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俺解釈三国志  作者: じる
幕間6 吳氏(熹平元年/172)
53/173

1 姐御

 中原、洛陽を出て豫州、揚州と東南に進むと、いずれ雄大な長江に突き当たる。

揚州はこの長江により南北に二分されるが、それを渡って更に南に進むと、巨大な湖である太湖たいこに着く。そこを抜け、更に南下すると、別の大河、浙江せっこうが立ちふさがる。

 その浙江を河口から内陸に向かい少しのぼった場所に錢唐せんとうはある。


 浙江河口の潮流は複雑で、年に何回か海からの水が逆流してくる。錢唐はこの複雑な潮流からの避難場所として、そして南方貿易の拠点として、内陸に位置しながら栄える港である。


 その錢唐の町に、ひときわ大きな屋敷があった。貿易商として急成長している吳家である。


 その豪壮な門の前に若者が一人立って吠えていた。


「オイ!いつまで待たせやがる!」


 若者の袖は切り取られ、鍛え上げられた両腕をさらけだしていた。荒ぶる様がなくても堅気には見えない。


 普段なら館への出入りで賑わう門前も、若者を恐れて一通りもまばら。


「早く女に逢わせろ!」


 若者は吠え続けていた。


***


「孫文臺……ね。何者かしら?誰か知ってる?」


 屋敷の最も奥にある建物の一室で、ひらひらと木片を振りながら取り巻きの男達に女は尋ねた。


 木片……名刺には「弟子孫堅(そんけん)再拝 間起居 字文臺(ぶんだい)」と書かれている。


「最近錢唐に流れついたゴロツキでやす、姐御」


 取り巻きの一人が答えた。


「名刺を出して来たんだから、字は書けるし、最低限の礼儀は知っていると思っていいと思います。姉上」


 弟の吳景ごけいが答える。


「判んないわよ?誰かに書いてもらったものかもよ?」


 女が手にした名刺をじっと眺めて聞いた。


「で、どう思う?会ってやるべきかしら?」

「姐御がお会いになる程の者じゃありやせん。」

「そうだね。僕も会わない方がいいと思う」


 皆の否定的な意見に、女は答えた。


「じゃあ連れて来なさい。会ってみましょう」

「姐御?」

「どうしてです?姉上!」

「あなたたちの逆を行った方が大概うまく行ったからよ。これまではね」


***


「お前がこの大商を取り仕切っている、吳家の娘か?」


 たった一人で大勢に取り囲まれながら、若者は全く萎縮した風は無かった。鈍感な馬鹿なのか、と思いながら女は顎を弟に向けしゃくり指示した。弟が若者に告げる。


「主である。敬意を払え、吳大人、とお呼びしろ。」


 若者はその言葉がまるで耳に入って来なかったようにつぶやいた。


「美しいな。噂通りだ」

「甜めた口叩いたらブッ殺すわよ」

「それに強そうだ」


 傍若無人に振舞う若者に女は軽いめまいを感じた。


「で、何の用で来たのかしら?私も暇じゃないのよ」

「俺の嫁になれ!」


 硬直する周囲の取り巻き達を横目に、女はため息をついて尋ねた。


「坊や、おいくつ?」

「十七だ。坊や呼ばわりされる齢ではない」

「私から見たら、まだガキよ」

「俺はお前が年上でも気にしないぞ」


 ようやく硬直から解けた取り巻き達が騒ぎ出す。


「姐御。殺しましょう」

「刻んで魚の餌にしやしょう」


 女が片手を挙げて制止する。


「あなたと婚がって、私になんの得があって?」

「強い子を生ましてやる」

「それはあなたの得でしょう。そもそも婚姻は家と家がするものよ。あなたの家は裕福なの?代々二千石を出す著姓なの?」

「俺が孫家の初代さ」


 回答に、また女はため息をつく羽目になる。


「あのね、坊や」


 女は言い聞かせる様に語りかける。


「こう見えて私は、この錢唐でこれだけの商家を作り上げたの。私の商才と、吳家の家格に、あなたでは釣り合いがとれないわ」

「なら、俺の人生をまるごとくれてやろう。これでどうだ?」


 女は中空をしばらく睨んでから答えた。


「そうね。あなたの人生が貰うに値するかどうか、試してあげましょう」

「ほう?言ってみろ」

胡玉こぎょく、という海賊がいるわ。錢唐を荒しに来るので困っているの」

「それで?」

「坊やの力で潰してみせなさい」

「心得た!」


 若者はくるりと向きを変えると、ずかずかと出て行った。


 部屋に静寂が戻ると、弟が聞いた。


「姉上。そんな約束していいの?」

「約束?していないでしょう?試してあげるって言っただけよ」

「うちの私兵でも追い払うのに苦労するのに、一人でどうにかできる相手じゃないと思うよ」

「それぐらいできる男でないと、ねぇ?……それより景、あなた何をのんびりしてるの?早く一緒に行って見届けなさい」


 吳景は、自分自身を指さし目を白黒させていた。


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