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俺解釈三国志  作者: じる
第五話 會稽の妖賊(熹平元年/172)
57/173

2 越王

(やってしまった……)


 血の海に倒れる県令を見下ろして、許昌は青ざめていた。


(なんでこんな事に……)


***


 會稽郡は揚州の、浙江以南の海岸のほとんどを占める、巨大な郡である。


 許昌はここで、浮屠の教えを広めていた。


 身毒インドから将来された浮屠ブッダの教えは、長安にやってくる西方貿易の中で洛陽にまで伝わって来ていた。


 だが、許昌が広めているのはそれではない。南の葉調国ジャワからやってくる異国の船乗り達が持ち込んだものである。


 航海の安全をもたらす陀羅尼ダーラニー、病を癒す陀羅尼……そういった力ある言葉じゅもんを唱えることで利益を得る術である。


 許昌は身毒の精舎で浮屠の教えを学んだ正式の僧侶ではない。陀羅尼を聞きかじりで学んだまじない師なのである。

 だが、許昌は自分がいんちきをしているとは思っていない。浮屠の超越した力を信じ、この地域に教えを広めようと、まじめに思い活動して来たのだ。



 會稽の東にある、句章県で説法中の事である。信者から「米を安く買い叩かれて、算賦が納められない」という相談を受けた。

 算賦……人頭税は、銭で納めるのが決まりである。


 この地域の農夫は自分の畑で産する稲……赤米を売って銭に換えるのだが、銭を貯め込んでいる県の富豪が結託し、一斛の相場を安く安く設定したのである。その相場で換金すれば手元に米は残らない。


 換金し年が明けたあたりで飢え死にするか、土地を捨て逃散してどこか別の地の豪族の下で奴隷の様な生活をするか。農民達はこの二択を迫られたのである。


 この世俗的な相談が許昌に持ち込まれたのは、この地域の富豪達が許昌の信者でもあったからである。特別な力、無病、死の超克。そういったものに富豪達は心を惹かれたのである。


 許昌としてはよりお布施の多い富豪達に荷担したい所ではあるが、それでは布教として成り立たない。


 仕方無く、諭す、という形の調整を買って出る事になった。


 結果、不承不承ながらも富豪達も相場を調整し、農民達はカツカツながら春を越す量の米を残す事ができたのである。


 ここまでで話が済めば良かったのだが……。


 突然、県令が算賦の負担増を発表したのである。


 本来、人頭税は全国一律で税額が決まっている。成人一人あたり百二十銭、と言った風に。これを吊り上げて来たのである。


 県令は宦官に賄賂を払ってまでここに県令として赴任してきた。この県令が欲しているのは銭ではなかった。名声と実績…つまり箔である。

 県令がよく県を治めたので、人々は豊かになり、人口は増え、県は富み栄えた。民は県令の任期が終わっても引き留めて帰さないように頑張った。


 そういった箔を付けて中央に帰りたかったのである。

 そんな中、逃散が起き人口が減りましたので税収も少なくなりました……とは報告できない。自分に失政がありました、という宣言に等しいからだ。

 彼は逃散は起きなかった事にした。

 当然、その分の人頭税を国に納付しなければならない。県令は、逃散しなかった民に逃散した民の分の人頭税を割り当てようとしたのである。


 農民達は怒った。死ねと言うのかと。富豪達も怒った。農民達が再交渉しようと詰め寄ったから。


 彼らは(どういう訳か)許昌を旗印に担ぎ出し、手に手に鍬を持って句章の役所へ押しかけたのである。


 結果が今、許昌の足元に横たわっている。


***


「親父、倉にはろくに武器はなかったぜ」


 息子の許韶が頭を掻きながら県令の部屋に入って来た。

 許韶は父親が県令の死体の前で立ちすくんでいるのを見ると、静かに言った。


「親父、腹を括ってくれよ。もう始まっちまったんだ」

「なぜわしが……」

「親父が浮屠の法力で解決してくれる、皆、そう信じているのさ」


 絶望に満ちた目で、許昌は息子に告げた。


「韶、そんな力、わしにはないぞ……」

「知ってらぁ」


 許韶は苦笑した。彼は既に覚悟の体だった。


「でも今更そんな事言えねえだろ。大言壮語でお布施をいただいて来たんだぜ?今更なんもできねぇ、なんて言ったら殺されっぞ」


 息子の言葉に許昌は力無くへたりこんだ。腰が抜けたのである。


「今更、降参しても命はねぇ。せめて皆の士気が上がる様に考えようぜ」

「……すまん。頭が回らん。韶、おまえがなにか考えてくれ」


***


 県城の門前に信者達が整列した。県城の城壁に立った許韶は彼らの顔を見下ろした。


 餓死しなくて済んだ安堵と、自分がしでかした事への恐怖と、今後への不安とが彼らの顔に浮かんでいた。


 許韶は叫んだ。


「みんな聞いてくれ!!」


 数千の視線が許韶に付き刺さる。

 その圧力は、説法の手伝いをしてきた許韶には慣れたものだった。


「この義挙で、我々を貪る県令は滅んだ!」


 頷く信者達。


「皆の良く知る私の父に、この地を采配していただこうと思う」


 静まる皆。


「以後、越王とお呼びせよ!私は大将軍となりお仕えする!皆も従うよう!」


 皆、ざわざわとざわめく。


(困ったな)


 …許韶は反応の薄さに困惑する。お前達が奉り上げたくせに。


(とっておきを出すか)


 許韶は郷土愛を利用することにした。


「越王の御為に山陰を攻めとり、會稽の名に戻すのだ!」


 おお!

 越!


 信者は口々に叫び始めた。


 越!越!越!


 浙江以南、越の地の気分として、遠い洛陽の朝廷への反発がある。

 税だけ絞り取る奴らに、越の民が従う必要はあるのか?そんな気分である。


 會稽郡の郡治である山陰県は、越の古都會稽である。

 心情として、その美名を、誇りを、漢に奪われたという感覚が有った。

 越王勾践の故事でも判る通り、怨みを忘れないのも越の美風である。



 かくて信者達は動き出した。


 里を、県を襲い、信者を糾合し、住民から財産を奪い、追いたて、兵に加える。

 西へ、山陰県へ向かって。


 會稽妖賊許昌の乱がここに始まり、賊軍の寇掠が始まった。


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