表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺解釈三国志  作者: じる
第五話 會稽の妖賊(熹平元年/172)
62/173

7 陽明皇帝

 年が明けるのを待たず、尹端は行動を開始した。


「捕虜を返さない……ですか?」


 朱儁は思わず尹端に聞き返した。


「そうだ。句章攻めの戦力に編入する」

「捕虜といっても彼らは被害者です。それにもうすぐ正月です。早く家に返してやりたいのですが」

「聞けば家を焼かれた連中じゃないか。軍に居る間は食には不自由させない。それだけでも恩恵だろう?賊に怨みもあるだろうしな」


 これは聞き届けてはいただけないな。朱儁の意識は各県の復興から軍の兵糧計算に移った。

 だが、続く尹端の言葉で、朱儁は計算を続ける事ができなくなった。


「各県で兵を募れ。むろん、上虞、餘姚でもだ」


 え?兵を増やす?


「尹會稽。丹揚兵も来るのです。これ以上の兵は必要ないのでは?」


 尹端は震える声で告げた。


「三輔では董卓に出し抜かれ、會稽でも州の助力で取り返しました……では俺の武名は地に堕ちる。我々だけで句章は落す」


***


 句章の町は悲しみに沈んでいた。


 家に戻らなかった親を子を家族を悼む泣き声。

 敗北に打ちのめされるうめき。


 弔問し、励ましと飛び回っている許韶も、自分に突き刺さる冷たい視線の痛みを感じ続けている。


 父、許昌は元県庁舎の自室に引き籠っている。

 だが、いつまでも引き籠らせているわけにもいかない。


「親父。大丈夫か?」


 暗い部屋のねどこに、許韶の父はうずくまっていた。答えはない。


「親父……これからどうする?」


 勝ち目はもうなさそうだ。降伏した方が死者は少ない。うまくいけば自分ら二人で済むだろう。許韶はそう計算していた。


 許昌がぽつりと答えた。


「いっぱい死んだなぁ」


 許昌親子を逃すため、熱心な信者が後拒した。肉の壁となって散った。


「わしは全員の名を言える。何をお布施にしてくれたかも覚えている。わしの信者だもの」


 許昌はため息をついた。


「信者を殺したわしの来世は、虫けらだなぁ」


 許韶が、許昌を手伝って広めている浮屠の教えでは、人は善行を為せば来世も人として生まれるが、悪行を為せば畜生や虫けらになってしまう。そう教えている。


 許韶は本気にはしていなかったが、かつて父はこれは真実だ、と言った。でなければ人は善い行いをしないし、悪人が勝ったままでは弱い者は報われない。そうでなくては困る。そうも言った。


 許韶は町で拾った噂を伝えた。


「官軍が来るらしい。上虞でも、餘姚でも、兵を募っている。親父。どうするか決めたい」

「死んだ連中の中には善行する暇もなく、死んだ奴もいるだろうな……。そいつらから善行の機会を奪ったのはわしだ。わしは虫けらだなぁ」

「親父……?」


 許韶は父の精神状況を確認しようと顔を見た。

 許昌は突然許韶の目をみつめて言った。


「わしが虫けらになるのはいい。だが、死んだ皆を虫けらにするわけにはいかない。そうは思わないか?」


 父の目に宿った力は、息子の初めて見る類のものだった。


「みんなを集めてくれ、あいつらの死は善行だった……そうなるようにしたいんだ」


***


 夕方、日が沈もうとする頃、皆がぞろぞろと県庁舎前に参集する。

 諦めと、悔悟と、冷淡を纏って、重い足取りでやってくる。


 日が落ち、暗くなりつつある空だったが、県庁門前では贅沢にもそこ、ここで焚火が焚かれ、煌々と庁舎を照らしていた。嗅いだ事の無い香の匂いが漂っていた。


 県庁舎の門前を人が埋めた頃、県庁のやぐらの上に、許昌が現われた。


 庁舎を照らす焚火も、許昌には届いていないのか、許昌の姿はうすぼんやりとして見えた。そして頼りなさげに見えた。


 許昌は皆を見下ろす位置から語り掛ける。


「みんな!聞いて欲しい!」


 門前の皆の反応は冷淡だった。

 声が聞こえていないと思ったのか、許昌はもう一度声を張り上げた。


「みんな!聞いて欲しい!」


 視線が許昌に集中し、聞こえていることを理解した許昌が続ける。


「わたしは──」


 そこまで言ったところで許昌は言葉を切った。


 そしてばたりと倒れた。


 ざわめく信者達。


「どうした?」

「頓死?」

「越王!」


 口々に叫び声が交わされる中、ゆらりと許昌が起き上がった。


 ごうっと焚火の強く燃え上がる音がする。


 明るくなった焚火が下から照らし上げた許昌の顔は、まるで別人だった。


 堂々とした態度。ゆるやかな落ち着き。強い力に満ちた輝く目。

 皆のとまどいの中、その人物は言った。


「我は大毘盧遮那マハーヴァイローチャナなるぞ……」


 深く通る声だった。説法の中で何度も聞いた名であった。


「……大いなる日輪の化身が、請願によりこの矮小な男の身に顕現した」


 集団は息を止めて見守った。


「男は願っておる。法敵に勝てる力が欲しいと」


 許昌が何に勝ちたいかは聞くまでもなかった。


「お前達はそれを望むか?」


 門前は静まり返っていた。


「望むか?!」


 許昌の姿をしたそれは、もう一度問いかけた。


 おう!おう!各所で声があがりはじめた。


 許昌は両手を掲げ天を仰いでから、信者達に語りかけた。


「陽明皇帝の名を唱えるが良い。太陽を司る我が、お前達に加護を与えよう」


 陽・明・皇・帝!


 誰かが声を上げた。


 陽・明・皇・帝!

 陽・明・皇・帝!


 声がそこここで上がった。

 皆が追従して大音声となった。


 陽・明・皇・帝!

 陽・明・皇・帝!

 陽・明・皇・帝!


 門前は熱狂の坩堝となった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ