12 亡命
司隷校尉が代わってたった数日で、休沐で家に帰ろうとした宦官達が次々捕まり、洛陽獄へ放り込まれた。李膺が司隷校尉だった時と同じく、宦官達はまた休沐で家に帰らなくなった。
陽球は留守宅も狙い打ちにした。宦官達のきらびやか自宅自体を取り締まりの対象にしたのである。留守を守るものたちは家の飾りを剥し、地味な装いに変え、苦難の時を乗り越えようとした。
うす汚れはじめた宦官たちは、皇帝劉宏の裾にすがった。
「朕に何かしてもらいたいの?」
「司隷校尉を解任してください」
「お前達が球を司隷に勧めたんじゃないか。その司隷に落度が在る証拠は?」
「では大赦を……大赦をお願いします」
洛陽獄に捕まった宦官達の助命の為である。
劉宏はこの願いを容れた。日食から二十四日も経って大赦が行なわれた。
「洛陽獄の拘束されていた罪人を全て許し、解放しました」
陽球は報告した。宦官は一人も解放されなかった。陽球が嘘を言ったのではない。皆既に殺されていたのである。陽球にその点ぬかりは無かった。
***
この大赦の詔は張り巡らされた郵により、全国に伝えられた。むろん、それは五原安陽の蔡邕にとっても吉報だった。
「洛陽に帰れるぞ!」
そう言って娘を両手で持ち上げた。はしゃぐ娘を見ながら、
(この利発な子をこんな僻地で過ごさせるわけにはいかない)
そう決意した。北地は厳しい。一冬過ごすだけで死ぬ思いであった。
蔡邕と蔡質の両一家はあわただしく帰路の支度をはじめた。
元々罪人として来ているのである。財があるわけでもない彼らである。この北地から徒歩での帰還を考えると頭が痛かった。
「それは大変な事。この王智がよいようにいたしましょう」
支援を申し出てくれたのは五原太守である王甫の弟であった。
洛陽ではすでに王甫の一家は滅ぼされていたが、公事の大赦と違い、私事のそれはこの北辺に伝わっていない。後ろ盾となる兄がもうこの世に居ないことを王智は知らず、郡太守の大人気分のままなのである。
王智が提供してくれた車に荷物を載せ、ようやく蔡家の旅の支度が整った。
「餞に別れの宴など一つ」
気が進まない蔡邕だったが、さすがにこれを断われなかった。
王智に建ててもらった屋敷で盛大な別れの宴が開かれた。
北の辺境とは思えない珍味佳肴が並び、安陽の人々がお祝いを言いに参上する、賑やかな宴となった。
宴もたけなわの頃、王智が立ち上がるとくるり、くるりと舞始めた。思いの外達者な舞である。ぴたり、と動きを止めると蔡邕を誘った。
「さぁ!」
返礼の踊りを要求したのである。だが蔡邕は立ち上がらなかった。
「……!」
王智の顔色は元々酒と踊りで赤かったが、みるみるうちにそれを上書きし真っ赤に染まった。
「お、俺を!軽んじているのか!」
叫んだ。蔡邕は無言で衣を払って立ち上がり退出した。後ろから王智のわめき声がする。叔父蔡質が追いついた。
「王五原はカンカンだぞ」
「叔父上、すいません。どうしても気が乗らなかった」
「判ってる。とにかく逃げよう」
すでに車の準備は出来ていた。一家は逃亡を開始する。
すぐに後ろから車で追うものがある。
「待てぇ!」
当然、王智であった。
王智が馬であったら追い付かれたであろう。だが車である。速度にさほどの違いが無く、なかなか差は詰まらない。もともと安陽は朔方郡との境の県である。すぐに郡の境界に辿り着いた。太守といえども隣の郡では何の力も持たない。王智は郡境で罵詈雑言を叫ぶくらいしかできなかった。
「訴えてやる!」
「都に帰っても貴様の安住の地はないぞ!」
だがその声は確実に二人に届いていた。
「邕、どうする?」
「王甫の親族を辱めたんです。都には戻らない方が無難でしょうね……」
二人とも王甫が既にこの世に居ない事を知らない。
「そうですね……海を渡り、楊州へでも渡りましょうか。呉にでも行けばさすがに追っ手はこないでしょう。寒いところはこりごりです」
結局、蔡邕の呉への亡命は十二年の長きに渡る事となる。




