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俺解釈三国志  作者: じる
第七話 黄龍(熹平三年/174)
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3 相談

 半年が経ち、曹操に次男が産まれた。


 隣室から赤子の泣き声が響く中、曹操と丁夫人はにこやかに微笑んでいた。


「万事平穏な中で産ませてやれる、というのはいいものだな」

「ほんとね」


 今回は助産を雇ったので座っているだけで済んだ。


「……でも」


 丁夫人が下を見て言い淀んだ。


 曹操は丁夫人ににじり寄ると黙って手を握った。丁夫人がほほを染め、夏侯惇が咳払いする。


 かくの如く家族関係はまずまず良好だったが、郎中になってもう半年、実のところ曹操は焦りの中に居た。


 あと半年。あと半年で正月である。各地の県令の任期が明け、郎中の多くが新たに県令として赴任する時期がやって来る。


 そんな中、曹操はいまだ無名の一郎中のままである。


(なんの爪跡も残せていない……)


 通例、郎中は初任地として全国の県に赴任する。

 国には一千の県があり、三年任期の為に毎年三百は交替になる。

 孝廉等で郎になるものは年三百人。一見計算が合っているように見えるが実はそうではない。郎中を経ずに辟されて県令となる者、県令から別の県令になる者も居る。つまり、郎中の少なからずは郎中のまま翌年を過ごすことになる。


 郎中は中央官僚の見習いに過ぎない。宿直と帝が外出する時の行列に参加するぐらいしかすることはない。そんな事で一年を棒に振りたくはなかった。


***


「お主がわざわざ訪ねて来た、と言うことは、どこかの県令を斡旋して欲しい、そういう事かな?」


 橋玄が前置きなしに切り出したので、青年……曹孟徳は目を白黒させていた。


 旧知の宦官の孫が訪ねて来た。急な訪問ではあるが、橋玄の休沐と自分のそれを調整してきたのだろう。わざわざそうするなら、何か頼みたい事があっての事だろう。時期から考えて、郎中の県令就任の事だろう。そう推測したのである。


「じゃがな、そういう伝手なぞ、ないも同然じゃぞ」


膝の上の子供をあやしながら橋玄は続けた。

 昨年の事件の後官界に戻ったが、自身では人事を担当していないし、横車を押すのは自分の趣味とする所ではない。

 青年は小さく頭を振って答えた。


「公祖様に、洛陽での身の処し方をお教え願いたく、参上しました」


 ほう。


 橋玄は青年の顔をもう一度見直した。


 一年ぶりである。青年はほんの少しだけ大人びた様な気がする。別段背が伸びたわけではなく。顔が変ったわけでもない。ただ立居振舞いが洗練されていた。郎中の教育が効を奏しているのだろうか。


 橋玄は子供を膝の間に載せたまま答えた。


「わしの所へ陳情やら斡旋の依頼に来る人間は多いが、そういう事を頼みに来たのは君だけじゃな」


青年は平伏して願った。


「自分は公祖様の様になりたいのです。ご指導を賜わりたく」


 青年は自分の事を、宦官にも権勢にも阿らず、派閥にも属さず、独立不羈で政界を渡っている、そういう風に見えているんだろう、橋玄はそう思った。それは大きくは間違ってはいないし、大方の人は橋玄をそう評価しているであろう。だが橋玄はやすやすと成し遂げているわけでもないし、妥協無しに世を渡っているわけではない。


 橋玄は子供を立たせると尻をぽんっと叩いて出入口の方へ押しやった。子供は駆け出すと、外へ飛び出して行った。それを優しい目で見つめながら橋玄はつぶやいた。


「あれぐらいの年頃で遊びに来ていたお主が、今や官途の相談とは、年を取ったものよな」

「お孫さんですか」

すえっ子よ。可愛い盛りじゃろ?」


 青年が目を瞠った。このお年でまだ現役なのか。そういう顔だった。

青年はすぐに自分の失礼を恥じ、表情を取り繕った。


 橋玄は少しだけ意地悪な気持ちになり、青年に告げた。


「わしの様になる、というのは今のお主では無理じゃな」


 青年の顔が少し引きつる。


「わしの家は先祖代々学問の家だぞ。世々二千石でもある」


 橋玄の七世の前の祖、橋仁は礼記に注釈し橋君学を確立した。橋玄の父も、祖父も太守として活躍した人物である。


「わしは陳国で国相の悪を弾劾して名を為した。その上での孝廉だ。お主とは評判の量が違う。お主も国相と対立したが、あれは師遷による告発と言うことで処理されておる。お主の評判にはなっておらん」


 陳沛の二王に責を負わせない為、そういう処置になった。


「つまり、洛陽でのお主は、地元の県での実績もなく、高名な儒者についた学歴もなく、親孝行の評判もなく、曹大長秋の孫というだけで王中常侍の養子に推された男、という事になる」


 青年はがっくりと肩を落した。


「今すぐ栄達したければ王中常侍にお縋りするのが早道だろうよ」


 青年は力無く首を横に振った。


「自分は、そういう縁故で世に出たくはないのです」

「綺麗事じゃな。縁故でもなんでも利用できるものを利用しないでは栄達は遠いぞ」

「栄達は目的では無いのです。世の為何かを為したいのです。今、何を為すにしても、宦官とは対立せざるを得ない」


 頭を抑えられたくない、という気持ちは橋玄にもよく判った。橋玄は宦官には配慮はするが遠慮はしない。だがこの青年は、宦官に配慮も遠慮もしないつもりなのではないか?そう直感した。


「それは辛い道だぞ」

「自分には、自分ならできる、と思ってくれているものがおりますので……」


 橋玄は少しほほを緩めた。その意地が通せるなら、見込みがあるかもしれない。


「もう一度確認するが、お主は、お主の縁故は使いたくない。そうじゃな」

「はい」

「太學に行く、或は碩学に師事して学問を極める、というのは?」

「学問が嫌なわけではないですが、時間が掛かりすぎます」

「それほど急ぐ必要があるとも思えんがな。あとは評判を良くすることだが……容姿が殊更秀れているというわけでないし、ご両親は健在だしな……郎中では実績は積みようがない」

「全く何も起きないとは思ってもおりませんでした」


 郎中は官僚になる為の職業訓練でしかなく、業績を上げる程の責任も任務も与えられないのである。


「自分なら郎中にさえなれば群を抜いた実力で目立つだろう、そう思っておったな?」


 痛い所を突かれたのか青年の顔が歪む。


「どうすればよろしいでしょうか」


 自分が名を広めれば、青年も少しは知られるようになるかもしれない。だが、それはただの甘やかしでしかないし、それなら直接県令にでも斡旋してやる方が簡単である。橋玄は青年を手助けすることにしたが、軽い試練を与えることにした。


「お主は世間に名が知られていない。これが一番いかん。まずは許子將の所へ行きたまえ」

「許子將……」

「名が広まったら、もう一度ここへおいで」


そう言って送り出した。


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