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俺解釈三国志  作者: じる
第七話 黄龍(熹平三年/174)
74/173

1 絶望の人

 橋玄、字公祖。梁国雎陽の人である。


 橋玄は雎陽県の功曹だった頃、隣国陳国の相、羊昌の腐敗を憎み、巡回してきた豫州刺史の周景に頼み込んで陳国従事に任命してもらった。陳国従事になった橋玄は羊昌の賓客を次々と捕まえ始めた。身の危険を感じた羊昌は外戚の大将軍、梁冀に助けを求めた。梁冀は彼を救おうと早馬で檄を送った。周景も元々は梁冀に辟された身である。橋玄を呼び付け、止めようとした。橋玄は意にも介さなかった。檄を送り返し、羊昌を捕まえると檻車に乗せて洛陽へ送った。これにより橋玄は世に名を知られることとなった。橋玄三十二の時である。


 以後の橋玄は、着実に官位を重ねて行き、度遼将軍として高句麗に勝ち、司空、司徒と三公を歴任した後、今は光禄大夫として帝の側近の地位にある。


 橋玄の評判は剛急で清貧である。法の適用に厳格で権勢に阿らず徒党も組まず役職を全うして畜財らしい事をしないからである。


 だが、橋玄本人の気持ちは違っていた。


(温い人生を送ってしまったな)


 様々な場所、様々な役職で厳しく務め上げて来たが、思い返せば大鉈を振るう、という事はできていない。梁冀に反発したのにその排除にも寄与していないし、三公に上り詰めても宦官の害を排除できなかった。結果、漢家の凋落はとめどなく続いている。


 人頭税を銭納とする、という制度により、百姓は作物を銭に替えねばならない。銭を握る豪族が相場をつり上げるので百姓は作物を絞り取られる。貧しさから逃れられない百姓は土地を捨て流民となる。私有地へ流民を吸収し小作人にする事で豪族は更に太る。

 この構造の問題の上に、宦官に賄賂しやって来た地方官が更に貪る。百姓の不満は溜り、そこここで反乱が起きる。

 反乱の鎮圧、異民族への対処にはその貴重な人頭税が湯水の様に使われ、指揮官と地方官の懐に消えて行く。

 国庫は空に近いのに皇帝の気まぐれや宦官らの贅沢でさらに浪費される。


 これら全てを解決する抜本的な方針、というのを橋玄は用意できなかった。保身に汲々としてきたつもりはないが、大胆に世を替える力に自分は欠けている、という自覚はあった。年も六十代も半ばを過ぎ、なにか大きな事をなすには、もはや時間が足りなすぎる。


(言い訳だな。時間があったら何かできたとでもいうのか?)


 国家は弱り切っており、自分の度量や力ではどうすることもできない。その絶望から一度は病と称して自らを弾劾し、梁国で隠居した程である。それでも政治の腐敗は追いかけて来た。旧友の孫と沛国相を巡る事件に巻き込まれ、結果朝廷に復帰し、また洛陽に戻る羽目になった。


 漢家という枠組を破壊でもしない限り、誰にも手の付け様はないのではないか?口には出せないがそうも思っている。だが、その漢家を破壊する、ということすら、橋玄にはどうすればいいのか判らない。


(所詮わしはこの程度の器か)


 橋玄は自分の能力の限界を認めている。だからこそ思うのだ。


 ───誰か、どこかに、私にできない事を託せる大器はいないのだろうか?


 と。


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