015.社会科見学編-6
外界調査局の通路を、三人と一柱の守護神が歩いていた。目的地は、廃棄された旧観測装置──第03特異区画。
名目は「遺失物件の探索」。けれど、加藤にはとても落とし物を拾いに行く程度の軽さには思えなかった。
「……あのさ。俺たち、まだ見習いだよね?」
「うん、そうだね〜」
「でさ、その見習いが旧観測装置の調査とか、絶対おかしいと思うんだよ」
「うんうん、正常な感覚だね〜」
「同意してないで止めてよ!!」
「でもさ〜、こういう任務って一回こなすと、周囲の見る目変わるんだよ? ほら、ポイント制だし〜」
「え、それなんのポイント? 死の間際ポイント? 殉職ランクアップシステム?」
「……騒ぐな。もうすぐ到着する」
氷呉の声に従って、彼らは分厚いセキュリティドアの前に立った。
ドアには、過去の封印痕がいくつも刻まれていた。観測不能、記録断絶、記憶障害。嫌な予感しかしない札が、まるで呪符のように貼られている。
「ほんっとにここ入るの? いや、絶対なんかおかしいって……雲居さん、こんなとこに俺たち送るとかマジ鬼上司……」
「本当に鬼かもしれんな、あやつ」
「うわレアーまで同意するってことは……」
「死ぬかもしれぬな。じゃが、命令には逆らえん。上からの指示じゃ、“君たちの成長のため”とか何とか言っておったわい」
「死んだら成長どころじゃないんですけど?」
がちゃり、と音を立ててセキュリティが解除される。中は……思ったより静かだった。
霧。白く、深く、視界を削る霧。
冷たい空気が、まるで首を撫でるように流れ込んでくる。
「……なんか、寒い……」
加藤が自分の腕を擦る。すると──
「よう。生きてたのか」
唐突に、背後から声がかけられた。
「うわぁぁあああ!? 誰っ!?」
振り向いた先には、見慣れた顔が立っていた。
それは……加藤自身。だけど、違う。
目に光がなく、笑みが貼りついたまま動かない。まるで映像の中の存在のように。
「お前さ……あの時、ちゃんと泣けなかったよな」
「な、なんで……それ、知って……」
「お母さんの葬式で、涙の一粒も出なかった。それが、後になってずっと苦しかったろ?」
「やめろ、喋るな……!」
加藤の膝が、崩れ落ちそうになる。夏目がすぐに駆け寄り、加藤の肩をがしっと掴んだ。
「──加藤くん! 聞こえる?」
「な、夏目……」
「これは霧の幻覚。記憶に侵食するタイプだよ。落ち着いて。自分の意思を確認して。ゆっくりでいいから、戻ってきて」
その声で、加藤の視界に明かりが差す。
見つめ直すと、“自分”の姿をしたそれは、うっすらと透けはじめていた。
「……お前は、偽物だ……!」
右手に、再びレアーの概念具現:スコップが顕現する。
足元の大地が能力でうねり、加藤は地面を強く掘り上げた。砕けた床から解放された地脈が、衝撃波となって偽の自分を直撃する。
「俺は……今を生きるって決めたんだ!!」
地割れから放たれた石の槍が、偽の自分を貫き、光と共に砕いた。そして彼は、光に包まれ霧と共に静かに消えていった。
静寂が、訪れる。
「ふぅ……」
「加藤くん、よく頑張ったね〜」
「ちょっと泣いたかも……」
「でも、まだ終わりじゃない」
氷呉が低く告げた。
その指差す先、廊下の奥。旧観測装置が見えていた。そして、その前に誰かが立っている。
制服姿の女性だった。調査官の制服。だがそのデザインは古く、記録でしか見たことのない年代のもの。
表情はない。ただ、じっと、霧の奥からこちらを見ている。
「一ノ瀬、あれ……」
「実在じゃねぇ。記録に残らない職員……過去の事故記録で、たびたび語られる目撃者のいない職員だ。おそらく記憶干渉型の未確定存在」
「ってことは……?」
「近づくな……!」
遅かった。
女性型の幻影がふわりと手を伸ばして、触れた先は夏目の額。指先が少しの力を加えて彼の身体を押した。
「……あ」
一瞬で彼の目の焦点が失われた。
力なく、ふらりと後ろに倒れそうになる。
「夏目!!」
加藤が受け止めようと手を伸ばすが、誰より早く動いたのは氷呉だった。
彼が握る短剣、その柄に埋め込まれた“結界転写珠”が淡く輝く。
「……夜沈」
短剣が彼女に触れた瞬間、暗かった空間がさらに夜を迎えた。氷呉の《夜》の能力が放たれたことで、闇は短時間の夜を創り出し、霧の干渉を完全に遮断した。
苦しそうに叫ぶ彼女の精神が壊れ始めたからか、周囲の霧はスッと晴れ、夏目の意識が戻った。
「う、わ……目回った〜……」
「大丈夫か、夏目」
「うん……ありがとう、氷呉〜。なんか昔のこと思い出して、グラグラしてた」
「記憶を喰われる前に間に合ってよかった」
「っていうか一ノ瀬、強くね!?」
「……あれは精神攻撃だ。お前と違って派手ではないけどな」
「綺麗でござんした」
「拝むな」
そんな騒がしさが戻るころ、旧観測装置が静かに停止音を鳴らした。
「これで……任務、終了?」
「いや──」
加藤の目が、装置内部の記録ディスクに向いた。
「何か、残ってる……」
霧が晴れ、ディスク内に保存された音声ファイルが自動再生される。
『──こちら、旧観測局員、東条。記録保持限界につき、本記録は最後の発信となる』
『霧は、記憶の奥底にある傷を吸い、それを人に見せる。過去を暴く者を、喰う』
『……もし、これを聞いているなら。どうか想いに負けないでくれ』
『我々が、ここにいた意味を──繋いでくれ……』
音声が終わると同時に、ディスクは静かに壊れた。
誰も言葉を発さない。ただ重く、意味のある沈黙が場を支配した。
「──帰るぞ」
氷呉の言葉に、三人と一柱の守護神は、ゆっくりと歩き出した。
霧が完全に晴れた先、見慣れた施設の廊下が、あたたかく迎えてくれていた。