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俺解釈三国志  作者: じる
第六話 孟徳出世 (熹平二年/173)
72/173

8 処刑

 日が昇り、相県の城門が開く。市場に賑わいが戻って来る。しかし今日の人の流れは少し違った。


 県城の中心に、土壁で囲まれた市場がある。その門の脇に、縄で仕切られた一角があり、どす黒く汚れた丸太が置かれていた。


 この丸太の置かれた場所を中心に人が輪を作っていた。皆、本日、ここで腰斬の処刑があると知って見に来たのである。良い場所で見たくて、場所取りをし、処刑の時を待ち構えているのである。そう、市場での処刑は庶人にとって娯楽なのだ。まして今回処刑されるのは沛国の大金持ち曹家の坊っちゃんである。珍しいし、いい気味なのだ。


 まだ現われぬ囚人に代わり、衆目を集めていたのは土壁のきわに立つ、国相魏愔。こういった処刑の場にわざわざ国相が立ち会うのは異例であった。


 何食わぬ顔をして立つその魏愔であったが、内心は焦りに焦っていた。


(何故だ?何故曹嵩の遣いが来ない?本当に御曹司を見捨てたのか?)


 この期に及んでも曹嵩からの連絡が無い。このままだと半刻もしないうちに曹操の体はまっぷたつになる。そうなってしまえば曹嵩との対立は決定的になるし、場合によっては沛国の大豪すべてが敵に回る可能性すらある。


(まずいな……。中止すべきか……?)


 しかし生半な理由で取り止めてしまったら曹嵩に足元を見られてしまう。曹操を殺す気が無い、という事がバレてしまえば曹嵩からの資金提供はありえなくなる。


 魏愔が通例を破ってここに立っているのは、曹操の処刑をぎりぎりで止めるためであり、間違っても勝手に処刑が行われてしまわない様にする為である。魏愔は必死で理由を考え続けていた。


 どのくらいの時がたったのか。その思考がざわめきにより断たれた。


(もう始まるのか?)


 周囲を見回す。見物に集まる群衆が皆同じ方向を向いていた。視線は上向き。魏愔は彼らの視線の方向を辿る。


 国王の館の高楼に沛国王劉琮の姿があった。群衆は国王まで臨席するのかと驚いたのである。


(肝の小さいことだ)


 沛国王にも無論、今回の反乱の片棒を担いでもらっている。魏愔が曹操をどうするのか、心配になって高楼に昇ったのだろう。

 

 内心で嘆息した魏愔に向かい、群衆の中から声が飛んだ。


「魏国相!今回の処刑についてもの申したい!」


 桓曄であった。ちらりと目があってしまったのを了解と考えたのか桓曄が言葉を続けた。


「曹操を死刑にすることになんら異存はない!しかし処刑の実施に際しては帝に諮るのが国法ではあるまいか?」


 そんな事をしたら来年まで曹操を処刑できなくなる。魏愔は無視することにした。


 わめく桓曄の声をかき消す様に群衆のどよめきが上がる。両手で大きな鉞斧まさかりを捧げた刑吏が入場して来る。いよいよその時が来たのである。


(どうする?何を理由にする?)


 魏愔は必死に思考する。


 刑吏が丸太の位置に立つ。この丸太に囚人をくくり付けておいて、腰に鉞斧を振り降ろすのである。丸太にはいくつもの傷と黒い染みがあった。


 次いで面縛された──後ろ手に縛られ、顔をぐっと突き出さされた──曹操が、役人に追われてやってくる。


 よろよろと歩いた曹操は丸太の上に蹴り倒され、役人達に抑えつけられる。


(曹嵩の遣いはまだか!?)


 内心で叫ぶ魏愔の耳に、信じられない声が掛かった。


「誰だコイツは。曹孟徳ではないではないか」


 桓曄である。曹操の顔を知る者の言葉に、


(騙された!身代りを掴まされていたか!)


 魏愔の思考は一瞬で結論にたどり着いた。


 曹嵩の応対が冷たいわけである。ならばここは知らぬふりで処刑した方が、曹嵩へ覚悟を見せることができる。魏愔の口元に笑みが広がった。桓曄の言葉を聞かなかった事にして、魏愔は宣言した。


「刑を!」


 右手を掲げた瞬間、


「待て!」


 別の方向から声が掛かった。若者が二人進み出て叫んだ。


「俺が曹孟徳だ。本物のな」

「人殺しの夏侯元讓だ。邪魔するなよ」


***


 衆人の期待と注目が集まるこの瞬間を待っていた。


 魏愔とて銭が欲しいだけで、俺を殺したいわけではない筈。言え!曹操は魏愔を睨みつけた。

 魏愔は数回まばたきをした後、這いつくばらされた夏侯淵を指さして言った。


「ではこの男は?」


 よし。


「俺の罪を引き受けようとした者だ。死なすに忍びない」


 だが、夏侯淵が腹ばいのまま叫ぶ。


「曹孟徳は俺だ!間違えるな!」


 群衆がどよめく。曹操の言に魏愔は応えた。


「お前は本物が曹操という確証はない。こちらが本物で、それを逃しに来た偽物かもしれん、ならば」


 よしよし。


「確認が必要だな」


 よしよしよーし!


「いや、こっちが曹孟徳です。龍亢の桓文林、曹操の顔は知っております」


 指さしてくる桓曄。


 腐れ儒者が!キッと曹操とそして魏愔が桓曄を睨み付ける。


「う」


 二人からの冷たい目に桓曄がたじろぐ。


 改めて魏愔が集まった群衆に向け説明する。


「曹操を名乗る人物が二人、という仕義とあいなった。真偽を確かめる必要がある。詮議の為に本日の刑は一旦延期とする」


 桓曄はただ唇を噛む。

 群衆から洩れるため息は見せ物を見損ねた落胆か。だが国相の決定である。否はない。皆が輪を崩して立ち去り掛けた瞬間、さらに別の声が割って入った。


「いや、もはや詮議自体不要よ」


 輪の切れ目から進みで来たのは一人のがっちりした男。いやよく見ると老人であるが、年齢を感じさせないたくましい肉体である。曹操にはその顔に見覚えがあった。


「公祖様!」


 橋玄である。


 この方がわざわざこの場に来た、と言うことを曹操は次の二つの意味と理解した。官兵はまだ来ない。そして自分を処刑から救いに来てくれた、という事。


「わざわざ雎陽からありがとうございます!」

「いや、洛陽からじゃよ。骨が折れたわ」


 この回答は曹操の理解の外だった。


 橋玄は魏愔の方へ向き直り、もう一度言った。


「真贋という意味でははっきりしておる。立ってる方が曹孟徳よ。我が家に来ては秘蔵の蜂蜜を甜めていた悪ガキよ」


 魏愔が眉を顰めた。


「橋前司徒。なぜあなたがここに来られたかは知らぬが、あなたにはこの沛国で誰かに指図する権限などない。ひっこんでもらおう」

「然り。わしはここで何の権限もない」


 橋玄はニヤっと笑った。


「だが、何の権限もないのはお主もだぞ。前国相」


 魏愔は理解できない、という顔になった。


「新しい沛国相を紹介しよう」


 そう言って橋玄は後ろに手を振った。妙に芝居掛かっていた。


 群衆を割ってゆっくりと歩いて来たのは若い男。


(う)


 曹操は背筋にぞっとするものを感じた。


(俺はこいつとは相容れない)


 直観である。


 若い男は竹簡を掲げて大声で叫んだ。


「魏愔よ。陳国相時代の所業について訴えがあった。汝を解任し洛陽へ送還する」


 そしてことさらに声をはり上げた。


「寛大なる帝は、国相の不手際であれば国王に責はなかろう、と仰せだ!」


 その言葉の意味を理解した魏愔は高楼を振り向いた。沛国王劉琮の姿は消えていた。分断され、見捨てられたと知った。


 若い男はニッと笑った。


「後任は私だ。安心して縛につくがいい」


 小声で続けた。


「全て露見したぞ。師遷は既に送還された。お前は終わりだ。大人しく捕まっておけ」


 絶望に歪んだ顔で魏愔が小声で応じた。


「お前らを殺す事くらいわけ無いぞ」

「大人しくしていればお前一人を痛くないように殺してやろう。抵抗すれば夷三族だ。どっちがいい?」


 若い男は答えた。やさしい声だった。

 魏愔の肩ががっくりと落ちた。


***


 夏侯淵が解放され、代わりに魏愔が──先程まで自分が指図していた──刑吏に引き立てられて行く。


 曹操は夏侯淵に駆け寄ろうとした。だが、夏侯淵は手首の縄の跡をさすりながら微笑んで首を横に振った。感謝の言葉を掛けようとしたのを見透かされたのだ。水臭いぞ、という顔だった。


 曹操は踵を返し、橋玄の元に走った。


「公祖様!ありがとうございます。しかし、いったいどういうことです?」


 礼を述べたが、謎しかなかった。反乱を鎮圧、どころか反乱の起きる前に芽が摘まれるとは思ってもいなかった。


「お主から遣いが来たのでな。こりゃいかんと思って洛陽へ走ったのよ」

「走った?まさか」

「おお、駅馬でな。一昼夜走り通しだったぞ」


 駅には馬が配置され、急使が乗り継ぐ事ができる。

 だが、まさか橋玄本人が──老体に鞭打って──洛陽へ走っていただけるとは曹操も思っていなかった。雎陽から洛陽まで八百里以上ある筈だ。そこを丸一日で走ったとしたら、何頭馬をつぶしたか判らない程の強行軍だった筈だ。


「あとは王中常侍に面会し、陳沛の国相更迭で手を打った」


 先程の若い男……新しい沛国相は王吉。中常侍王甫の養子だという。


「陳までは車で。そこからは舟で下った。同行あってだから急ぐわけにも行かず、お主が処刑されると聞いて焦ったぞ」


 曹操は頭を下げるしかなかった。


 そこへ王吉がずかずかと歩いて来た。


「おう、曹大長秋の孫とはお前か」


 曹操はこの男を不快に感じるわけが判った。


「俺の父は王中常侍だ。お前とは一度話してみたかった──」


 自分に似ているからだ。


「──が、ツラを見て気が変わった。孝廉で推してやる。とっとと洛陽へ行け」

「断る」


 孝廉は地方から中央政界への足掛かりではあるが、もしこの男に推挙されたら、自分は宦官の縁故で官途に就いた事になってしまうではないか。


「俺は国相として、この国に正義をもたらすつもりだ。親父の汚名を雪ぎたいんでな。わかるだろう?」

「祖父を俺を、侮辱するな」


 悪名高き王甫と祖父を比べられても困る。そもそも王甫の汚名は雪げる程軽いものか?そこで曹操は気付いた。王吉は沛国内で悪を断つと言っているのだ。それも自分の『正義』の尺度で。王甫の──外戚の大将軍を逆賊として殺した男の──汚名を雪ぐ程の正義とは、どれほど苛烈で血に塗れたものになるだろう。


 曹操は王吉を睨み付けた。王吉の『正義』にどう対抗しようか考えながら。


「おお、怖い怖い。俺をどうしてやろうか考えてる目だ」


王吉は怯える振りをした。


「だから、お前には何が何でもこの国から出て行ってもらうぞ。お前の様な奴が居るとなにかと面倒そうだからな」


そしてにっこりと笑った。


「なに、心配するな。お前が洛陽に行くのと引き換えに、お前の一族を俺の正義の対象から外してやる」

「こ!」


断る!そう叫ぼうとした。夏侯惇が袖を引いて首を横に振った。曹操は唇を噛んで、それから言った。


「……判った」


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