010.社会科見学編-1
「加藤、今日は中村来るらしいぞ。多分遅刻ギリギリだと思うけど」
朝からそんな嬉しい知らせを教えていた秋山にはきっと中村から連絡が来ていたのだろう。加藤も目を輝かせて秋山の手をブンブンと振っている。
だが、そんな加藤の純粋な気持ちも朝礼後には無くなっていた。
「……悄気ないでって言いませんでした?」
「期待値が高かった分、なぜ未だに来ていないのか理解ができなくて……」
「すいませーん。隣がネチネチ湿っぽくてうっとうしいので、窓開けてもいいですか」
「佐藤さーん? 俺を慰めるとかないわけ?」
隣の席でそんなしょうもないやり取りをしていると、今朝配られた資料を持って秋山がやって来た。
「あー、ごめんな。行くってメールでは来てたんだけど……」
「いや、秋山が謝ることじゃない。それに俺の知ってる中村に似すぎてて、今少し殴りたくなっているところだ」
黒い一面を見てしまった秋山は聞かなかったことにしていた。そんな彼らに突進して来たのは、言わずもがな熱い男、松岡だ。彼は開口一番に肩を組んだ秋山に笑いかける。
「秋山! 俺達は一緒に船に乗るぞ!」
「断る」
「何で!?」
ガーンと効果音が付きそうなほどに衝撃を受けた表情をしていた。
加藤は周りを見渡して、そういえば朝礼後、教室は社会科見学の話で持ちきりだったことを思い出した。適当に松岡をあしらって春日の元へ返した秋山は二人に向き直って話を振る。
「加藤と佐藤は見学先どうするんだ?」
「見学先?」
「あぁ、社会科見学って名前だけど言わば職場体験みたいなものだ。俺達も高校生だからな、そろそろこの世界の仕事についても知っていく機会として設けているらしいぞ」
今朝担任から配られた資料にも職場体験と、そう記載があった。ホッチキスでまとめられた資料の二枚目以降は職場体験先の一覧が載っている。
「秋山はどこにするんだ?」
「俺は、去年も行ったけどやっぱり介護施設だな」
「へぇ~、確かに秋山に介護されるなら安心だもんな。分かる」
「ありがとな。佐藤はもう既に決まってるっぽいけど、加藤は悩み中か?」
「まぁ……てか、お前決まってんのかよ」
「私はケーキ屋一択」
「ケーキ食いたいだけだろ」
目を逸らした佐藤にため息をこぼしながら、再度資料に目を向けた。その中で目に留まったものを見学希望先に記入した。
提出期限は放課後まで。その時刻になればアラームのように声をあげる者が現れる。
「はーい、放課後です! 希望先提出お願いしますよ! 宛先は私南雲まで! お便りお待ちしてますからね!」
「次期委員長って、ちょっとバカっぽいよな」
「あーあいけないんだー、南雲ちゃんにチクっちゃお」
「あぁ、お前の方がバカっぽかったわ。悪い悪い」
「……だる」
「皆さん、ご協力ありがとうございます! それでは本日中にメールが届きますので確認してください。明日から頑張りましょう!」
その言葉を合図に皆は帰宅の準備にとりかかった。それぞれが教室から姿を消す中、加藤は前でゆっくりと支度をする結城に目を向けていた。
そんな加藤に異変を感じたのが佐藤だった。覗きこんで、目線の先を辿り、ハッとしたような表情を浮かべる。
「加藤!」
「結城さんって、やっぱり可愛いよな。よし、今日こそ一緒に帰るぞ」
「え、え……」
「結城さん!」
「ん~? あっ、かとーくん。どーしたの?」
「今日、途中まで一緒に帰りませんか」
「いいよ~」
思わずガッツポーズをした加藤。そんな彼の背中を眺めている佐藤はため息をついて少し悲しそうだった。
「私のことはどうするのよ……」
「佐藤さんのことは俺が責任を持って送るよ!」
「……誰?」
ガーンと効果音が付きそうなほどにショックを受けている竹内。この表情をさっきも見た気がする。なぜ竹内が彼女に声をかけたのか。そう、彼も密かに佐藤を見ていた。外見がタイプだったらしい。
「俺、竹内です。佐藤さんは特別に誠人と呼んでもいいけど……って、あれ!?」
「加藤と帰りたかったのに、ばか」
「アイツのどこがいいんだよ~」
「色々あるの! アンタは知らなくていいわよ」
前の世界で加藤と出会った時の事を思い出した。ただ、その記憶は曖昧で欠片のような一瞬。そんな彼女の横顔を見て竹内は励ますように声をかけるが、それを無視して佐藤は歩き出す。そんな二人の前を歩く加藤と結城は明日の社会科見学について話していた。
「結城さんは、どこに行くんですか?」
「私はパン屋さんかな~」
「可愛いです」
「かとーくん、どーしたの?」
「あっ、本音がつい……」
「かとーくんおもしろいね~。かとーくんはどこに行くの?」
「パン屋です」
真顔で言い放つこの男は、玄関先で待っていたレアーが頭を抱えるほどに単純な男だった。
「お主、パン屋と書いてはいないじゃろう」
「今ならまだ間に合う」
「…………無理に決まってるじゃろ」
「あーーあー……」
ごもっともなレアーの言葉に電柱に抱きつくという独特な悔しがり方をしていた加藤を、後ろの佐藤と竹内がしっかり引いていたことを彼は知る由もなかった。