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俺解釈三国志  作者: じる
幕間7 酷吏二人(熹平六年/177)
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11 牙(光和二年/179)

「私は反対する。あんな狂犬、とてもではないが許容できない」


 張讓は頑強に主張した。


「気持ちは判るなぁ」


 趙忠は張讓に追従はするが、積極的な意見は述べなかった。


「だが実際、婿殿は頼りになるだろう?」

「程中常侍は当事者だ。黙ってて頂こう」


 張讓に語気に程璜は黙り込まざるを得なくなる。


「……」


 曹節は、皆の意見が出そろうのと待っているようだ。


 洛陽宮の奥で行なわれる宦官達の会合。議題は無論、陽球を司隷校尉に進めてよいか、という事である。


 会合が始まって二刻よじかんになるが、結論は出ていない。


 原因の一つは現在の司隷校尉が任期を満了しておらず、解任に理由が必要な事。そうでないと彼の官歴に瑕が付くのである。金をもらって司隷校尉にしたのである。こちらの都合で替えるのだから瑕は可能な限り避けてやりたい。


 そしてもう一つは、陽球という人物に対する宦官の意見が割れているからである。


 ほとんどの宦官が保留、中立であり、強硬に推進を主張するのが程璜だけ。そして強硬に反対を主張するものが張讓だけ、という状況である。


「いいかね?」


 もう無理か、と程璜が諦めかけた時、王甫が語りだした。


「私は陽球を司隷校尉に推したいと思う」


 王甫の目がちらりと程璜の方に流される。話が膠着するまで待ってから切り出したのも含め、程璜は「貸しだぞ」という意味に受け取り、慇懃に頷いた。


「皆もそうだと思うのだが、休沐の度に陽球が用を聞きにやって来るだろう?その機会にうちの息子に奴を観察させていたのだ。あれはもう我らの犬になっている、というのが息子の判断だ。蔡邕を殺す寸前まで追い詰めたアレはもはや士太夫の群れには戻れない、とな。私も同じ判断だ」

 

 息子、という言葉で、王甫の養子の官界復帰を助けよとの依頼であることと程璜は理解し、また頷いた。


「今の司隷は結局蔡邕を殺し切れなかった。陽球が司隷校尉だったならその申韓の知識で殺し切った筈。獰猛でも優秀な番犬なら、我らにも利はあるだろうしな」


 王甫の表明で風向きが変った。その変化に頷いて、曹節は告げた。


「司隷校尉の後任は陽球と決定する。だが、交替に際しては前任者に瑕が付かぬ様、機を待ってもらおう」


***


 光和二年閏四月朔日の昼、空が黄金の輪を残して暗くなった。金環皆既日食である。

 

 この凶兆に、太尉であった段熲が日食の責任を取る、という名目で自分自身を弾劾し、職を辞した。その際、司隷校尉も同じく自劾した。


 無論、後任は陽球である。


 数日待ってから、陽球は行動を開始した。


「臣球、誠に恐れながらお礼申し上げます」


 その日の朝議で、司隷校尉となったばかりの陽球が発言した。司隷校尉に就けてくれた謝恩か。皆そう思った。だが、その後に続いたのは告発の──報告だった。


「中常侍の王甫、淳于登じゅんうとう袁赦えんしゃ封錕ふうこん、中黄門の劉毅りゅうき、小黄門の龐訓ほうくん朱禹しゅう齊盛せいせい等は、及びその子弟で太守県令の者は、姦猾で縦恣ほしいままに振舞って居ます。罪には族滅がふさわしいかと。また太尉の段熲は佞臣です。誅戮なさるのがよろしいかと」


 劉宏は事態が呑みこめなかった。後ろに控える張讓に確認する。


「これ、司隷は何を言っておる?」


 答えは返って来なかった。劉宏が振り向くと張讓は卒倒しそうな顔で震えていた。

 

「なに、陛下の聖心にお留めくださる程の事ではありません。連中は既に捕まえ、獄に収容ずみです」


 そう言上すると、陽球は微笑んだ。


***


(ん……)


 ほほにべったりと貼り付いた土の冷気で王吉は目が醒めた。痛みで気絶していたらしい。背中の殴られた跡が熱い。


 洛陽獄。その奥の牢獄で、王甫の一家は陽球の楚毒ごうもんに遭っていた。


 べちん、という音と共にそばで叫び声がした。養父王甫の叫びだとわかったが王吉の心には響かなかった。


(それにしても見事なものだった)


王甫が休沐で帰り、屋敷の門が開いたところを急襲された。屋敷の用心棒も一瞬で殺され、身柄を拘束された自分達は瞬く間に洛陽獄まで連行された。


(為すすべもないとは、ああいうことだろうな)


 手枷足枷が邪魔で動けないが、首を持ち上げて養父の声の方を見る。


 陽球が、木の棒で養父の背中を叩いていた。横に転がされているのは兄、永樂少府の王萌である。


(自身で打擲とは、ご苦労な事だ)


 兄が叫んだ。


「我ら親子はもう死んだも同じだろう。父への拷問は加減してくれ」


 陽球は義父を殴る手を止め、兄を睨んだ。


「お前らの罪は死んでも償いきれないのに、なんで手加減されると思うんだ?」


 兄はその言葉に激怒したようだった。


「我らの奴隷だったくせに主に背くのか?!今日の行いは我が身に返ることだぞ!」


 兄の叫びはそこまでだった。


 王吉は陽球が兄に馬乗りになったのを見た。両手で土間の土を掬っては、兄の口に詰め込んでいた。兄は腰を突き上げてのけ反り、激しく首を振って土を吐き出そうとしていたが、陽球が執拗に詰め込んでいるとやがて動かなくなった。


 陽球は立ち上がると王吉の方に来た。自分は死ぬのだと判ったが、びっくりするほど冷静だった。


「方正殿」


 王吉に応えず、陽球は手にした棒を王吉の喉に擬した。


「刑の執行が恣意的ですぞ。あと、刑吏はそんな嬉しそうに処刑してはいけな」


 陽球が体重を掛けたので、それ以上声を出すことはできなかった。


(見込み違いだったかな?方正殿の器では世界は変らないかもしれない)


 王吉の願いはただ一つ。くそったれな世界を壊して世界を素晴らしいものに変えたいということ。儒者でも道士でもそれはかなわないと思っていた。だから法家になった。陽球を見ると、それは間違いだったのかもという気になった。


 薄れゆく意識の中で王吉は思った。


(曹孟徳ならどうだろう?あれは世界を破壊できる器だがそこまで行けるだろうか?)


 先が見れなくて残念だ、という思念を最後に、王吉の意識は途絶えた。


 翌日、洛陽の都の北の夏門に、一つの死体が磔にされた。


 衣服を剥ぎ取られ股間の痕跡まで晒されたその死体には「賊臣王甫」と書かれていた。

 元太尉の段熲が牢獄で楚毒に苦しみ鴆毒を乞うて死んだ、という話も明らかになった。


(これでようやく汚名を濯げるな)


 陽球はようやく胸のつかえが降りた気がした。


***


「婿殿!なんて事をしてくれたんだ!」


 自宅に程璜が乗り込んできた。


「なにもかもうまく行っていたのに!何故だ!?何故商売の邪魔をする?」


 陽球が冷たい目で睨むと程璜の罵声は止まった。


「中常侍。曹節を殺したら、あなたが大長秋だ」


 程璜は悄然として帰って行った。


 その夜、程夫人は、夫から激しさが失われた事を感じとった。薄目を開けて見るとその顔からは眉間の険も消えていた。

 今まで夫を衝き動かしていたのが情欲ではないのは知っていたが、ようやくその正体が判った気がした。この人は何かの怒りに委せて自分を抱いていたのだと。そしてその怒りが今日、きれいに消えてしまったと。


 程夫人は落胆した。肌で判ったのである。この人はただ義務で私と交わっている、と。


***


 陽球の地に落ちた声望は、戻ったかというと戻らなかった。


 今まで宦官の犬として士太夫に恐れられていたのが、士太夫からも宦官からも恐れられる様になっただけであった。

 宦官は陽球の視界に入るまいとした。士太夫は、陽球の前に来るとしわぶき一つない静粛を守るようになった。ただ、劉納の視線から敵視の色は消えた気がした。


(まだだ。まだ数日、落胆すまい)


 朝議の後、散会し帰ろうとする士太夫達に陽球は声を掛けた。


「どなたか党錮を解除する上表をしませんか?邪魔をする宦官共は私が捕らえましょう」


 皆が疑いの目で陽球を見た。


 ちょうど涼州上祿県の長、和海が上表していた。


「礼には別居し家計を別にする従祖兄弟は恩義も軽く、一族と数えません。今、党錮の対象になっている五族、というのは古法に照すと過ちと言えます」


 党錮として出仕不可となっている連座の範囲が広すぎる、という批判である。帝劉宏はこの情表を読むと、周囲に意見を求めた。しかし宦官は口をつぐんだままだったので、上表を容れた。これにより、党錮を解除されるものが多数出ることとなった。


 士太夫からの陽球への視線は、ほんの少し暖かくなった。陽球はそう思おうとした。

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