10 陳寔の事
張讓は竹簡をじゃらりと広げ、その重みを楽しんだ。
竹簡には人名がずらりと書かれている。全て、北寺獄に収監された士太夫の名前だった。竹簡は黄門北寺獄の収容者名簿なのである。
名簿は紐で次々に継ぎ足され、昨日より今日と重くなっている。名前に線が引かれているのは、自殺したか、殺されたかしたものである。
まだ線の引かれていない名前の中に李膺の名を見付け、張讓はにっこりと微笑んだ。笑みはどんどん深くなり、満面の笑みを越して黒くなった。
今回、張讓は李膺を見に行っていない。
前回の党錮で監禁した時にはそれは頻繁に見に行ったが、今回は避けていた。
行ったら全てが終わりそうで、怖いのである。
前回の党錮で奴を逃した怒りは張讓の中で今もくすぶっている。
激高して奴を殺してしまうかもしれない。だがそれではあまりにつまらないではないか。たっぷりと楚毒を味わっていただきたい。
張讓は何度か深く静かに呼吸して熱く昂ぶった気持ちを収めた。
そして竹簡の続きを繰り出して、ある名前を見た瞬間、冷水をぶっかけられた様に総毛立った。
次の瞬間、竹簡を放り出すと張讓は走り出していた。
***
黄門北寺獄の長は、突然の来訪者に驚いて出迎えた。
まさか中常侍の張讓が、息を切らせて走って来るとは思いもよらぬことだった。
荒い息で肩を上下させながら張讓は言った。
「た……頼みがある。」
「李膺を殺せ、とか言われても、私どもは応じ兼ねますよ」
長は張讓の言いそうな事を先回りした。
だが張讓の頼みは長の想像したものではなかった。
「陳太丘を釈放してくれ」
陳太丘は元太丘県令の陳寔の事である。
事の文脈が捕らえられず、長は形式で答えた。
「私の一存では……まずは曹前車騎にご相談を」
今上の元では中常侍達の間に序列は特に無かった。
通常であれば皇后の居る長秋宮の長官である大長秋が最高位なのだが、若い皇帝にはまだ后が居らず、当然長秋宮はなく、大長秋もいない。
かつてはその才能で蘇康と管霸が牛耳をとっていたが、彼らが殺されてからは「誰が主導する」というのが不明瞭だった。
曹節は経験豊富だが控え目で、王甫は才気はあるが人望はなく、侯覽は利殖にしか興味が無い。
だが、前車騎将軍の中常侍、というのは曹節だけである。宦官の長と認められた、と目されていた。
「許可は取る!だから陳太丘に指一本触れるな。拷問なぞしたらお前を殺す!」
張讓は言い捨てながら走り去った。
***
汗だくで走って来た張讓に、曹節は不思議そうに聞き返した。
「陳寔は士太夫の中でもとびきり高名な人物だぞ。今更奴を誅するなとはどういうわけかね?」
「あの方に恩がある。陳太丘に傷一つつけないでくれ!頼む!」
張讓も前回の党錮の時は陳寔の事など気にも留めなかった。自分から獄に入る変な奴。その程度の認識しか無かった。だが今回は違うのである。
***
二年前、陳蕃と竇武の政変が無事終わった直後、張讓の父親が死んだ。
張讓にとって父親は自分を宮させた男であり、なんら悲しみを感じなかった。
だが、だからといって葬式をしないわけにはいかない。いや、むしろ立派な葬式をしなければいけない。これは面子の問題である。
張讓は立派な墓を用意し、立派な葬儀の準備をした。
だが葬式、というのは儒教の礼である。名のある儒者が弔問に来てくれて初めて形に成る。儒者がそっぽを向く葬式と言うのはありえないのである。
だが、張讓の父の葬式はそうなった。儒者の宝庫、潁川の士太夫達は張讓を嫌い、だれも弔問に訪れなかったのである。
誰一人名儒の来ない空虚な葬儀会場で張讓は泣いた。父を亡くした事に対する哭礼ではなく、恥ずかしさに心から泣いたのである。
「遅れて来て申し訳ない」
そこへ来訪したのが陳寔である。
無表情にやってきたこの儒者は、当り前の様に葬式に参列し、帰っていった。
張讓は心の底から安堵した。李膺、苟淑と師友であり、潁川を代表する儒者の陳寔が来てくれた事で、張讓の面目は救われたのである。
陳寔が何を思って張讓の葬式に参加したのかは張讓にも未だに判らない。全く得にはなっていない筈だ。少なくとも張讓の父の葬儀に参加した事で陳寔の名声に少なからず傷は付いたのは確かである。その為か太學生の選んだ三君八俊八顧八及八厨に陳寔は入っていない。
得にもならないのに救ってくれた陳寔に、張讓は多大な恩義を感じていたのである。
今回も自ら獄に入った陳寔だが、何もされずに解放され、無表情に帰っていった。