第1話 関係ない
私が勤めているのは大手食品メーカーで、所属しているのは企画開発部。
新商品のアイデアを出したり、キャンペーンを考えたり。華やかに見えて実際は地味な仕事の連続だ。
この会社へは、大学のときに勧められて、その流れで入った。
特別な夢があったわけでも、どうしてもやりたかったわけでもない。
まあ私の人生は、いつもこんなふうに何かに流されていく。
自分で決めたことなんて、数えるほどしかない。
人の意見や考えに従っていた方が楽だし、間違いも起きにくい。
私が決めると、いつもろくなことにならない。
それに、なぜか自分で選ぶと「間違えた」と思ってしまうことが多い。……いや、本当に間違っていたのかどうかはわからないけれど。
私が何かを決めて、人から評価されたり、褒められたりした記憶はない。
だから、自分の考えや意見に自信が持てなかった。
何をしても、人より劣っているような気がする。
誇れるものなんて何もない。
……いや、一つだけ。
「優しい」って、言われたことはあった。
それくらいだ。
きっと、それしか褒めるところがないということなんだろう。
私は平凡な人間なんだと、ずっと思っていた。
「せんぱーい、これお願いしますぅ」
声と同時に私の目の前へドンっと資料の山が置かれる。
一瞬その高さを見つめてから、ゆっくり視線を横へ移した。
そこには、お洒落で可愛い女性社員が立っていた。
くるくるに巻かれた髪を指先でいじりながら、にこりと笑っている。化粧はばっちりで、マスカラとアイラインで縁取られた目が、ぱちぱちと瞬いていた。
「ね、せんぱい、これやってくれます? 私、ちょっと手一杯なんですよぉ」
体をくねっと器用に捻り、ウインクを飛ばしてくる。
ふわりと甘ったるい香りが漂ってきて、思わず身を引いた。香水なのかな……少し酔いそうな匂い。
「うん、いいよ」
そう返すと、彼女は嬉しそうに手を鳴らした。
「わあ! せんぱいって優しい! ありがとうございます~」
言うだけ言って、くるりと背を向ける。
そのままスタスタと自分の席へ戻っていった。
通り過ぎるたびに、男性社員たちの視線がちらちらと向けられているのがわかる。
彼女は、この部署のマドンナ的存在だ。
私より二つ下の後輩で、新入社員の頃から明るく皆の人気者だった。特に男性社員から。
でも、女性社員ともちゃんとうまくやっている。人の懐に入るのがとても上手な人だ。
私とは正反対。
なんとも羨ましいし、憧れる存在でもある。
どうしたらあんなふうに生きられるのか、教えてほしいくらいだ。
そんな彼女はなぜか私に懐いていた。というより頼ってくれている……ようだった。
仕事をよく振ってくる。
頼られるのは嬉しい。ただ、私自身も仕事が詰まっているときは、正直少し面倒に感じることもある。
それでも彼女の頼みを断ることはできなかった。
断ったら、会社での私の立ち位置がきっと危うくなる。
私は企画部の片隅で、ひっそりと働くしがない女性社員。彼女のようなマドンナに逆らうなんて、許されない。
それに、頼ってもらえるのはやっぱり嬉しかった。
誰かに必要とされている気がするから。
「よし、頑張るか」
小さく呟いて、私は資料を手元に引き寄せる。
自分の仕事と彼女からの仕事。どちらも終わらせるために、急いで作業に取りかかった。
昼休みが終わって部署へ戻ると、なにやらざわついていた。
ん? どうしたんだろう。
足を止めて辺りを見まわすと、部長の机の周りに人だかりができている。
いったい何事かと、そっと様子をうかがうように近づいた。
人波の隙間から中を覗き込むと、見慣れない男性が部長と談笑していた。
わあ、格好いい人だな。
それが第一印象だった。一目見ればわかる。
高身長ですらりとした体形。モデルみたいに手足が長く、バランスのとれた体。
そして彼が纏っているのは高級そうなスーツ。それを当たり前みたいに着こなしてしまう、圧倒的なイケメンオーラ。
極めつけは、その顔立ち。端正な顔に爽やかな笑顔。
俳優かモデルかと思うほどの、完璧な容姿だった。
……まあ、でも、それで「好き」とか「惚れた」とかは、ないけどね。
心の中でそうつぶやいた、その瞬間。
「ね、超イケてる~」
「ほんと、誰なの? あのメンズ」
「知らないよ。これから紹介あるんじゃない?」
隣にいた女性たちが、ざわざわと騒ぎ出す。
どうやら、誰も彼の正体を知らないらしい。昼休みの間に部長のところへやってきたのだろうか。
これから紹介されるのかな、うちの部署に来るのかもしれない。
……いや、そうとも限らない。どこかの営業さんや取引先の人かもしれない。
そんなことを考えながら、なんとなく視線を向けていたそのとき。
ふいに、彼の目がこちらを捉えた。
視線がばちっと重なる。
ドキッ。
心臓がいっきに跳ね上がり、すぐ視線を逸らした。
な、なに……?
びっくりしたあ。
「ちょっと、今こっち見た?」
「見た、見た。どうしよう~」
女性たちがまた楽しそうに騒ぎ出す。手を叩いたり、顔を寄せ合ったりして盛り上がっていた。
……そ、そうか。あの子たちを見たんだよね。
たまたま、私と目が合っただけ。
そう自分に言い聞かせて、ほっと息をつく。
それにしても驚いた。
あんなイケメンと目が合ったのなんて、生まれて初めてだったから。そりゃ動揺もするよ。
というか、男性と目が合うこと自体滅多にないからな。
そう。
私は人が苦手だ。でも、男性はもっと苦手だった。
なんでかって?
だって、ずっと関わることがなかったから。
向こうから近寄ってくることもないし、私から近づくこともない。話すことも話しかけられることも、ほとんどなかった。
人生で必要最低限しか関わってこなかった。
まあ学生の時は少し話すこともあったけど……。社会人になってからはなおさらだ、仕事の話くらい。
私ははっきり言って、男性への免疫がない。
そんな私に、あのイケメンはかなり堪えた。いきなりハードすぎるでしょ。
でもまあ、大丈夫。なにも心配するようなことはない。
私には関係のないことだから。
きっと、もう関わることはないだろう。




