4 初手
洛陽の西側、洛陽右部の大市のすぐそばに程璜の店はあった。
店、というのは市場になければならないのが定めだが、この店は物を売る店ではないのでそれを無視していた。二千石の高官の豪邸が立ち並ぶ中の一角の、豪華だが、さほど広くない一軒屋である。主房の入口に在る広い待ち合いの奥の室に程璜は余裕と風格をそなえた微笑みを湛えて正座していた。
程璜は中常侍である。本来、中常侍は洛陽の後宮に侍して、休沐くらいにしか街に戻らないものである。だが程璜は多くの時間を洛陽の街で自分の商家の為に過ごしていた。
程璜は元来商人が本業である。宦官になったのは利益の追及の為でしか無い。そもそも、宦官になる以前から洛陽の西で随一の豪商であった。富豪として、程大人という名で呼ばれていたし、今もそう呼ばれている。
程璜が自ら宮して宦官となったのは僅か五年前。長樂太僕の侯覽が失脚し、自殺した時である。
(商機だ……でかい商機が転がっているのに何故誰も拾わない?)
宦官にも色々な者が居る。張讓や趙忠のように君側で阿り続ける者。王甫の様に讒言と強請り集りで横車を押すもの。曹節の様に周囲に目配りして利益をかすめ取る者。侯覽は官職を斡旋して利を求める者であった。
その侯覽が死に、斡旋者がいなくなったのである。巨万の富が得られる席が空席になったのだ。その後釜につくには自分の性器を切り落とすだけでいい。手を挙げる者が誰もいないのが程璜には信じられなかった。
自分は既に子も育っている。得られる銭と自分のそれを天秤に掛け、程璜は迷わなかった。宦官となるや各所に賄賂をばらまいてまたたく間に中常侍になり上がった。程璜は賄賂を使って他の宦官の機嫌を取り、後宮勤めをほぼ免除される形でここ洛陽の街に居る。訪問する人に官職を提供し、莫大な対価を取るのである。
「大人、お客様がお見えです。議郎の陽方正殿です」
配下の取り次ぎに、程璜は不思議そうな表情を表に出してしまった。大人、と呼ばれるにふさわしい余裕が消えてしまったのである。陽方正という名には、程璜が疑問を感じるだけの悪名がある。
(過剰に厳格な法家で、官職の売買に手を染める男ではない筈だが……)
通されて来た陽球を程璜は値踏みした。
厳めしい顔の男である。常人の目付きではない。直接手を下した相手だけでも相当の人数が居る。そう感じさせる顔付きであった。瞳をのぞき込んで背筋が震えた。
(怖い)
必要と感じたらこの男は躊躇無く自分を斬るだろう。程璜は陽球の目を見るのを止め、胸元の、襟の合わせに視線を下げた。
想像に反して陽球の依頼は凡庸な、欲のあるものだった。
「将作大匠が辞任すると聞いた。それを頂きたい。幾らだ?」
淡々と尋ねて来た。市で酒でも買うような軽い問いだった。何かの罠かと思ったが、それならそれで宦官の同輩達を使って潰すだけだ。そう決意して程璜は答えた。
「議郎の六百石から将作大匠の二千石ですか。格が上がりますから、高いものに付きますよ」
「平原の相として既に二千石は経験済みだ。格に問題はあるまい」
これはある程度下調べして来ているな、程璜は直感した。うかつにふっ掛けられない。
「……将作大匠なら百万銭ですな」
「八十万銭にしろ」
その返答を程璜は不思議に思った。値切ってまで官職に就きたい人だろうか?
「…調整にはその、いろいろ要り用なもので」
「判っている。その調整先に伝えよ。次の将作大匠は資材の提供を渋らないと」
洛陽住いの宦官の楽しみと言えば、自宅をきらびやかに飾る事である。その資材を宦官が私的に入手するのは難しい。偽勅を以て将作大匠に供出させるのが主だった。陽球は暗に偽勅は不要、と言っているのだ。
程璜は驚きで顔を上げ、まともに陽球の目をのぞき込んだ。感情を感じさせない、暗い目だった。




