6 圧轢
その日、馬日磾が東観で見たのは、珍しく沈んでいる蔡邕の顔であった。
「伯喈殿……件の封事、納れられませんでしたか?」
そうなるだろうとは思っていた。提出後、控えを読ませてもらったが、常識を問うて帝に納れられるならばそもそもこんな事態にはなっていない。
「帝が辟雍で養老礼を行なわれました。それで十分ですよ」
蔡邕は弱々しく微笑んだ。
帝は蔡邕の封事に対し「制曰可」という全面支持を与えなかった。それ故、蔡邕の献策は納れられたとも、拒絶されたともつかない状態にある。
だがその後、帝は辟雍で養老の礼を行なった。辟雍は太學にある儀礼の場で、ここで国三老に任命された長老達をもてなし、先訓を謹んで聞くのが養老の礼である。蔡邕はこれを封事の第一項に対する真摯な回答と受け止めたのである。
(伯喈殿の物足りない所だな……)
馬日磾は蔡邕を尊崇しているが、盲信はしていない。蔡邕にも欠点、弱い部分があると知っていた。蔡邕は儒者としての正論を吐くが、それが帝に納れられなくとも正論を述べた事自体に満足してしまう。
(楊伯起殿や陳仲舉殿なら、この程度で済まさなかったろう)
楊震や陳蕃なら、命を掛けて帝を諌めただろう。馬日磾はそう確信している。だがそういった凄みは蔡邕にはない。本質的に蔡邕は政治家ではなく、学者なのだ。
「にしては顔色が優れませんな」
「実は叔父がやっかいな男に難癖をつけられているのです」
馬日磾の追及に、蔡邕は訥々と打ち明け話をはじめた。
***
その朝、蔡質は困惑していた。
(何故この男は私の悪口を、皆の前で?)
本日の朝堂に参集しようとする士太夫達が洛陽宮の門前で日の出の開門を待っていた。その士太夫の集まりの中で、声高に自分の悪口を述べている者がいた。
見覚えがある。陽球という将作大匠だった筈だ。その男が蔡質の居ない場で自分の陰口を叩いていたのである。
蔡質は衛尉であり、普段は洛陽宮に宿直している。休沐明けで登城しようとしたことで、その現場に遭遇したのである。
衛尉は九卿の一角で、名誉ある職である。毀誉褒貶あって然るべきではある。だから自分が悪口を言われることは理解できるし、許容できた。
だが陽球は、蔡質がその陰口の現場に入って来たのを確認してもなお、陰口を止めなかったのである。
「蔡衛尉は職にふさわしい威厳がない。あの様子では部下にも賊にも甜められましょう」
数ヵ月前、蔡質は衛尉になっていた。衛尉になっていた陳球が、司空劉逸の後任になり、衛尉が空席になったからである。
「前任の陳伯真には賊を退治した実績があり、万が一の事態にも対応出来ようが、だが後任は柔弱すぎる」
困った事に陽球の言い分には理がないでもないと蔡質は感じてしまっている。
陳伯真は事実、賊の鎮圧の実績があるし、それに比べれば自分は血の流れる事態に直面した事の無い柔弱者である。言った陽方正にしてから弾圧の実績だけで世を渡っているような男だ。そういう男が、そういう男にしか衛尉が勤まらない、と言うのであれば、そういうものなのかもな、と思うしかないのである。
しかし、自分の資質の有無がどうあろうとも、自分の悪口を吹聴している陽球の行動は肯定出来ないし、理解できなかった。そうまで思うなら、弾劾すればいいのだから。
***
(……苦しい)
陽球の正直な胸の内である。
宦官に気に入られるには自分は士太夫の側の人間ではない、そう印象付ける必要がある。そのために、誰か有名な士太夫と敵対している必要があった。今、最も有名な士太夫といえば蔡邕である。だが、蔡邕とはついこの間まで議郎として同僚であり、今更急に仲たがいするのは不自然である。そこで叔父の蔡質との険悪な関係をつくり出そうとしているのである。
陳球に前任者として蔡質を推薦させ、なんとか衛尉に仕立てた、その上で批判を続けているが、自分でも少々無理のある流れなのが判っていて辛い。なにより、蔡質との関係悪化を印象付けるより先に、自分の評価がどんどん下がっていくのが辛いのである。
とはいえ、自分自身の士太夫としての評価が高かったら宦官は自分を身内とは考えてくれない。どんぞこまで落ちる必要が在るのは理解していた。
(司隷校尉になったら、目にもの見せてくれる)
その時は陽球は思うがままに法を振るい、悪と言う悪を司州から一掃する。そうすれば地に落ちた評判は反転するだろう。その未来予想だけが、陽球の心の支えだった。




