第12話 聞いてない
その日は、なんだかんだで桐生さんを避け続けた。
できる限り距離を取り、視界に入らないように動く。フロアを歩くときも無意識に彼のいない方を選んでいた。
とはいえ仕事は無視できない。
業務の用件で話しかけられたときだけ、必要最低限の返事をして、すぐにその場を離れる。
彼がこちらへ向かってくる気配を感じた瞬間には、理由をつけて背を向け、足を速めた。
それの繰り返しだった。
それでも桐生さんは優しかった。
これだけあからさまに避けていれば、気づかないはずがないのに。無理に距離を詰めてくることはなかった。
短気な人や気遣いのできない男性なら、強引に話しかけてくるだろう。
でも彼は、そういうタイプじゃない。さすがだ。
ただ時折、ふいに目が合うと――せつなそうな瞳でこちらを見てくることがあった。
何度か声をかけようとする気配も感じた。そのたびに自然を装ってかわす。
書類に視線を落としたり、別の用事を思い出したふりをして、その場を離れた。
こういうの得意なんだよね。
さりげなく人から距離を取ったり、存在感を薄くしたり。
小さい頃から身についた癖みたいなものだった。
でも、本当はわかっている。こんな関係のままじゃ駄目だって。
わかっているのに、体が反応してしまう。
彼と真正面から向き合うのに耐えられず、どう接すればいいのかわからなくて距離を取ってしまう。
そんな日々が、静かに続いていった。
* * *
そして日曜日がやってきた。今日は土岐くんとの約束の日。
天気は快晴だった。
窓を開けると、爽やかな日差しとあたたかな風が部屋に流れ込んでくる。
「さて……と」
そろそろ出掛ける準備を始めないと。
軽く化粧を済ませ、クローゼットを開けた瞬間、私は動きを止めた。
女の子らしい服が、ない。
というか、男性と出掛けるための服なんて、そもそも持っていなかった。
普段は一人で出掛けることばかりで、誰かと一緒に過ごすなんて滅多にない。
ましてやデートなんてしたことが――
――って、違う。デートじゃない。
ちょっと付き添うだけでしょ。妹さんのプレゼントを選ぶだけなんだから。
そう、そうよ。落ち着け、私。
しかたなく、いつもの服に手を伸ばす。
少しダメージのあるジーンズに、真ん中に可愛いキャラクターが描かれた白いTシャツ。その上からカーディガンを羽織る。
鏡に映る自分を見て、小さく「うーん」と唸った。
こ、これでいいのか……よくわからない。
でも、まあいいか。いつも通りで。
だって、デートじゃないし。
そう結論づけた私は、そのままの格好でバッグを掴み家を出た。
待ち合わせは駅前だった。
日曜日の午後ということもあって、広場は多くの人でにぎわっている。
カップルに友達同士、親子連れの姿もちらほら。
みんな笑い合っていて楽しそうな雰囲気に満ちていた。
そんな空気に包まれていると、不思議とこちらまで気が緩み自然と頬がゆるんでしまう。
「土岐くんは……」
周囲を見回してみたけれど、まだそれらしい姿は見当たらない。
どうやらまだ来ていないらしい。
春とはいえ、陽ざしの下に立っていると少し暑い。涼しさを求めて日陰を探し、木陰になったコンクリートの縁に腰を下ろした。
ここで待っていよう。
ぼんやりと人波を眺めていると、ふと、ある姿が脳裏に浮かんだ。
トクン、と胸が小さく鳴った。
……桐生さん。
まだ、きちんと向き合えていない。
あんなに真っ直ぐに向かってきてくれる彼に対して、私は避けてばかりだ。
ほんと、情けない。
いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。このままだと、どんどん気まずくなっていくってわかっているのに。
うーん、いったいどうしたらいいんだろう。
「望月さん」
突然、名前を呼ばれビクッと肩が揺れた。
振り返ると、そこには爽やかなイケメンが立っていた。
「え?」
……だ、誰?
見覚えはない。それなのになぜか目を逸らせなかった。
やわらかな髪が風に揺れ、大きな瞳がまっすぐこちらを見ている。
透き通るような白い肌は陽ざしに映えて、現実味がないほど綺麗だった。
天使みたい。
少し大きめのシャツにニットベスト。足元は白いスニーカーで、腰には小さなショルダーバッグ。
気取っていないのに、やけに様になっている。
……モデル? 芸能人?
ぼんやり見つめていると、その男性が照れたように微笑んだ。
「望月さん、どうしたんですか? 僕、土岐です」
その言葉に、私は固まった。
「えーーー!」
目を剥くと、彼も驚いたようにこちらを見返してきた。
「え、え! 土岐くんなの?
だって、全然ちがうじゃない」
「……ああ。いつもは、眼鏡してますもんね」
彼は軽く笑ったけれど、そんな問題じゃない。
普段の彼は、大人しくて、眼鏡をかけていて、少し俯きがちで、
どこか影の薄い印象だった。服装も地味で、垢抜けた雰囲気はなかった。
……いや、それは失礼か。
でも、やっぱりこれは、見違えるほどの変身だ。
「望月さんも、普段と印象が違いますね」
そう言われ、私は自分の服装を見下ろした。
しまった。
もう少しお洒落してくるべきだったかも。
まさか、彼がこんなに格好いいなんて思っていなかった。
隣に並ぶの、ちょっと恥ずかしい。
「あ、その……ごめんなさい。
お洒落とか、してこなくて……」
申し訳なさが先に立って、ぺこりと頭を下げる。
「何言ってるんですか? そのままですごく可愛いですよ。望月さんって感じで」
可愛い――その言葉は素直に嬉しい。
いや、お世辞かもしれないけれど。
でも、“私らしい”って……。
ああ、そうか。質素な格好が、私らしいって意味ね。
土岐くんは褒め上手だなあ。
自嘲気味に笑っていると、彼が穏やかな声で言った。
「さ、行きましょう」
歩き出すと、通りすがる女性たちがちらちらと彼を見つめていく。
わかる。
私も、さっきまで見惚れていたから。
まさか、彼がこんなふうに変わるなんて思わなかった。
……なんで会社では、あんなに地味な姿をしているんだろう。




