5 一蹴
山陰県の城壁から離れた位置のそこここで、炊飯の煙が上がる。賊軍が午後の飯を作りはじめたのだ。
包囲も一ヶ月。城内では切り詰め、切り詰め、配給するのに朱儁は苦心していた。
あまり減らすと内通者が出兼ねないからだ。
千にも満たないこちらと違い、あちらは万余。毎日膨大な量の米を消費している筈だ。
「どこから兵糧を調達しているんですかね?」
「金持ちを脅して吐き出させているんだろう。算賦の米の換金で今年の収穫米を貯め込んでいるだろうからな」
まさか會稽の富豪達が信心と成行きで協力しているのだとは尹端にも読めなかった。
遠くから、謎のつぶやきが聞こえて来る。
「いつものですね……」
「邪教の呪文らしいな」
意味は理解できなかったが、毎日の事である。
ムニャムニャと暗唱すらできそうな気がする。
「お」
尹端が何かに気付いたように遠くを見る。
朱儁もつられてそちらを見る。
いつもと同じ、敵また敵の光景である。
だが、よく目を凝らすと、その向こうにもやっとした煙の様なものが見える。
「あのもやっとしたのは……?」
「お、見えたか朱主簿。あれは気よ。戦気という奴だ」
そういうと尹端はにやりと笑った。
煙の中に小さな黒い点が見える。
目の焦点が合うと、その点は複数有り、人であると判る。
もやに見えたのは砂塵である。
「あれは……兵?」
「やっと来たな」
賊軍の包囲網の一角から悲鳴が上がる。
昼飯を食べている敵兵に、官軍の援兵が強襲を掛けたのだ。
「素人ども、歩哨も立ててないのか」
悲鳴と怒号が上がり、包囲網の一点に綻びが出来る。
点はどんどん左右に広がっていき、包囲網が切り裂かれていく。
その中でひと際派手に血しぶきを巻き上げながら、一直線にこちらにやって来る一隊があった。
「ほう、凄いな」
尹端が感嘆の声を上げる。
先頭に立つ若者が、逃げ惑う賊を手戟で斬り殺し、進んで来る。
勇気の有る者が鍬を振り上げ抵抗する。
勇気の無い者は逃げ出す。
意気地の無い者は地に伏せ、命乞いをする。
だが、若者の前に立つ者は、全て死ぬ。
抵抗するものは正面から斬られる。
逃げるものは後ろから刺される。
命乞いするものは上から斬り伏せられる。
抵抗しようが、逃げようが、命乞いしようが全て命を失っていく。
逃げ足の早いものだけが助かる。それが判った賊軍は、おそろしい速度で散り散りになっていく。
「なかなかの勇士だな。常人にはああはできん」
朱儁は、尹會稽が常人という言葉にどういう意味を込めたのか聞きたくなったが、やめた。若者がすぐ近くまで駆け込んで来たからである。
返り血で全身を染めた若者が城門前で叫んだ。
「呉郡司馬、孫文臺!一番乗り!」
四方に向かい、吠えるだけ吠えた後、ようやく城門の方に向き、叫んだ。
「太守殿はご無事か!」
「おう!助かったぞ!」
戦さ場に響く声で尹端は答えてから、朱儁に向けこう言った。
「門前が落ち着いたら、開けて労ってやれ」
気が付くと敵は四分五裂し、逃げさっていたのである。




