯りのおかげでこの辺りは明るいけれど、少し歩けば薄暗い道もある。
早く帰ろう。
雑踏の中、駅へ向かって足早に歩く。
飲み会帰りらしいほろ酔いの人たちや、寄り添う恋人たちとすれ違いながら進んでいった。
数十メートルほど歩いたところで、後ろから声がした。
「待って!」
ん?
この声は。
振り返る。駆け寄ってくる人影が目に入った瞬間、目を見開いた。
「き、桐生さん!?」
なんで、彼がここに。
目の前で足を止めた桐生さんは軽く息を整え、ちらりと私を見てから視線を逸らす。
「えーと……駅まで、一緒にいい?」
その表情は、どこか照れているように見えた。
そして、なぜか私は桐生さんと肩を並べ、夜の街を歩いていた。
横に視線を向ければ、すぐそこに彼がいる。
なんで?
疑問が次々と浮かぶ。
さっき別れたばかりだよね。佐々木さんに誘われていたはずなのに。どうして桐生さんはここにいるんだろう。
歩きながら考え込んでいると、彼がぽつりと口にした。
「さっきは、ごめん」
突然の謝罪に、足取りが一瞬鈍る。
驚きと戸惑いが入り混じったまま、彼を見上げた。
「え? な、何がですか?」
謝られるような心当たりはない。
「いや、途中で佐々木さんと話すことになってしまってさ。
その後もずっと、君を一人にしてしまったから」
ばつが悪そうに眉をひそめる桐生さんに、ああ、そのことかと気づいた。
たいしたことじゃないのに、謝らなくてもいいのに。
やっぱり優しい人だ。
それに、なんだか不思議な人。
「ぜんぜん平気です。
それに、誰と話そうが自由ですし。佐々木さんは綺麗ですから」
口にしてから少しだけ後悔した。
声の調子が、ほんのり嫌味っぽかったかもしれない。
「そうかなあ。俺はどっちかと言えば、望月さんのほうが好みだけど」
思わず足が止まる。彼も同じように足を止め、視線がぶつかった。
そのまましばらく見つめ合う。
いま、なんて? なにか聞こえた気がする。
でも落ち着け。これはきっと、社交辞令みたいなものだ。
そう思い直し、前を向いて歩き出す。
「はは、冗談ばっかり。誰にでも同じようなこと言ってるんですか?
桐生さんって口がうまいなあ」
笑い飛ばすように言うと、彼もまた肩を並べてきた。
「ちがうよ。本当に望月さんのこと素敵だなと思って。
いつも仕事まじめに頑張ってるし、周りのこともちゃんと見てる。それに、とても優しいしね」
足は止めなかったけれど、瞬きを繰り返す。喉の奥が少しだけ詰まった。
なにを言いたいんだろう。
私を褒めて、何か得があるのかな。
ああ、もしかして仕事だ。頼みたいことがあって、気分を良くさせようとしているのかもしれない。
そう結論づけた私は軽く頷いた。
「そういうことですか。仕事の話ですね、了解です。
何か頼みがあるなら、また職場で聞きます。私にできることなら何でもしますから」
にこりと微笑み返す。
「え……いや、そうじゃなくて」
桐生さんが何か言いかけたけれど、私は言葉を重ねた。
「あ、駅が見えました。急いでるので、これで!」
軽く会釈をして、そのまま駆け出す。
ヒールの低い靴で助かった。
もともとハイヒールなんて履いたことはないけど、こういう時は本当にありがたい。
雑踏を縫うように走り、駅へ駆け込む。
振り向かずに改札を抜けると、ちょうど電車がもうすぐ到着するというアナウンスが流れた。
私は急いでホームへ下りた。
焦っていたせいか、途中で何度か人にぶつかりそうになりながらも、なんとかすり抜けて進む。
間もなく電車が到着し、そのまま飛び乗った。
車内で、ほっと息を吐く。
夜の冷え込みで冷えた体に、車内のあたたかさがじんわりと染みていった。
窓の外、流れていく街の灯りを見つめていると、ふと桐生さんの顔が浮かんだ。
ちょっと失礼だったかな。あんな去り方。
明日も会社で会うのに、気まずいなあ。
でも、あのまま桐生さんと二人でいることが、どうしてもできなかった。
理由はよくわからない。ただ、無性に逃げたくなった。
なぜ彼があんなに褒めてくれたのかはわからない。
でも私は、ああいう台詞に免疫がなかった。好意があるようなことを言われるのは反則だ。
そういうことに慣れている女性ならともかく、私はだめだ。すぐに本気にしてしまう。
桐生さんみたいなモテる男性にとっては、よくあることなのかもしれない。軽い挨拶のようなものなのかも。
でも、私にはそうじゃない。
昔、何気ない一言を真に受けて、痛い目を見たことがあった。
相手は深い意味なんてなかったのに、私だけが期待してしまった。
いつもそうだ。期待しても、苦しくなるだけ。
だから私は、その前に予防線を張るようになった。どんな言葉を向けられても、優しくされても、きっと違うと自分に言い聞かせる。鵜呑みにしない。
それでいい。それがいい。
もう、あんな思いはしたくなかった。
きっと桐生さんだって、本気で私のことをいいなんて思っていない。少し持ち上げてくれただけ。
彼は優しい。
ああいう言葉を、さらりと言える人なんだ。
そう思うのに、胸がドキドキして落ち着かない。
桐生さんのことが頭から離れなかった。
やめて、心を乱さないで。
また勝手に期待して、同じことになるだけだ。
忘れよう、今日のことは。きっと私の思い違いだから。
呪文のように心の中で唱えながら、私はその日、眠りについた。




