13 望門投止
「毛県令。これはどういう事かな?」
李篤の、砦の様な屋敷の外を、県令と兵士達が取り囲んでいた。
むろん完全武装である。
「事と次第によっちゃぁ只ではすまさないぜ?」
李篤はこの東莱郡黄県では名の知れた侠客である。
漢の版図の東の果て、海に突き出した半島の東莱郡。その北端にある黄県で、荒くれた船乗りを支配下に置く李篤は、徐州の刺史すら一目置く存在である。
李篤が凄むと、兵達の意気がみるみる萎んで行くのが県令の毛欽には感じとれた。自分だってこんな厄介な連中とやりあいたくはないのである。今は勝てても後が怖い。だが、役目である。致し方ない。
「張儉を引き渡してもらおう」
「はて?そんな奴うちに居たっけかな?」
李篤が上を顎鬚を抜きながらうそぶく。
「密告者があった。勅が全国に回っている大逆者だぞ。足下の為にならんぞ」
「はてはて」
とぼけた顔で李篤が答える。だが、顔は上に向けていても李篤の手は自分を手招きしていた。
毛欽は仕方なく李篤に近付いた。
ガシっと肩を持たれた。驚くべき力で門の陰に押し込まれた。
目を白黒させている毛欽に李篤がささやく。
「張儉は天下にその名が知られた男だ。可哀想に罪もないの逃亡している。お前さんが捕まえるなら儉をほしいままにできるだろうさ。だが、止めといたほうがいいんじゃないか?」
李篤の目は笑っていなかった。仁義に殉じようとする侠客の目だった。
門の向こう。屋敷の中からは不穏な音と気配が漂って来る。李篤は一戦を辞さないつもりなのだ。
付き合いきれない。
毛欽は李篤の肩をそっと押し返し、距離を作ると、笑顔を作って言った。
「足下はこの仁義を一人で貫き通す気かね?」
「篤めは仁義に生きるものですがね。今日は半分あなた様が担っているんですよ」
毛欽はため息をついて兵を下げた。
李篤は張儉を県城の外へ、海へ逃してやった。
望門投止。
門を見付けては手当たり次第に投宿を願うこの張儉の行動で、庇った罪で処刑された者が十人以上。その一族はちりじりになり、経路の郡県は残骸となり果てた。
***
そういった一家の悲劇に、孔融も遭遇していた。
「張元節殿を家に入れ、匿ったのはこの融です。母も兄も預かり知らぬこと。座して刑を待つばかりです」
孔融は堂々と申し述べた。目には覚悟が光っていた。
まだ幼さも消え去っていない若者なのに、なんと凛々しい事だろう。
取り調べをしている県令は普通なら、涙ながらにそう思う所だろう。
だが県令は弱り果てていた。
「張元節殿は私を頼って来たのです。弟の過ちは私の罪です。」
兄の孔褒も堂々と申し述べていたからである。
弟が捕まった、と聞いた兄は急ぎ帰宅すると、県令の所へ出頭して来たのである。
しかし、それより先に母が出頭して来ていた。
「家の事は年長者たる妾に責任があります。妾を殺せば済むことです」
三人が自分こそ刑を受けるべき、と主張し、相い争っているのである。県令は弱り果てていた。
判断に困り、郡太守に判断を仰いだ。
むろん郡太守も困った。判断を国に丸投げすることにした。
うかつな事をすると、宦官に睨まれるかもしれない。
しばらくして詔が届いた。
結果として孔褒が処刑され、孔融と母は解放された。
二人とも長男が死んだ悲しみより、自分が処刑されず残念、という顔だった。
***
汝陽郊外のあばら小屋。
左右と中の物音を確認してから、許攸はもぐり込んだ。
「どうだった?」
「張儉のおっさんは海へ出ちまった。さすがに追っかけるのは無理だったぜ」
「そうか。ご苦労だった」
袁紹の慰めに許攸は鼻をこすって「へへ」っとだけ答えた。
「言われた通り、張儉を密告してはぎりぎりで逃してやったけど、これってなんか意味あったの?」
「あの手の老害にはそろそろ御退場いただきたかったんでな。迷惑な奴ってわかったら、皆も期待しないだろう?」
そういって袁紹はニタリと笑った。不思議に品のいい笑いだった。袁紹はひとこと付け足した。
「……この話、皆には内緒にな」
「判ってるよ。でも小遣いには色を付けて欲しいな」
「フフ」
「アハ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「フフフフフフ」
「アハハハハハ」
袁紹は思う。
三君だの八俊だのを尊重している間は駄目だ。
親孝行だので評判だので宦官と戦えるわけがないではないか。
宦官と殺し合って漢家を救いたいなら、徳行なんぞは無いくらいがいい。
むしろ無闇に高い彼らの声望は、自分にとって邪魔でしかないのだ。
「奔走の友」が漢家を救う時には老害共も始末せねば事は成らない。
そしてその後は。
「フハハハハハハハハハハハハ」
袁紹の笑みはいつまでも上品であったが、その眼は決して笑ってはいなかった。。
(了)




