西日の差す喫茶店にて-七夕〈たなばた〉-
「パパ、きょうかえってくるの?」
明るい栗色をした長い髪の少女は、テーブルの上に置かれたオレンジジュースの大きなコップを両手で抱えるように持ち、ストローから口を離すなり言った。
「まだお仕事が忙しくて、帰ってこられないんだって」
彼女の母親はコップが落ちないように手を添えている。
「ふーん」
「せっかく短冊にお願いを書いたのに、残念ね」
「うん、ざんねん」
言葉とは裏腹に、少女はそんなに残念そうな様子ではなかったが、言い終えるとまたジュースを飲み始めた。
喫茶店の店内にはとても静かなピアノの曲が流れていた。それはピアノの旋律だけで、その一音一音がキラキラとしていた。
客はこの親子ふたりだけ。
クーラーの風が吹くと、観葉植物の葉がさわさわと揺れた。
カウンターの奥にいるマスターは、ふきんを手にコーヒーカップを拭いていた。
少女はしばらくジュースを飲んでいたが、思い出したように言った。
「パパ、いつかえってくるの?」
「もうすぐ帰ってくるわよ」
「もうすぐって、いつ?」
「そうね……。もうちょっと涼しくなったころかな」
「ふーん」
少女はまたジュースを飲み始めた。
母親はスマートフォンのメールを開いた。そこには、タイトルにRe:と書かれたいくつもの英語のやりとりがあった。
彼女はそのひとつひとつを開いてみるが、そのどれもほんの短い英語の文章が書かれているだけで、続けて、“love”、そしてイニシャルがしたためられていた。
最後のメールは、とても短く緊迫した内容だった。ローマ字では読みにくい地名が添えられ、それはメールの送信者が新聞にも載るような紛争地にいることの証だった。
そして、“miss you”。イニシャルはなかった。
日付はふた月以上も前のものだった。
「パパ、どこにいるの?」
少女がたずねた。
「とっても遠いところよ」
「とおいところって?」
「ママもよく知らない、とっても遠いところ」
「それ、おほしさまみたい」
「お星さま?」
「うん。せんせいがね、おほしさまはとってもとおいところにあるんだっていってた。でも、きょうのよるにあえるんだって」
「そうね。今日は七夕だから、織姫さんと彦星さんが年に一度だけ会えるのよ」
「ふーん。でもパパにはあえないの?」
「そうね……」
母親はふたたびスマートフォンのメールに目をやった。画面をタップして更新してみるが、新しいメールは入ってこなかった。
彼女はスマートフォンを消して、沈んだ表情でコーヒーカップを見つめた。
その時、カランカランと店のドアが開く音がした。
「ダディー!」
少女はそう叫びながら、同時に入口へ向かって駆けていった。
母親が振り返ると、褐色に日焼けした金髪の背の高い男が、両手で少女を抱き上げているところだった。
そして男は少女越しに母親を見ると、はにかむような表情をした。