5 五色の棒(熹平四年/175)
突然肘を引っ張られ、蔡瑁は危うく仰向けに倒れる所だった。蔡瑁はくるりと向きを変え、大きく足を踏んばって、なんとか耐えた。
「徳珪、付き合え」
蔡瑁の肘を掴んで引いているのは曹操。
体重移動で動けなくしたがまだ引くのを止めない。袖がピンと伸びる。しばらく引っ張り合いが続き、諦めた蔡瑁は曹操に引かれるまま歩きだした。
「何があった?」
蔡瑁が追随するようになると曹操は肘から手を離し、二人は横並びで歩きだした。
「内示があった」
「?」
「一月の」
「ああ」
郎中になってもうすぐ一年。一月に任期が切れる県令の後任として、郎中の何人かが地方に派遣される。
「無かったのか?」
必ずしも役を得られる郎中ばかりではない。それは蔡瑁もよく知るところだった。
「……希望と違うんだ」
「我慢しろよ」
呆れた蔡瑁の歩みが遅くなり、どんどんと歩いて行く曹操にしぶしぶ着いて行く感じになった。
曹操が足を止めたのは、尚書台の門前である。
「孟徳、まさかお前……」
曹操は答えずに、門番に話し掛けた。
「選部尚書の梁孟皇殿に面会したい」
そう言って刺を差し出した。面倒くさそうに門番は受け取ると、奥へ入って行った。
「孟徳……お前梁尚書に直接文句でも垂れる気か?」
「洛陽令の希望が洛陽北部尉では気が収まらん。六百石も低く見られたわ」
曹操の説明を聞いた蔡瑁は片手でぺたんと顔を覆った。指と指の間からくぐもった声が聞こえる。
「そんなの二十そこそこのハナタレが希望する職じゃないだろ。司隷校尉や河南尹と共にこの都を預かるんだぞ?」
曹操が洛陽令を志望したのは橋玄の「洛陽の中央官を志望し、運動せよ」との示唆に従ったものである。洛陽令は明らかに高望みなのは判っていたが、どうせ割り引かれるだろうと思い、ふっかけてみたのである。結果は洛陽北部尉。俸給千石の洛陽令に比べると、四百石。半分以下の職務である。曹操は金に困っているわけではないから禄の多寡自体は実のところ問題ではない。だが俸給の低い職務、というのは位の低い職務なのである。洛陽令ともなれば、千石の俸給を超える重みがあるのだ。割り引かれる事を前提にふっかけてみたのだが、実際割り引かれてみると、なんとも腹に据え兼ねたのであった。
「できるぞ」
「その自信はどこから来るんだ……」
蔡瑁は門を指さす。曹操がつられて門を見上げる。
「孟徳。ここは尚書台だ。帝の命を形にする実働の最高府だぞ。一介の郎中がそんな事で直談判に来ていい場所じゃなかろう」
「……」
曹操は上を向いたまま無言だった。蔡瑁は続けた。
「実はな、俺は役は貰わずに今年一杯で官を辞する事になっている。箔も付いたんで蔡洲に戻るんだ」
「……」
「だから言うが、孟徳のそういう所、俺は心配だぞ。そろそろ野心を身の丈に合わせろ。もう助けてやれないんだからよ」
「……」
曹操はやはり無言で上を見つめていた。
そこへ門番が戻って来て、告げた。
「尚書はお忙しい。上を煩わせるな」
曹操が答えもせずじっと上を見つめ続けているので、蔡瑁は脇を抱えて引きずり、門前から引き剥した。
門が視界から外れた途端、曹操が後ろを見ながら叫んだ。
「徳珪!見たか?あの扁額を!」
笑みだった。目がキラキラと光っていた。代わりに蔡瑁が怪訝な顔になった。
「孟徳……何が、いったい、どうしたんだ?」
「だから門の上の扁額だよ!あれはきっと梁孟皇殿の字だぞ」
そういえば門上の額にでかでかと尚書臺、と書いた額が吊ってあった。
「いいな!素晴らしいな!字がうまいってのはどんな気持ちなんだろうな!」
曹操は子供の様にはしゃいでいた。
「あんな字のうまい人になら、北部尉にされても、しかたないかなぁ」
「……もう少し、しんみりしてくれてもいいんじゃないかね?」
蔡瑁は苦笑した。
***
洛陽の都の中央に南北二つの王宮があり、その周囲には市街地が広がる。さらにその外を洛陽の外郭が囲んでいる。その市街地を東西南北に四分割する。
北が北部。南が南部。西が右部。東が左部。
このうち、北部……すなわち北宮の北側から、洛陽北郭に穿たれた夏門までの間に広がる市街地の治安維持が、洛陽北部尉の任務である。
(随分とくたびれているな)
北部尉の廨はくすんだ壁、破れた門。だらけて座る諸曹掾史達。正月が明けての赴任初日、曹操の見たものはそれであった。
整列を命ずる。廨の中庭にゆっくりと、うねうねとした列ができる。
(ここからか……)
規律が足りない。熱が足りない。
出足の鈍さにうんざりしたが、おくびにも出さない様努力が必要だった。自分まで失望したら、この役所は終わってしまう。
「諸君。私が本日より北部尉に就いた曹孟徳だ」
第一声を、ふて腐れたような目が見返してくる。
「まず最初の命令を出すとしよう。全員で廨の掃除を行う!」
東西南北の四班を編成し、それぞれに廨の外壁に生えた雑草を抜かせた。泥を捏ねさせ、壁の罅を埋めさせた。化粧土を集めさせ、外壁を覆わせた。出来のよい班は褒め、出来の悪い班はやり直しを命じた。
部下達は段々と命令されることに慣れてきた。外壁が修理され、建物も清められた頃、曹操という上司が命令を達成するまで許さない、という事が部下にも浸透した。
曹操が俸給で修繕させた門扉が運ばれて来た。全員が協力して取り付け、門は一新された。
四つの門の左右に、これも曹操が作らせた五色の棒が何本もぶら下げられた。
そこで曹操は告げた。
「殺しや大道の夜間通行など、禁を犯したものは、誰であれこの棒で打ち殺す!その旨を管轄に告げて回れ!」
部下達は整然と散った。
(ようやく職務に誇りが持てるようになったか)
先の帝の頃より続く財政難で、廨は修理もできず汚れ壊れる一方。環境の劣化は規律の緩みを呼び、厳正な警羅を止め小銭での目こぼしに血まなこになる。これでは役目は果たせまい。まず形から正す、というのが曹操の考えであった。
だが、この曹操の告知は信用されなかった。この前まで、北部尉の卒たちは緩かったのである。少々の犯罪なら、小銭で見逃してくれたのである。急に厳しくなった、と言われて、ではこちらも気をつけます、とはならないのである。
洛陽の都には、縦横にいくつもの大道が走っている。この大道を区切りに、行政区画が切られている。
日が沈んだ後、南北二宮の、そして洛陽外郭の全ての門は閉ざされる。さらに、都の中でも、大道を渡り、他の区画に行くことは禁止される。
夜の闇の中、自分の住む区画を離れて移動する様な者は、盗みや殺しなんらかの法を破ろうとする悪意者である、というのが常識だからだ。
だがこの禁は大きく緩んでいた。大道に立つ警羅の者に鼻薬を効かせれば、夜でも難なく道を渡ることができたのである。実際、曹操もそれを利用して夜遊びをしていたものである。だが、綱紀は粛正せねばならない。自分が北部尉になった以上、自分の管轄区域ではいかなる犯罪も許さない。
曹操の告知を本気にしなかった男が、部下の街卒に捕縛され、連行されてきた。
廨の門前に男を跪かせる。
日が暮れ、暗くなっているが、門の左右には松灯が煙を上げて燃え、時折火の粉を飛ばす。廨を遠巻きに、この区画の者達が見物に来ている。刑とは娯楽なのだ。
曹操は男の後ろに立って叫んだ。
「仲尼は言った。政が寛なれば即ち民は慢す。慢なれば猛により糾されると。諸君らは慢心し、私の猛を信じなかった。残念だ」
そういって手を挙げた。
刑吏が白い棒を門から外すと、男の後ろに立った。男は泣いていた。悲痛な声が見物人にも届いた。曹操は容赦しなかった。最初が肝心だと知っていたから。
「やりたまえ」
手を振り降ろした。
刑吏が両手で握った白い棒を男の背中に叩き付けた。叫び声が上がった。意外に叩く音は響かなかった。のけ反る男の背に二発目が叩き付けられた。男は後ろ手に縛られ、前に屈んで逃げる事ができない。叫びは呻きとなった。
四発目の時に曹操が告げた。
「苦しめてやるな」
棒は後頭部にたたき込まれ、六発目で呻きが止んだ。
白い棒から地面へ、赤い血が滴った。
***
噂はすぐに洛陽に広まった。
北部の民は震え上がり、翌日より洛陽宮の北で夜間出歩く者は絶えた。
曹操の部下達も目付きが変った。もう昔のような怠慢は許されない。死体を始末し清掃させられたので、自分達が律する法の厳しさが身に染み、そして覚悟が決まったのである。
曹操は全ての部下に新しい赤い布を支給した。あざやかな赤幘を頭に巻いた市掾街卒を見ると市場の商人達もいんちきな値付けを止め、公正な商売をするようになった。危ない橋を渡ってまで賄賂を出すものもなくなった。
だが曹操は手を緩めなかった。夏侯惇を丞に抜擢したのである。
「孟徳が居ない時、俺が代わりに厳しくやればいいんだな?」
休沐などで曹操が不在の時でも規律が維持できる様にしたのである。
まだ若い夏侯惇は当初あからさまに部下から嘗められていた。だが、夏侯惇が手づから盗賊を撲殺した時、彼らの目が変った。
「すまん元讓」
夏侯惇という優しい男に殺人をさせた事を曹操は悔いていた。だが、夏侯惇はポン、と曹操の肩を叩いて、その話を終わりにした。




