第15話 呼ばれた気がした
翌朝、出社するとさっそくエントランスで桐生さんと遭遇した。
気持ちがざわつく。なにか話さなきゃと思うのに、言葉が喉の奥で絡まったまま声にならない。
「あ、あの……」
「おはよう」
それだけ言って彼はすぐに背を向けた。
拒まれた気がして、胸がぎゅっと締めつけられる。
怒っている。昨日のことでやっぱり誤解しているんだ。
去っていく背中を目で追うけれど足は動かない。
呼び止める勇気もなく、彼はそのままエントランスを抜けていった。
じくじくと胸が痛む。こんな感覚は初めてだ。
好きな人に冷たくされるってこんなにも堪えるものなの。このまま続いたら心がもたないよ。
会社に行くの嫌になりそう。
ふと浮かんだ考えにすぐ苦笑した。
我ながら小学生みたいな発想で情けない。社会人として、これはダメだよね。
仕事が始まってからも、パソコンの画面に顔を向けながらそっと視線だけを横に滑らせる。
席は離れているけれど、ここから少しだけ彼の姿が見える。
真剣な表情で仕事をしている桐生さん。
相変わらず格好よくて、気づくと見惚れてしまっていた。
はっとして視線を戻す。
違う、そうじゃない。
ぼんやりしている場合じゃない。誤解を解かなきゃいけないのに、何をしてるんだろう。
しばらくして、彼が席を立った。
近くを通る瞬間に声をかけようとしたけど、結局何も言えないまま、通り過ぎていく背中を見送るだけだった。
そんな器用なこと、私にできるはずないじゃない。
こういう展開、ドラマでよく見る気がする。
彼女たちは、どうやって乗り切ってたっけ。思い出そうとしても肝心なところが浮かばない。
小さく息を吐いたそのとき、どこからかくすくすと笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、後ろの席の女性たちが顔を寄せ合って話している。
向けられた視線がじわりとまとわりついた。
嫌な予感がする。あの目は悪意があるときの目だ。経験上、よく知っている。
私は視線をそらして前を向いた。
それでも気になって、耳だけが勝手に拾ってしまう。
「ね、見てよ、あれ」
「あの子、勘違いしちゃってさ」
「いい気味じゃない? 最近、調子乗ってたし」
「桐生さんがあんな子、相手にするわけないじゃん」
小さな笑いと一緒に投げられる言葉。
その矛先が私だと、すぐにわかった。
桐生さんが私を避けているのに気づいたんだろう。今まで親しくしていたことが、相当気に入らなかったらしい。
かっと身体が熱くなる。
なんでこんなこと言われなきゃいけないの。
わかってる。桐生さんと釣り合わないことくらい、自分が一番わかってる。
でも、あんなふうに迫られて甘い言葉を言われ続けたら……舞い上がってしまう。
そして、好きになっちゃうじゃない。
そうよ。私は桐生さんのことが好き。
気づいたばかりなのに、今度は彼のほうが距離を取るなんて。しかも、悪口のオンパレードときた。
なんなのよ、もう。
私は耳を塞ぐこともできず、意地悪な言葉にただ耐え続けるしかなかった。
お昼のチャイムが鳴ると同時に、私は桐生さんへ視線を向けた。
彼は立ち上がり、席を離れていく。
後を追いかけようかと一瞬迷ったけれど、やっぱり足は動かなかった。
話しかける勇気なんてないし、周りの目も気になる。今声をかけたらさらに噂が立ってしまうかもしれない。
そんな考えが頭を占めて、胸のあたりがきゅっと縮こまる。
怖い。これ以上傷つきたくない。
でも、このままじゃなにも変わらない。
そう思っているうちに、桐生さんの姿は人の流れに紛れて見えなくなってしまった。
「……はぁ」
机に突っ伏した、そのとき。
「あの、望月さん」
声に振り返ると、入口付近に土岐くんが立っていた。
「え! 土岐くん?」
思わず目を見張った。幸い私の席から入口までは近い。
そのまま立ち上がって、彼のほうへ歩み寄る。
「どうしたの?」
声をかけると、土岐くんはいつものようににこりと笑った。
気づけば私は食堂のテーブルに座っていた。
本当は、いつもどおり一人で食べるつもりだったのに、向かいには目を輝かせた土岐くんがいる。
「わぁ、おいしそうですね」
嬉しそうに微笑む彼の前には、ハンバーグ定食。
ちなみに、私の前にあるのはサバ定食だ。
さっき、彼にランチへ誘われた。
声をかけられた瞬間はなにか用事でもあるのかと思ったのに、まさかのランチのお誘い。
いつも一人で食べていたから、誰かに誘われること自体が珍しくて余計に驚いてしまった。
特に断る理由もなく、私は彼の誘いを受けた。
……いや、正直に言えば、嬉しかった。
だってランチに誘うためにわざわざ探してくれたってことでしょ。
それって、私のことを少しでも好意的に思ってくれているってことで。
「必要としてくれた」その事実が、心の奥深くに静かに響いた。
ふと顔を上げれば視線が合って彼がふわりと笑う。
ほんとに可愛い。
一緒にいると、自然と力が抜けて気持ちが落ち着くんだよね。
それにしても……。
彼が選んだハンバーグ定食に目を向ける。食堂に着くなり、迷いもなく注文していた。
好物なんだろうな。なんだか、すごく似合う。
それだけで、胸がふわっとあたたまった。
「望月さんはサバが好きなんですか?」
彼も気になったのか、私の頼んだサバ定食に目を向けていた。
「うん、まあ。お魚は好きだよ」
――あ、自然とため口になっちゃった。
そう思った瞬間、彼がやわらかく笑った。
「そうですね。そろそろお互い敬語はやめにしませんか。
僕も、そのほうが嬉しいです」
ほんのり赤くなった頬。その照れた表情に、思わず視線を逸らす。
「そ、そうだね。じゃあ……そうしよっか」
なんだか落ち着かない。胸のあたりがむずむずする。
甘酸っぱい名前のつかない空気が漂った。
ふと、二人の間に沈黙が落ちる。
「それじゃあ、いただきます」
土岐くんが、明るく声を上げた。
「いただきます」
私も手を合わせ、箸を取る。
食べながら、つい彼のほうを見てしまった。
それにしても見事な変身ぶりだ。
昨日の彼とはまるで別人。今はどこにでもいそうな地味な社員にしか見えない。
あのアイドルみたいな男の子はいったい……。
じっと見ていると、ふと彼が顔を上げた。
「なに?」
不思議そうに首を傾げる仕草がまた可愛くて、心の中で小さく悶える。
「ううん、なんでもない。それより……話ってなに?」
そう。これが本題だ。
さっき、彼は「話がある」と言っていた。
だからランチに誘われたんだ。危うく忘れるところだった。
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