8 黄龍(熹平五年/176)
(しばらくあの子は帰って来ない方がよかろうな)
曹操が任地に旅立ってから中央政界に大きな動きがあった。洛陽城内の全ての部署になにかしらの宦官が所属するようになったのである。禁中だけでなく、そこかしこに宦官が耳をそばだてている。そんな宮城を歩きながら橋玄は思う。
橋玄は宦官と当たらず障らずの対応ができるが、大長秋の孫はまだトゲを隠せていない。あれでは洛陽では長生きできなかったであろう。悪い友人も出来ていたようだし、洛陽から引き剥したのは正解であった。
そんな事を考えていた時、密かに袖を引くものがあった。
「中常侍。どうかなさいましたかな?」
中常侍の王甫である。王甫は布を巻いた竹簡を持っていた。
「光禄大夫。頼みがある。私的なものでもあるし、公的なものでもある」
「自分に出来る事なら」
王甫は橋玄を目立たぬ柱の影に誘った。
王甫は宦官の中でも権勢限りなく、しかも苛烈な人物である。人の道に外れる事でもなければ、橋玄としては衝突する気はない。
王甫が布を開き、竹簡を見せた。
「これは……」
「息子がよこした物だ」
竹簡には封泥の跡がある。内容は短かった。
「譙に黄龍が飛来した…?」
沛相の王吉自身が見たわけではないが、沛国譙郡で黄龍を見たものが居る、という業務報告である。
「息子が帝に報告しようとした文書を中書の宦官が私に知らせてくれた。吉凶と、報告すべきかを教えて欲しい」
王甫の養子王吉は沛相としてすこぶる評判が悪い。貪欲に悪事を為しているからではない。無体に正義を行使し、多くの人を殺しているからである。そんな人物が天象を報告して来た場合、吉祥も凶兆に受け取られるかもしれない。王甫は息子を心配し、先に現象の意味を問うたのである。
「急いで、内密に」
「心得ております」
王甫のような危険人物には少々貸しを作っておいた方がよい。橋玄の足は太史寮へ向かった。太史令の單颺に竹簡を見せに、である。
「これは吉祥かどうか?」
單颺は、文面を眺めると無言で席を立ち、歩きだした。橋玄がついて行った先は南宮東観閣である。
洛陽城南宮に聳える東観閣。ここには漢家の収集した典籍と、太史寮の記録した天文や歴史の資料が収納されている。
單颺は、年号別に巻かれている王朝の歴史を次々に解き、読んで行く。
「やはり」
單颺が手を止め、竹簡の文を指さす。
「見てください。譙では建和元年──二十七年前ですな──にも、黄龍が飛んだ、という記録があります。」
「何の兆しですかな?」
橋玄の質問に、單颺は深刻な声音で応えた。
「おそらくこの地に王者が興るのでしょう。五十年に及ばぬ内に、また龍を見ることになるでしょう、天の事に応じたききざしは必ずあるものです」
王者が新たに興る時、漢家はどうなってしまうのだろう?單颺は漢家が滅ぶと解釈した。橋玄の脳裏には一人の青年の顔が浮かんでいた。もしかすると彼が?実際に彼がそうかは判らないが、そうかもしれないなら、守ってやらねばならない。
「不穏ですな」
「はい、凶兆と言ってもよろしいかと」
橋玄は單颺の腕を掴んで言った。
「この件は報告しない方がいい。五十年も先の話です。天の事です。報告すれば今の譙の人間に禍いが降り注ぎ兼ねない」
橋玄が單颺の目を見つめ、頷いた。單颺も橋玄の目を見つめ返すと急いで頷く。
「私は見なかった。ええ。何も」
單颺もそう応えた。この報告はこれで歴史の影に消える筈だった。
二人が東観で内密の話をしている、と思っていた時、一人の若い太史丞が二人に見えない場所に座っていた。過去の竹簡を整頓に来ていた内黄県の殷登である。
この若者はこの話を自分の笏に書き留めた。だが彼は賢明にも、この話を口外しなかった。
この話が再び歴史の表舞台に甦って来るにはかなりの時間を要する事になった。そう、五十年に及ばない程に、である。
(了)




