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俺解釈三国志  作者: じる
幕間7 酷吏二人(熹平六年/177)
82/173

1 ひとでなしの孝子(????/???)

 その日、帰宅した少年を迎える声はなかった。


 普段なら出迎えに出て来る婢たちは、房の隅で怯え、すすり泣き、ばつが悪そうに無言で少年から眼をそらした。

 少年は土間に残る足跡を見た。乱雑な足跡がここでただごとではない何かがあった事を示していた。

 ここは、家族でなければ婢しか入れない奥の房である。

 少年の眼がすっと細まる。

 少年の足は一番奥にある、母の寝室へ向かった。扉に手を掛けた所で、中からすすり泣く声が聞こえた。母の声だった。

 少年は扉に掛けた手を止め、外から尋ねた。


「……あの役人ですか?」


 泣き声は一瞬止まり、そして前より大きくなった。少年は肯定と受け取った。


 少年の家は、この漁陽郡泉州県の地で代々続く名家である。父の死去より後、母に言い寄り、この家を乗っ取ろうとする男が居た。郡の役人であった。


(刺史に訴えるか?)


 少年は申韓の学、つまり法律を学んでいた。強姦は古くは宮刑、今は死罪相当である。


(いや、無駄だ)


 相手は役人である。州も郡も、波風を立てない様に、事件をなかった事にするだろう。むしろ告発した側が虚偽の告発として棄市される、という可能性すらあった。そう思うと、血が沸騰しそうになった。


(律令が、律令の如くに実施されないとは!)


 少年は母が陵辱されたことより、法が施行されないことの方に怒りを感じている自分に気付いた。


 剣を掴むと家を飛び出した。足は役人の家へ向かっていた。役人が少年の家を訪ねて来るのは決まって休沐の時である。その時だけ、郡治所である漁陽県から泉州に戻って来るからである。


(律令が行なわれないなら、俺が律令になろう)


 そう思っただけで少し気が晴れた。口角が僅かに吊り上がった。


 少年が肩で風を切って泉州の県城を横切る。街角に屯する他の子供達が彼のただならぬ雰囲気に気付く。


 少年は名家の子息らしく、撃剣けんじゅつと弓馬を習っていた。その贅沢が許される身であった。当然、同年代の子供からの羨望の的だった。少年自身は意識していなかったが、一帯の子供達は、少年を慕い、首領として仰いでいた。その少年が抜き身の剣をぶら下げ、恐ろしい顔で歩いているのである。子供達は目配せしあい、頷きあう。


 少年が進むにつれ、後ろにぞろぞろと従う者が増えて行った。近隣の子供達が仲間を集めながら付いて来る。長い棒、太い薪雑棒、手頃な石、石包丁。手に手に武器を持って付き従う。その数はみるみる数十人に膨れ上がる。進路に居る大人達も道を譲る。


 役人の家が見えた。門は閉ざされていた。少年は門に向かい,あごをしゃくる。駆け出した子供達は門に群がり、手あたり次第に引っ張った。木が軋む音がしたが、動かない。誰かがかけ声を掛けた。子供達は拍子をあわせて門を揺らし始める。土埃を巻き上げ、門が屈伏した。勢い余って転がる子供達をまたぎ、少年が役人の家の中に踊りこんだ。


 その日、漁陽で一人の役人が殺された。それだけではない。役人の家は滅ぼされた。誰も逃れられなかった。苛烈過ぎる実力行使だったが、孝行の顕彰として少年の殺人は罪に問われなかった。むしろ州郡に孝子として名が知れ渡った。


 成人した彼は孝廉で推されて都に行き、尚書侍郎を経て高唐県の県令となった。県令となった彼は正義を以て政治を行なった。ささいな罪でも取締り、厳罰を与えた。罪を犯すものはいなくなった。だが、悪人だけでなく、住民もこの統治に苦しんだ。見かねた平原の国相が彼を逮捕した。たまたま大赦があって解放された。


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