2 奴僕(延熹四年/161)
その日の朝は、いつもの老鶏ではなく、赤ん坊の泣き声が早朝の里に時を告げた。
その声をいぶかしんだ里人が家々から出て来る。
きょろきょろと見回した後で、住人達の向かった先は村の外れにある大きな桑の木。その根本で一人の赤ん坊が大きな泣き声を上げていた。
集まった皆は思案投げ首である。
小さな里である。皆が親戚であり同族である。誰が何人子持ちで、誰が孕んでいていつ生まれそうかなど皆、知り尽くしている。
その知見でいうと、今、里にはこんな赤ん坊はいない筈なのである。
里の外の人間が捨て子をしたとしか思えないが、誰もその姿を見ていない。
赤子が泣き続けるのを見て可哀想に思った子持女が乳を含ませる。
ようやく泣きやんだ赤子を見ながら、住人達は相談をはじめた。
「どうしようか?」
「里魁どのが決める事では?」
「なんなら亭長呼んで来るけど」
「いや、こういう時は県令様でないの?」
「で、誰が行く?」
どうするべきか何も決まらない。届け出を出す事で、捨て子をした者の捜索や育児などの面倒が降りかかって来ることを恐れているのである。
「お前らこの子を殺す気だろう?」
偏屈者、で知られる老人が言った。
時に自分の子すら間引く、そういう苦しい生活である。
誰の子とも知れない赤子なぞ、居なかった事にする方が誰にも都合がよかった。外聞が悪いので皆、口に出せなかったのである。
「なら俺が貰う」
里の者の顔には、驚きよりも疑問が浮かんでいた。
「爺さん独りで子育てなんてできるのかよ?」
「そもそもお上が許してくださるか判らんだろう」
老人の答えは簡潔だった。
「お上へは届けん。こいつは俺の奴卑とする。育ったら収穫の時にただで貸してやるから乳の出る女達は分けてやってくれ」
漢の税制では、七歳から人頭税が徴収される。この人頭税は銭で納入せねばならない為、民には非常な重荷であった。
天塩にかけて育てた粟の収穫そのものでは納税できない、ということは誰かに換金してもらわねばならないということだからだ。
貨幣は潤沢に流通しているわけではない。換金出来るのは金持ちだけである。換金してもらう側の立場が弱い為、相場は民衆には極端に不利に設定されるのが常だった。
戸籍から逃れる事を許さない様、年一度、案比、と呼ばれる訪問調査によって家族構成は確認され、似顔絵まで残された。
この銭納、という仕組みの為、貧富の差はどんどんと増大し、人頭税が支払えないので
子殺しという悲劇も生まれていた。
そういう意味で、人頭税を払わなくて済む働き手は里にとっても有益な筈だった。
里人達の協力と隠蔽の元、赤子はすくすくと育った。
短い足と長い手の為か、ハイハイから立ち上がるのも早かった。
立ち上がるとすぐ、老人はこの子供をこき使った。
三歳の頃にはもう、午前は畑を耕し、午後は筵を織っていた。
少年が来て五年目。老人の胸にふと疑問が生じた。
(このガキ、大して飯を食わせていない割に、肉付きがよくはないか?)
少年は大柄とまではいかないが、子供にしてはがっちりとした骨格で、ほほや腹は丸みを帯びていた。残飯めいた飯で食うや食わずの生活をしているのに痩せぎすという感じがしない。
(盗みか?)
であれば大問題である。ガキが捕まって里の損害が判ったら、自分も責任を問われるだろう。身よりもない、若くもない老人にとって、この里で爪弾きになるのは御免だった。
(これは厳しく目を光らせておかねばならんな)
だが、老人も奴卑と始終一緒に居ることはできない。
「今晩の焚き木を拾ってこい」
些細な用まで付いて行っては奴卑を飼っている意味がないからだ。
結局老人には尻尾を掴むことはできなかった。他の里人から苦情を受けてはいない、それをもってよしとせねばならなかった。
七年目、大きな変化があった。
最初の兆候は、焚き木拾いにえらく時間が掛かるようになったことである。もう日も暮れ、里が闇に閉ざされそうな時間になるまで、少年は帰ってこなかったのだ。
「遅い」
老人の文句に、少年は大量の焚き木を放り投げる事で答えた。遅かった理由は判ったが老人の文句は止まらなかった。
「一度に沢山採ればいいわけではない。暗くなる前にここに火を燈もせ」
そして少年は畑仕事の手を抜きはじめた。
畑の除草を命令したのに、いつの間にかいなくなり、いつの間にか戻っている。除草も徹底したものではなく、粟の根本に雑草が汚く残っている。
「どういうつもりだ?」
襟首をつかんで詰問したが、少年はむっつりと黙り込み、答えない。
「クソガキめ。明日朝は飯抜きだ。反省しろ」
少年はじろりと睨んできただけ。
翌日、早朝から草むしりを命令した。無論、飯はやらなかった。
すきっ腹で黙々と少年が草むしりを続けるのを見て
(反省したか。なら昼は食わせてやろう)
粟を蒸しに小屋に戻り、出て来たときには少年の姿は畑に無かった。
(あのガキ!)
老人がヨタヨタと里を探し回っていると、少年は他の里人の畑で昼食を貰っていた。
「ガキ!よそで油を売っているんじゃねぇ!」
老人の激怒に、少年はにこやかに答えた。
「だって爺ちゃん飯を食わせてくれないじゃん。他の人を手伝った方がいいよ」
里人が仲裁に入る。
「いくら奴卑だからって飯抜きは駄目だよ爺さん」
「この子良く働いてくれるから、うちが貰っちゃうよ」
衝撃だった。
少年は自分の仕事に手を抜いた分、他の里人の手伝いをして飯を稼いでいた。
その事も衝撃だったが、他の里人への少年の表情がもっと衝撃だった。
自分には見せたことの無い、にこやかな表情で里人に接していたのである。
そしてその少年と親密そうにしている里人達が衝撃だった。
少年はいつまにか里人達の心に入り込んでいた。そう、自分よりも……である。
偏屈と評される自分にとって、里に便宜を与え、受け入れてもらう手段の一つが、所有する少年を貸し出す事だった筈である。だがその絵図面はいつの間にか崩れていたのである。
「爺ちゃん、こっちの草抜きも終わったから、畑に戻るよ。怠けてご免な」
このままでは里での立場が逆転し兼ねない。
他の里人の前だからか、おどけて答える少年に、老人は決意した。
(殺す)
里の南に督亢澤という大きな沢がある。
沢の向こうの督亢は、かつて刺客の荊軻が秦王政を油断させる為、燕太子丹に割譲させた地である。荊軻が匕首を隠して持ち込んだのはこの辺りの地図という事になる。
その沢で老人は少年に釣りをさせた。
釣りをする少年を隠れて後ろから見つめる。
当たりが伝わったのか少年が竿を引く。
ばしゃばしゃと暴れる魚と格闘する少年。
老人はそっと近付き、後ろから突き落そうとした。
もう一歩で背中に手が届く、という瞬間、少年は竿を投げ捨てると、沢に飛び込んだ。
空振りでぽかんとしている老人の前に、大きな草魚を抱えた少年が上がって来た。
少年が存外泳ぎが達者な事を見て、老人はこの方法を諦めた。
夜、村が寝静まった後。真っ暗な中で老人はむくりと起き上がった。
小屋の壁のすき間からの月明りが僅かに小屋のうちを照らす。
老人は息を潜め、眠る少年の側にゆっくりと、静かに這って行った。
昼のうちにこっそりと持ち込んだ手頃な石くれ。それを少年の頭蓋に振り降ろせば厄介は終わる。、
そう思って手探るが、石が見つからない。
小屋の中はきれいにかたずけられ、凶器に使えそうなものがない。
老人は途方に暮れてため息をつくしかなかった。
その後も老人の試みは続いたが、どれも少年の命を縮めるには至らなかった。
そんな月日の中で老人はついに体を壊し、結局、この少年に小屋を乗っ取られ、逆に病身を養われて毎日を生き延びている状況なのである。