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俺解釈三国志  作者: じる
第六話 孟徳出世 (熹平二年/173)
71/173

7 拒絶

 曹操逮捕の翌々日。


「もう一度聞かせてくれ。聞き間違いかもしれん」


 譙から戻って来た役人に、魏愔はもう一度尋ねた。役人は先程と同じ事を叫んだ。


「は!曹嵩は、銭の提供を断わってきました」


 魏愔は両手で顔を覆って動かなくなった。しばらくして──気を取り直して──役人に問うた。


「もう一度だ。間違いがあると困る。一字一句、曹嵩の言った事を聞かせよ」


 役人はしばし逡巡した後、意を決して答えた。


「曹嵩めは『銭は出さぬ。好きになされるがよい』そう言っておりました」


 ふうっと大きくため息を吐いた後、魏愔はつぶやいた。


「舐めやがって──俺が息子には手を出せないと思ってやがる」


 キッと役人を睨むと続けた。


「三日の後、市で曹操を腰斬する。国中に触れを出せ」


 ダン!と床を強く踏むと、怒りに燃えた目で叫んだ。


「曹嵩め。後から泣き付いた分、高くつくと知れ」


***


 各県の城門、あらゆる亭の門の前に、曹操の公開処刑を告げる扁が貼り出された。


 龍亢県の城門でそれを読んだ桓曄は、


「曹孟徳が腰斬とは。閹人の孫にはいい気味ではあるが、魏国相の判断、いささか気ぜわしすぎではあるまいか?」


 そうつぶやいた。


***


 日が昇る。起き出した羊達を、馬に乗った牧童たちが今日の牧草地へ誘導する。遠ざかっていく羊の群れはまだ、母屋の曹操からも見える。


 方向を間違って羊の一頭が迷い出る。一頭の馬が群れから飛び出す。短襦を履いた少女が乗った馬は迷い羊に先回りし、群れの方へ追い返す。


「楽しそうに走るだろ?」


 熊手を片手に丁斐が尋ねた。


「あいつと一緒に走りたいか?」


 丁斐ていひ、字は文侯。曹操にとっては丁家との家族ぐるみのつき合いの幼馴染である。この牧場の跡継ぎである。


「馬なら貸してやってもいいぞ」


 そういって手の平を突き出した。銭を取る気らしい。曹操は苦笑した。


「馬に乗ってるトコを誰かに見られたら大事だ。今は目立ちたくない」

「そうかい」


 丁斐は馬房の掃除に戻っていく。


 ずいぶんと遠くなった羊の群れを見ながら、夏侯惇がつぶやく。


「なぁ孟徳。あの娘、そっとしておいてやった方がいいんじゃないか……?」

「なんで?」

「脈がないように見える」

「あるさ!大ありだよ。見る目がない奴だな」


 曹操は自信満々である。


「……それに、馬に乗ってる姿を見てたら、この牧場に居させてやった方が幸せな人生なんじゃないかって気がする」

「俺と居る方がもっと幸せになれるさ」


 曹操はますます自信満々である。


「望まぬ方向に人生ねじ曲がって幸せになれるものかねぇ」

「他人の人生をねじ曲げない様に遠慮して生きてどうするよ?お前だって俺でねじ曲がったろ?」

「違いない」


 夏侯惇は納得した。


 昼を過ぎ、曹操が腰斬される、という知らせが丁氏の牧場に届いた。


 曹操は劉夫人の髪を撫でた。


「すまん。ちょっと出かけることになりそうだ」

「お出かけの前に子に名を」


 おなかに手を当てて問うた劉夫人に曹操は笑って言った。


「大丈夫──死ぬような話ではないさ。必ず帰る」


 夏侯惇は止めなかった。ただ、こう言っただけだ。


「俺も行く」


 もし妙才を見殺しにしたら自分は一生後悔する。そう思った。曹操も同じ筈だ。


「敵の狙いは俺だけだぞ」


 曹操はそう言ったが、やはり止めはしなかった。


「別に命を取られたりはしないんだろう?」

「俺が出頭したら親父は折れるだろうしな……問題は鎮圧された後だ」


 この反乱はうまくいかない。曹操の中でこれは既に規定の事実になっている。宗教的な熱気も、悪政への怒りもこの国には蔓延していないからだ。たとえ父からの資金提供があっとしても、兵たちは戦いを続けられないだろう。問題は官兵が来て鎮圧された後、曹家が責任を取らされるかどうか。曹操が通報した、という事実を盾に使って免罪を勝ち取るしかない。


 曹操は指折り数えた。


「稼げた時間は十日程度か……」

「官軍は来ないか」

「無理だろうな」


 洛陽には五営が居る。羽林や虎賁が居る。が、これらは近衛である。外征軍ではない。どこかの県で起きた民衆反乱などであれば近隣各郡から兵力を抽出できるが、二国による反乱という規模では新規の動員と編成も必要だろう。橋玄が元三公としての政治力を発揮してくれても、兵の派遣に掛かる時間は短くなるまい。


「明後日、妙才が腰斬される場で出頭する」


 衆人環視の市場なら、妙な事はされないだろう。


***


 二日後の早朝。曹操達を劉夫人、そして丁家の一同が見送りに出る。まだ日も登らぬ薄明りの中、曹操は丁家の一同に礼を述べて行く。


 丁斐は言った。


「お前の飯代、きちんと払いにこいよ」


 曹操は笑って答えた。


「帰って来たら色を付けて払うよ」


 少女の前に来ると、曹操はその手を握り──即振り払われたが、すかさず握り直した。


「我が愛。帰って来たら結婚しよう」

「いい加減に私の事は忘れなよ」

「なぜ?」


 心底不思議そうに曹操は首を捻った。


「私は家の決めた相手なんかと結婚しない」

「俺は家が決めたから結婚するんじゃない」


 即答であった。曹操は右眉を上げて言った。


「愛してるから結婚したいんだ」

「……」


 少女は助けを求めるように劉夫人の方を見た。劉夫人は静かに微笑んでいた。困った顔で少女は曹操に向き直り言った。


「離して」


 曹操がいつまで経っても手を離さないからである。


「離してってば!」


 ぶんぶんと手を振り回すが、曹操はうまくいなしてしまい、手が離れない。諦めた顔で少女は言った。


「……奥さんの処へ行ってあげなよ」


 名残り惜しい顔で曹操は手を離し、妻の元へ行った。


「大丈夫かい?顔色がよくないようだ」

「空が暗いからでしょう……ご心配なさらず」


 そういうと劉夫人は曹操の手に自分の指を絡めて囁いた。


「ここでお待ちしています」

「すぐに戻る」


 曹操は劉夫人の指をやさしく握り返した。


 夏侯惇が小さく口笛を吹いた。


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