2 董皇后
翌建寧五年。
五月に大赦と改元があり年号は熹平と改められた。
この大赦が終わった直後、一つの訴えがあった。
「長樂太僕の侯覽は私腹を肥し、身に合わぬ贅沢をし、奢っております」
「は?」
侯覽は「またぞろ張儉の様なはねっかえりが出たか」と思い、やれやれという表情で同僚を見回した。
曹節も、王甫も、張讓も、趙忠も、どの顔にも驚きの色は浮かんでいなかった。
役人が、故郷山陽での侯覽の贅沢な暮らしをあげつらい始めた。
かつて張儉が訴え、自分が握りつぶした内容だった。
帝が冷たい声で言った。
「これ、本当?」
「真っ赤な嘘でございます!」
侯覽は叫んだが、まるで誰の耳にも届いていない様に無視されている。役人が答えた。
「身を弁えぬ贅沢で、山陽の百姓も迷惑しておりました」
「どうすればいい?」
「財産を没収し、役目を解くべきかと」
「馬鹿な!?」
皆を見回した。皆、無関心な表情だった。全員がぐるだと判った。自分の失策を知った。
侯覽は実家での利殖にかまけるあまり、洛陽での存在感……帝の寵愛を失っていたのだ。
金印と綬を奪われ洛陽宮から放り出された。
豪華な第が接収され、莫大な財宝が国庫に入った。
大赦が終わったばかりで、この罪を赦してもらう機会はしばらく来ない。
自分が市井の一般人となって暮らしていると聞いたら、復讐に来るであろう人間の顔を思い浮かべた。脳裏が人の顔で埋め尽くされた。
絶望し、侯覽は自殺した。
***
六月。竇太后が崩御した。
比景に流された母が死んだ、という報告を聞いて、悲しみに暮れ病となり崩じたのである。
曹節らは竇太后の遺体を車に乗せ、城の外、城南の市舎に置き去りにした。
行き倒れの死体同然の扱いにすることで、復讐したかったのである。また、これは葬式を大切に扱う儒教に対する挑発でもあった。
そして劉宏に提案した。
「竇太后ですが、陛下の実の母というわけではございません。貴人の礼で葬られますよう」
劉宏は少しだけ考えてから答えた。
「太后は朕に漢の大業を継がせてくれた。詩にもいうだろう。『報われざる徳はなく、答えられざる言葉もなし』。なぜわざわざ貴人の扱いにする?」
どうだ?と言わんばかりの帝に、曹節は主張をひっこめた。
后としての礼で送ることとなり、遺体は洛陽宮に引き取られ、着々と準備が進んだ。
だが、まさに葬儀をしようとする直前、曹節はまたも進言した。
「竇太后は寵愛されなかった方です。寵愛をお受けになっていた、という点で馮貴人にはかないません。我々宦官はそれを知っております。馮貴人に皇后位を追贈して先帝の廟にお奉りしてください。竇太后は廃位なさり、別に葬られる方が孝桓皇帝陛下のお心に沿うものと思います」
「えぇ……?」
先帝の寵愛……などを持ち出されては自分の答えられることではない。劉宏は弱ってこう答えた。
「朝堂に皆を集めて会議して決めてよ。趙忠、手配して」
「仰せのままに」
翌日、朝堂に百官が集まり、皇帝の前で議論がはじまった。
ほとんど皆が曹節に追従した。大長秋の機嫌を損ねたくないからである。
「決まりだね」
趙忠がそう言った時、書記をしていた廷尉が反論した。
陳球、字伯真,徐州下邳の陳一族の人である。
「皇太后はよく家を栄えさせ、国母として天下に臨まれました。よろしく先帝と合葬なさるべきです」
趙忠は笑って言った。
「口じゃなく手を動かせ」
陳球は凄い勢いでその内容を書き連ねると、上表した。
「皇太后には功績がございますが、憑貴人にはございません。しかもその死骸は一度盗掘されていて汚れております。」
二年程前、憑貴人の冢が暴かれ、涼州から戻って来ていた河南尹の段熲がその責任を取らされ、諌議太夫に左遷される、という事件が起きていたのである。
だが趙忠はあざ笑って言った。
「威勢のいいことだな」
近年ここまで宦官に反論した人間はいない。趙忠は少し面白く思った。
だが、陳球は続けた。
「陳竇の冤罪で皇太后が幽閉されていたので心を痛めておりました。終わって罪を受けようとも、ここで宿昔の願いを遂げさせてください」
百官から合意の声が上がった。
曹節らは帝の顔色を窺った。劉宏は満足そうにうなずいて言った。
「竇武が無道といえども、太后には恩がある。降格などしたくない」
形成不利を悟った曹節らは反論せず、竇太后は皇太后としての大葬で送られる事となった。
***
だが、こんなやりとりで市井は納得しなかった。
洛陽の庶民は、竇太后の遺体が荷車で洛陽宮の外へ運ばれるのを目撃している。
かつてこんな扱いを受けた皇太后があっただろうか?
その同情が、政治への不満とない混じり、朱雀門のやぐらの壁に落書きとなって現れた。
「天下は大いに乱れている。曹節、王甫は太后を幽殺した。常侍侯覽は党人を多数殺し、公卿共は無駄飯食らい。忠言する者はいない。」
司隷校尉の劉猛に捜査の命が下った。
だが彼の捜査は進展しなかった。
一月の後、彼は左遷され、段熲が後任となった。
段熲はたちまち太學生を千人以上逮捕してみせた。
一つの落書きを、千人で書く筈がない。怪しそう、というだけで片っ端から捕まえたのである。
段熲は涼州から洛陽に戻って以来、宦官の為に働き富貴を保っていた。
曹節は劉猛が犯人を庇っていたと怨み、段熲に命じ別件で告発させた。劉猛は左校で強制労働させられそうになったが、士太夫達のとりなしでなんとか刑を免れた。
***
帝の阿母で、竇太后のお気に入りであった趙嬈が死んだ……竇太后の後を追う様に。
皇帝劉宏の反応は
「そう」
それだけであった。
さほど裕福でもない実家が、見栄で雇った乳母であって、劉宏としてはむしろうっとおしく、昔を思い出させる存在でしかなかったのである。
趙嬈の第から莫大な銭が接収された。その量は天府……洛陽の国庫にある銭に匹敵するものだった。
「それ本当?」
劉宏は疑問を持った。
たった数年、賄賂を貰ったといってそんな事がありえるんだろうか?
「実は……」
張讓は言いにくそうに答えた。
趙嬈の貯め込んだ財は莫大は莫大だったが、それに比較される国庫の方が底をついていたのである。
「なんで?」
「畏れ多くも先帝の御世、後宮に女官を四千名蓄えておられました。その費用は膨大でした。更に全国の反乱、殊に涼州の羌胡どもの対策で大量の軍費が掛かり、国庫は空になっております。また、今も全国で反乱と災害が起きていること、ご存知の通りです」
国庫の窮乏を救うため、未決囚……判決の出ていない囚人の罪を縑で贖わせようとしたりもしていた。つまり、金品による免罪である。
劉宏は嫌そうな顔になった。
「帝になっても金策か……」
董皇后(なぜか董太后とは名を改めなかった)は息子の窮地に言った。
「大丈夫ですよ、母も一緒に考えて上げます。」
金権と宦官専横……漢王朝の死が、今、はじまろうとしていた。
(了)