1 竇太后
建寧四年正月。十六歳となった帝、劉宏は元服した。
元服とは成人の儀式であり、男子たる者はこれを境に幼名を捨て、字を付け冠をし、公職に就く事ができる様になる。
とはいえ、皇帝が元服するまで政治をしない、というわけにもいかず、皇帝劉宏の成人は四年前の即位の時点で済んでいたといってもいい。
三公……司徒の許訓、司空の橋玄、太尉の聞人襲らが見守る中、厳かな儀式を終えた帝劉宏の感想は
「あんまり面白いものでもなかったね」
であった。
田舎から来た少年は、この四年の間に着飾り、遊び、騒ぐ。そういった事の好きな皇帝に成長していた。周代から続く、古くさい冠礼の儀式が面白いわけがなかった。
これを記念して大赦が行われたが、「党人は赦さず」という条件がついたままだった。無論、宦官達の入れ知恵である。
多数の死者を出した党錮の禁は、二年経っても終わりを見せていない。
張儉や劉表など、逃走し市井に潜伏した党人の捜査は継続し行われていた。
そんな事と関係なく、劉宏は御満悦であった。形式上も成人なので、大手を振って女が抱ける。昨年から後宮に女性が入り、帝の手が付きはじめている。張讓も趙忠も、帝が女に溺れるのを助長するよう、美しい女を探し、あてがった。その手管にまんまと乗ったのである。
成人した事で皇后の選定が行われた。
士太夫達が選定したのは宋貴人であった。
「誰だっけ?」
劉宏には全く覚えの無い名だった。
「勃海王劉悝の正妃であられる宋妃の親戚でございます」
なぜか王甫が答えた。
「……?……ああ、あの暗い女」
やっと思い出せた劉宏がかっかりした顔になった。
「全然好みじゃないんだけど」
「好みでなければお渡りにならねばいいのではありませんか?形式上、国に国母は必要なので選定されましたが、気に入った方が出来たら廃位して換えればいいのです。」
曹節らの勧めで受け入れた。
むしろ皇后を決めておいた上で、貴人らを競い合わせる遊びも面白い。女達は帝の寵愛を得るため、必死に媚びるだろう。趙忠はそう教えてくれた。そういう遊びは、劉宏のしたことのないものだった。
七月、宋貴人が皇后となり、長秋宮の長官、大長秋に曹節が着任した。
だが一切帝の手が付かない宋貴人を、後宮の美女達は馬鹿にして笑った。
***
十月。
黄門令の董萌が帝に言上した。
「竇太后が怨み事を言い続けております。慰めてやっていただけないでしょうか?」
竇太后は、陳竇の事変よりこの方、洛陽南宮の雲臺で幽閉されている。
失墜したとはいえ、皇太后の世話は宦官の職責である。黄門令はそれを統括していたのである。
「そうだよね……竇一族が大逆を犯したとはいえ、帝に選んでもらった恩は恩だよね……」
劉宏は群臣を引き連れ、南宮雲臺を訪問した。
上等の饋を竇太后へ親しく手渡しし、寿を上った。
受け取った竇太后は弱々しく微笑んだ。
(えっと……こんな方だっけ?)
劉宏はこの女は別人ではないかといぶかしみ、董萌に目くばせした。
彼女が先帝の皇后になったのはたかだか六年前。まだ三十にもなっていない筈だ。
まるで老婆のようじゃないか。
董萌は小さくかぶりを振った。その方で間違いありません。そういう意味だった。
父を殺され、母は比景に流され、親族は殺された。
自分はずっと幽閉されている。
絶望が彼女を蝕み、変貌させていた。日々を悲しみ続け、やつれ果てているのだ。
彼女の関心は、ただ母と自分の生命が、どれだけ続くかと言う事のみ。
そういう意味でこの訪問は、彼女に僅かな救いを与えていた。
殺す予定のある相手に寿を上ったりはすまい。
弱々しい笑みは、そういう意味だった。
劉宏は董萌に命じ、竇太后への日々の支給を増やしてやった。
曹節と王甫は董萌が竇一族を復権させるのではないか、と危惧した。
二人の結論は単純だった。
「殺そう」
そして劉宏の実母、董皇后に讒言した。
劉宏の母、董夫人は劉宏の即位によって貴人扱いとなり、竇武が自殺し竇太后が幽閉された後に洛陽に迎え入れられ、(皇帝位を追贈されていた劉宏の父の)皇后扱いになっていた。
董皇后は劉宏が竇太后を大事にするのを快く思わなかった。
董萌は北寺獄に収監され、死んだ。