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俺解釈三国志  作者: じる
幕間7 酷吏二人(熹平六年/177)
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7 阿諛

 熹平六年の年末。翌年の人事に関し選部尚書が忙しく働いている頃、陽球は再び程璜の店を訪れた。

 程璜は揉み手をしながら陽球を迎えた。


「司隷校尉は幾らだろうか?」


 程璜の顔がみるみる曇る。司隷校尉の買い主が宦官にとって安全なのかどうか、他の宦官を説得買収するのは程璜の仕事になる。今の自分は程璜を困惑させるだけの信頼しか得られていない。陽球はそう判断した。


「尚書令ならば幾らだろうか?」


 程璜がほっとした顔になる。


「俺が尚書令になったら、勅の事では相談してほしい。皆様にそうお伝えいただきたい」


 偽勅を出すならまかせろ。そう言っているのである。


 短い間に将作大匠として何件か横流しに関与した。この自分が、自ら望んで法を枉げるのである。自己嫌悪との戦いだった。だが、将作大匠が言われた通りに資材を提供しても宦官の心には残らないらしい。勅の偽造ならば事前の相談や確認で宦官に会う機会もあろう。自分の印象が残しやすいだろう、そういう判断である。


(……ここだ。ここで駄目押しをしなければならん)


 陽球は秘かにゆっくりと息を吸った。これから死にたくなる程に嫌な事をする、その決意を固める為である。そして程璜に話し掛けようとして──喉が詰まって声が出て来なかった。

 陽球はしかたなく咳払いをして、もう一度息を吸った。決意した。決意してようやく程璜に告げた。


「程大人にお話があります。商売の件でなく」


 程璜が不思議な生き物でも見るように首を傾げる。


「私は程大人とは特別な誼を通じたい。常々そう考えて来ました」


(反吐が出そうだ)


 だが今から陽球の口から出て来るのは陽球にとって反吐より酷いものである。


「聞くところによれば程大人には娘さんが居られるとか」


 程璜の目が大きく見開かれる。そう、程璜には年頃を過ぎた娘が居る。程璜が宦官になった事で忌避され縁談の無くなった娘が。


***


 年が明けて熹平七年。一月の人事異動が行なわれ、無事陽球は尚書令に除された。


 陽球はかつて下っ端の尚書侍郎の時に、その文才で尚書台中の信望を集めた人物である。尚書台の皆の期待は大きかった。だがその期待は一瞬で萎んだ。


「これを中書に廻してくれ」


 陽球が書いた尺一を尚書の劉納が受け取り、嫌な顔をした。そう、陽球が渡したのは偽勅である。無論、この勅には帝の璽は押されていない。だが、璽が押されていない、だからこれは無効である、という指摘をする骨のある者がいなければ、璽の有無は関係ないのである。

 劉納は口をもごもごとさせ、その指摘、という奴をしたそうにしていた。陽球は手を振って退出を促した。


 偽勅の相談に乗ることで、宦官の中で陽球の名は高まった。当然士太夫として評判は地に落ちた。だが、誰も弾劾はしなかった。宦官側についた尚書令を弾劾しても、握り潰されるのが目に見えていたからである。


 それだけではない。陽球は更に踏み込んだ活動を始めた。


「王中常侍、何か必要な勅はありますかな?」


 ──御用聞き、である。有力な宦官達の休沐の日に、城下の豪邸を訪問し、困っていることがないか聞くのである。


「特に必要な勅は今は無いな。だがいくつか握りつぶして欲しい件がある」


 宦官の家に行くのであるから、ここでの密談は漏洩しにくい。自然、宦官の舌も滑らかになる。宦官が求めても得にくいのは「特別な何かを起こす」事ではなく「特別な何かが起きないようにする」という事である。細やかな配慮で宦官の悪業を隠蔽する陽球の手腕はようやく──宦官の中でだけ──評価を高めていた。


 いくつかの案件を脳裏に収めてから、陽球は王甫に告げた。


「では三千銭で。支払は後日まとめてで結構です」

「守銭奴め!」

「中常侍の皆さんには痛くもない額でしょう?」


 王甫の悪態を聞きながら、陽球は王甫の宅を去った。


***


 陽球が去った後、王甫の坐する正房に、するりと入って来る影があった。


「吉。どう思った?」


 王甫の養子、王吉である。


 王吉は昨年春に沛国から洛陽に帰還したが、王甫はこの息子を官職に復帰させず、自宅で軟禁同然にしていた。王甫の感覚では沛国での王吉はやり過ぎである。一万人を処刑した太守が赴任してくると聞いたら反乱が起き兼ねないので当分外の役にはつけられない。当人も命を狙われているかもしれない。沛国の件は若気の至りとして、王吉はまだ若いのだ。ほとぼりが冷めてから、また活躍してくれればいい。これは王甫の親心である。


 同時に王甫は息子がかつて陽球に憧れていた事を知っていた。そこで陰ながら陽球の振舞いを観察させたのである。


「驚きました。噂とは全く違っています」

「どう違っている?」

「銭と権力に汲々とした俗物に見えました」

「ふむ」


 それは王甫の感想とも同じである。


「人は変わるものなのでしょうか?それとも昔の噂に尾ひれがついていたのでしょうか?」


 王吉が信じられない、という顔で首を左右に振る。


「吉よ。覚えておけ」


 王甫は息子に諭す。


「銭と、権力は、実に簡単に人を怪物に変えるものだ」


 王吉は頭を下げ、拱手してその言葉を謹聴した。王吉の表情は王甫には見えなかった。


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