表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺解釈三国志  作者: じる
第四話 建寧の獄(建寧二年/169年)
41/167

8 巴肅の事

(弱い……)


 中常侍の曹節は、今回の党錮に関し、不足を感じていた。


 朱並、なる無名の士太夫が張儉と山陽の田舎儒者を告発した程度では、洛陽の士太夫を一掃するには理由が弱すぎる、という点がである。


(やはり二年前の件にかこつける必要があろうな)


 陳蕃と竇武の件への関与であれば、王朝の転覆を目指した大悪人に仕立て上げられる。


 曹節は宦官達に手分けさせて二年前の事件を洗い直させた。士太夫に頼むわけにはいかなかった。どう庇いあうか知れたものではなかったからである。


 教育の足りない宦官達が、苦労して洗い直した結果、二年前、政変直後の混乱した状況の中、処罰の網の目を抜けた者が居ることが判明した。


 巴肅、字は恭祖。八顧の三位である。


 巴肅は、陳蕃に辟されて中央官として出世した、陳蕃の故吏である。それを理由に巴肅は禁錮処分を受け、故郷の勃海郡高城県へ帰っていた。


 だが、陳蕃の件に関与した中央官僚の何人かを任に就けるための上申が、筆跡から巴肅の書いたものと同定されたのである。


(これは北寺獄でおもてなししてやらねばなるまい)


 曹節は珍しく残酷な気分になっていた。


***


 高城県の県令は、一枚の木簡を見ながらうなっていた。


 その木簡には、党錮されている、地元のとある人物を捕縛し、都へ送還するよう命令が書かれていた。


 この命令を履行したくないが故に、県令はこれを受け取ってからこの方、ずっと悩みの中に居たのである。


 それは、門番が持って来た一尺の木牘で終わった。


 木牘の表には「謁 奉高城県令」とある。県令への面会を求めている時に渡す名謁である。

 誰から?と県令が木牘を裏返すと、そこには「高城巴恭祖再拝」と

 書かれていたのである。それは県令が頭を悩ましている人物の名前だった。

 巴肅は自ら県令の元へ出頭して来たのである。


「私を捕縛する命令が来ていると聞きましたので、出頭致しました。」


 巴肅は県令にそう告げた。


 聞いた県令は、黙って立ち上がると県令の使う印を袋ごとその場に置き、身につけていた県令の綬を解いて横にならべた。

 これは辞職し、ここを去る、という意味の所作である。彼は県の誇る巴肅を逮捕するに忍びなかったのである。


 巴肅は首を振って県令を止めた。


「謀が露見したからといって、いまさら逃げたり隠れたりするのは人臣として潔くないでしょう。既に私の謀は露見しました。いまさら刑から逃れる気はありません。県令殿が気に病むことではありませんよ」


 自首して来た巴肅は丁重に都へ送還された。


 彼は北寺獄へ送られた。そして出て来る事はなかったのである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ