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俺解釈三国志  作者: じる
第七話 黄龍(熹平三年/174)
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6 友

 春の終りのある夜。夜でも冷える事はなくなり、すこし浮かれた空気が漂う中でも、北部尉の部下達は変らずピリピリとした空気を漂わせていた。


 西の大道を監視していた街卒が、大道を渡ろうとする男を発見した。ふらふらと、右に、左にと、明らかに酔客の動きである。


 街卒は左右の同僚を見た。頷いた。棒を抱えた街卒三人が大道に走り込む。取り囲み、棒で突くと男は簡単にひっくり返った。二人の棒が男を石畳に張り付けると、もう一人が縄を取り出した。


 廨の門前に陣どる曹操の前へ連れて来られた男はひどい匂いを漂わせていた。押え込まれ、後ろ手に縛られた時に胃の中身を吐き戻してしまい、酒と吐瀉物の酷い匂いが漂っていた。曹操は眉を僅かだが顰めた。


「俺をぉ、誰だと思っているんだぁ!」


 男は叫んだ。その騒ぎに夜中にも関わらず見物人が集まりつつあった。


「俺は、小黄門、蹇碩けんせきの、叔父だぞ!」


 名を呼び捨てにしていた。門前の見物人はニヤニヤ笑ったが、刑吏たちは蒼白になった。蹇碩といえば帝御寵愛の宦官である。復讐は恐ろしかった。


「家まで送れ!車!車はどこだ!」


 叫ぶ男に刑吏達は困って曹操の方を向いて目で訴えた。夜の暗さの中でも、曹操にはその困惑が見て取れた。


 曹操は一つため息をつくとくるりと男に背を向けた。門の方へ向い、吊り下がっている五色の棒から、一本を手に取った。緑の棒だった。


 男に向かいながら、皆に聞こえるよう、声を上げた。


「罪には罰を。それだけだ」


 棒を振り上げ、振り降ろした。棒の先は男の後頭部に吸い込まれた。

瞬時に男のわめきが止まった。即死だった。


 小さな喝采が見物人から上がり、すぐに消えた。


***


「大長秋の孫がどうした!あれは敵だ!我らに敵するものだぞ!」


 蹇碩の訴えに、曹節も張讓も趙忠も、そして王甫も、渋い顔をしていた。


「俺はあんな奴死のうがどうでもいいんだ!だがな、俺達が嘗められている事自体が問題だ。違うか!」


 ドン!と几案つくえを叩いた。


 蹇碩は、帝の実母である董太后が帝の護衛として特に選んだ宦官である。


 元々が武芸に秀でた筋骨たくましい大男であった。宦官は宮されて男性器を失うと、鬚は薄くなり、ふっくらと太り、声も少し高くなる。だが、蹇碩は自宮して宦官となった今も、その筋量を失わず、鬚も残っている。野太い声である。そのたくましい肉体は後宮では珍しく、帝の寵愛ひとかたならぬものがあった。


 だが、その怒気程度で恐縮するようなものはこの場には居ない。


 曹節は回りを見回した。張讓も趙忠も冷淡な表情だった。王甫は、曹節と目が合うと大きく頷いた。それを確認してから曹節が答えた。


「小黄門。大長秋の孫は、正当な職務を主張しておる。この件で罪に落すのは無理じゃぞ」

「讒言でもなんでもできるだろう!それが我らというものだろう!?」

「少しは考えて話す事を覚えよ」


 曹節は窘めた。


「卿は四百石ごときに対する讒を、畏れ多くも陛下のお耳に入れる気か?」


 蹇碩は言葉に詰まった。


「それに、讒言で弾劾した時、卿の叔父の醜態が帝に伝わったらなんとする?」


 蹇碩はキッと唇を引き絞った。噴懣遣る方無い、という顔で立ち上がった。拳が震えていた。ドスドスと荒々しい足音を残し、詰所を去っていった。


「嘗められてるかどうか確かめたけりゃ自分で夜間通行すればいいのにね」


 趙忠がぼそりとつぶやいた。くすくすと笑い声が上がる。王甫が皆に向かい、大きく頭を下げる。


 実を言うと、曹大長秋の孫のいたずらを見逃した理由は、他にあった。


 一つは宦官達が蹇碩を身内と見倣していないことである。皆の認識では、蹇碩は皇太后の部下、というものでしかない。なので積極的に蹇碩の身になって復讐してやろう、という気になっていないのである。


 そしてもう一つは、その孫とやらを孝廉で推挙したのが王甫の養子、王吉であった事である。孝廉で任官した者が問題を起こした場合、推挙した側も面子を失う。宦官達は蹇碩よりも王甫の面子を選んだのである。


「ご子息も少し、やりすぎじゃな。自制させた方がよかろう」


 王吉は昨年沛国相になって以来、沛国内を巡回しては悪と認定したものを次々刑死させていた。その死者の中には宦官達が賄賂を受けて就けた県令も混じっていて、王吉の猛政は少なからず問題視されていた。


「は!」


 否とも取れなくもない諾で、冷汗をかきながら王甫は答えた。


***


 事件を境に、曹操は居を洛陽北部に移した。そして部下を多く巡回させた。蹇碩の復讐に備えたのである。廨への行き帰りも部下に護衛させた。


 ある、休沐での家への帰路の自宅前。夕方の薄暗い空気の中、曹操の家の前に男が一人立っていた。

 二人の護衛はとっさに刀に手がいった。だが、男が中身の入った油嚢をたぷんと掲げてみせたので、曹操は護衛に告げた。


「大丈夫。知己だ。諸君らは帰ってよろしい。ご苦労だった」


 護衛が帰るのを見届けて、曹操は男へ右手を掲げた。


「伯求殿。ひさしぶりです。もう二年近くになりますな」


 にこっと笑ってみせた。


 男は何顒。沛相の陰謀を確かめる為、丸一昼夜を屋根裏で共にした事のある男である。厳密に言うと、党錮の後指名手配されている男であり、曹操には見付け次第捕まえる義務のある相手である。もちろん、曹操にその気はない。

 何顒もにっこり笑った。


「郎君に会わせたい仲間が居る。ついて来てもらえないか?日が暮れる前にたどり着きたい」

「判った。だが郎君ぼっちゃんはやめてくれ」


 門を開けると二人の妻に外泊する旨告げた。二人とも不満そうだった。


「すまんな」

「いいって事よ」


 夕暮れの洛陽を何顒は顔も隠さず堂々と歩いた。

 大道は日が落ちる前に渡ろうと急ぐ人達ばかりで何顒の方など見もしない。なるほどこれなら顔を隠そうとした方が不審である。


 街区を渡り、しばらく歩くと、古ぼけているが、広い邸宅にたどり着いた。

 何顒は遠慮なく入っていく。曹操も続いた。


「あら、噂の子ね。入って頂戴。皆もうはじめているわよ」


 酒器を抱えたご婦人の出迎えであった。曹操の目では宴の礼法からは砕けすぎている気がしたが、何顒は無言で会釈して入っていった。


 正房には何人もが座っていて、既に宴会が始まっている様だった。


 主人の座に座っているのは大柄な男で、自分より十ばかり年上だろうか?さほど豪奢な身なりではないが、人好きのする表情でこちらに向かって声を掛けた。


「お、来てくれたな。曹北部尉。待っていた!そこに座ってくれ」


 皆同じくらいの年配で、唯一自分と同年代だと思える若者がまぜっかえした。


「誘うかどうか迷ってここまで引っ張って来たの本初様じゃないかー」


 どっと笑いが起きた。


 何顒に促され、曹操も座る。

 先程の婦人が入って来て、杯と肴を置いていく。


「袁本初だ。奔走の友へようこそ」


 主人がそう言って杯を干す。


 八厨の一人である張孟卓ちょうもうたく呉子卿ごしけい伍徳瑜ごとくゆ。同年代の若者は許子遠きょしえん。順に自己紹介の後、袁紹が静かに言った。


「我々は漢家から、腐敗した宦官の害と、古くさい儒者の害を取り除こうとしている」


 袁紹が杯を持ち上げた。


「君は曹大長秋の孫と聞いていたが、にも関わらず小黄門と対立したと聞く。我々は志を一つにできるのではないかな?」


 六つの杯が掲げられる。


「ええ。私も以前からそう思っていました」


 曹操が七つ目の杯を持ち上げると、何顒が静かに微笑んだ。


***


 袁本初、という人物は当世難しい三年の服喪をやりとげただけでなく、さらに追加で三年の喪を完了した有名人である。立派な体格で威厳のある表情。会う人間誰もが頼もしく思う顔だった。それに加えて傍流とはいえ四世三公の袁氏である。


その男が汝陽での服喪を終え、洛陽に隠れ住んでいる事は知る人は知っていた。官にも就かずに常に自宅に居る隠居の生活の袁紹に、多くの人が会いたがった。

 彼に面会しようと門前に士太夫の車が列を為した。だが袁紹は海内の名士にしか会おうとしなかった。士太夫は李膺の様だと考え、ますます行列は長くなった。

 それに対し、庶民が面会を求めると気軽に庭で会ってくれた。身分を超え、門を開いた袁紹をひと目見ようと多くの人が訪れた。


「実を言うと困っている」


 袁紹が曹操を奔走の友に引き入れて相談した最初のことはこの対策である。


 実の所、袁紹は奔走の友に迎え入れる士太夫の選定と、地方からの連絡員……賎民の恰好をしたものと連絡を付けたかっただけなのである。

 袁紹の家に列を為す人達により、特に後者に支障が生じた。衆人監視の状況で地方の組織からの嘆願など聞けないではないか。


 問題はこれだけではない。この人気は禁中に伝わってしまった。宦官とて愚かではない。市井の協力者が袁紹を危険分子として報告したのである。


 中常侍の趙忠が宦官の集まりで言った。


「袁本初、という男が洛陽の町に潜んで名声を高めているって話、みんな聞いてる?官にも就かないのに死士を養っているってさ。このガキ、いったい何がしたいんだろうねぇ?」


 この話はすぐに司徒の袁隗に伝わった。


三世四公、といわれる名門袁家では宦官の中に自分の耳目になる人物を置いている。つまり袁隗の飼犬である。趙忠はその存在を前提に釘を刺しに来たのである。


 袁隗はわざわざ袁紹の家に押しかけ、叱りつけた。


「お前は我が家を滅ぼす気か!」


 袁紹は無難な解決策の為の知恵を曹操に求めたのである。


「本初殿に人気があるのはいいことだと思います。その人気を落さないように司徒殿に応えねばなりませんね」


 曹操の案は簡単だった。袁紹を家から出し、様々な場所を訪問させたのである。そして、連絡員が屯する隠れ家を作り、許子遠らに統括させた。これにより袁紹が会わねばならない人が激減した。袁紹を軸とした組織を、多段に作り変えたのである。


 袁紹が外出し、自宅への不在が続く事で、袁紹宅を訪問する車列も途切れ途切れになり、消えた。これでひとまず宦官に睨まれる事はなくなったのである。


***


 洛陽北部尉は猛政の人である。犯罪には厳正に厳罰を加え、賄賂も通じず貴賎も考慮されない。洛陽北部の百姓は震え上がっている。洛陽北部尉の曹操は猛政の人である。そういう評判が広まった。


 ……つまり、誰もが洛陽北部尉を見過ったのである。


 洛陽北部尉として曹操が配下を指導した内容は、夜間通行の禁令や市場での犯罪行為などの治安対応のみである。その結果、党錮の禁で手配されたもの達は大手を振って洛陽北部を闊歩出来るようになった。つまり洛陽の四分の一の地域を預かっている曹操が裏で袁紹に与したのである。奔走の友の連絡はこの地域で活発となった。


「孟徳。俺は最近の交遊、感心しないぜ」


 夏侯惇は聡かった。百姓の素行が改まり治安が良くなった反面、胡乱な連中の通行が増えていることに気付いたのである。曹操があえて誰かの為にそうしていることも。


 曹操は無言で首を横に振った。


「元讓。俺はまだ若輩で評判も信用もない。大望にたどり着くにはどこかの派閥に属さざるを得ない。すまん」


 顔を見れば止める気はないと知れた。夏侯惇はもう何も言わなかった。


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