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俺解釈三国志  作者: じる
第六話 孟徳出世 (熹平二年/173)
69/173

5 曹操捕縛

「逃亡中の曹操に連座させる為、その妻妾を連行する」


 明け方早々。やって来た役人が門前で木牘を捧げ、読み上げた。背後に完全武装の兵士が十人。役人の顔には自信が溢れていた。


(あれっぽっちか)


 夏侯淵は高楼から見下ろし思った。


(親父さんの手下をどうにかできる数じゃねーな)


 廛に詰めている曹嵩の私兵は官兵の三倍以上。これならなんとでもなるだろう。


 役人は家宰、用人達と押し問答を始めている。


 曹家の用人としては役人を通すわけにはいかない。そこで賄賂を出そうとしたり言い逃れようとしたりしているが──どうもうまく行っていないようだ。ついに用人と役人が階下で喧嘩を始める。何を言われたのだろう。用人の一人が役人を付き飛ばしたのだ。後ろの兵が飛び出し、その用人を取り押える。


(あれ?)


 おかしい。このあたりで増援が来ないと門が突破される。いつも親父さんの回りを守っている柄の悪い連中が来ると思っていたのに。


(オイ、オイ!?)


 次々と用人が地面に転がされる。


(そんな、嘘だろ?!)


 拘束された家宰達を置き去りに、役人と兵達が門を抜け屋敷の中に雪崩込む。夏侯淵は慌てて高楼から駆け降りた。


 地上に降りた時には廛の中はすでに官兵の怒号と逃げ惑う婢達の悲鳴で大混乱になっていた。


(まさか親父さん、息子の嫁を見捨てたのか!?)


 曹嵩の護衛がこちらに来ないのは、護衛が曹嵩を守ることに専念しているのか、さもなくば夏侯惇、曹操、劉夫人と次々連座していく流れを劉夫人で止めたいのか。夏侯淵は後者と直感し、右往左往する人々の中を潜り抜け、曹操の部屋へ走る。


(腹にいるのはあんたの孫だぞ?!)


 曹操の部屋に飛び込んだ夏侯淵は、壁際に積まれた木櫃の蓋をはね開け、中から袍を引きずり出した。


 曹嵩の廛は費亭侯の格式を超えた豪邸である。曹嵩の蓄妾は大した人数ではなかったが、明確に女達の居る奥と、男の入れる表が分かれていた。


「探せ!若い女だ」


 普段であれば、家族以外の男子の入れない奥に、沛国の役人と兵士が突入した。実のところ、ここまで無抵抗に入れると役人は思っていなかった。ここまでのどこかで曹嵩との私兵との対決を覚悟していたのである。だが実際には異常なまでに無抵抗な状態で奥に入る事が出来た。

 曹騰の出自もあって、ここの奥向きには護衛を兼ねた宦官は居ない。婢達の悲鳴だけが上がった。


 しばらくして兵士から「見つけた!」の叫びが上がる。


 奥向きの、さらにその奥から、兵士に連れられて女が引きずられて来た。役人の顔が嫌そうに歪む。女の腹が膨らんでいるのを見たからである。

 牢獄は苛酷な環境だ。普通の女でも生き延びるのは大変な場所。ましてや妊婦である。彼女を──人質として──生かし続ける苦労を彼ら役人が負うことになるからだ。


 強く手を引かれた女が呻く。


「手荒にするな。誰か手を貸してやれ」


 役人の指示で兵士が妊婦の体を支える。


 周囲を取り巻く婢達から小さな悲鳴が上がる。奥向きに住まう人妻に他の男の手が触れる事はないからである。


 ゆっくりと、実にゆっくりと役人達は妊婦を運ぶ。


 一行がようやく廛の出口に近付いた時、門前から声が掛かった。


「待て!」


 役人が声の主を見る。瀟洒な袍を着、悠然と立った貴公子であった。


「曹孟徳である。妻から手を離せ。俺が出頭すれば良いのだろう?」


 そう落ち着き払った態度で言い放った。


 すでに逃走中、と認識していた曹嵩の廛にまだ本人が潜んでいたとは、役人には驚きであった。だが千載一遇の機会である。


 役人は帯に手挟んでいた笏を取り出す。そこには案比の時に採られた曹操の人相が記載されていた。


 無論、案比の人相書きはそれほど詳細なものではない。身体に傷、欠損や奇形などが無ければ、身長や太っているかどうかなどが決め手になる。

 その観点で確認すると、容貌は十九にしては若々しい気がするが、これは低い身長のせいかも知れない。そしてその身長は人相書きに合致する。


「曹操を縛につけよ」


 そう周囲に指示を出した役人は臨月の妊婦を引き連れずに済んだ事にほっとしていた。

劉夫人が自分の夫を見つめる目には、誰も注目していなかった。


***


 夏侯淵が曹操の名を騙って捕まった、という報が狩り場の曹操に届いたのは夕方近くになっての事だった。夏侯淵の伝言を携えた用人が、目立たない様に徒歩で状況を伝えに来たからである。

 事の顛末を聞いた曹操が最初に発したのは次の言葉だった。


「くそ親父……孫は抱かせねぇぞ」


 保身の為に身重の嫁を見殺しにしようとしたのだ。夏侯淵が身を呈してくれなければ最悪の事態もあり得たろう。


 曹操は立ち上がった。目は怒りに燃えていた。

 夏侯惇は裾を掴んで座らせた。


「孟徳。何をする気だ?」

「妙才を助ける」


 曹操は夏侯惇の腕を振りきり立ち上がろうとする。夏侯惇の握る力が強くなる。


「妙才の献身を無駄にするな!」


 曹操は地面に引きずり降ろされ尻餅をついた。

 思わぬ腕力に戸惑う曹操の襟を掴んで引き寄せると夏侯惇は顔の真近で叫んだ。


「今、大事な事はなんだ!?」


 夏侯惇の大声に、曹操はとっさに答えた。


「洛陽の官兵が来るまで賊の蜂起をさせない事」

「その為にはどうする?」

「俺達が捕まらないことだ」

「じゃあなんでこうなった?」

「俺を捕まえらないので妻で代用できると国相が思った」

「じゃあどうすればいい?」

「妻も逃す必要がある!」


 夏侯惇の手が緩んだ。


「……難しいな、それ」


 一応の結論は出た。夏侯淵の擬態が露見する可能性があるので、劉夫人の危険は去ったとは言い切れない。しかも父曹嵩が信用できないので、やはり劉夫人にも逃げてもらう必要がある。だが身重の劉夫人に狩り場暮らしをさせるわけにはいかない。


「費亭に匿まってもらうか?」

「いや無理だ。これ以上お婆様にご迷惑を掛けするわけにはいかない」


 費亭は知られていて長居できる場所ではない。


「行く先がないじゃないか」

「いや、そうでもない」


 曹操の顔が微妙にやに下がっているのを夏侯惇はいぶかしんだ。


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