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俺解釈三国志  作者: じる
第四話 建寧の獄(建寧二年/169年)
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4 劉表の事

 山陽郡高平県。


 この県から張儉がほうほうの体で逃げ出した直後のことである。

 喧騒から一筋離れた路地の日陰にうっそりと立つ大男が居た。


 優しい顔の青年である。名家の出なのだろう、気品も感じられる大男であった。


(なんでこんなことになったかねぇ?)


 ポリポリと顎を掻きながら、彼は途方に暮れていた。


 この青年の姓はりゅう、名はひょう。字を景升けいしょうという。


 見知らぬ若造がやってきて言った。

「山陽の八俊八顧八及が罠にハメられた」と。

 男は張儉を逃し、他県の残り二十二人にも知らせに行くという。


 張儉が追われている。それはまぁ「判る」。

 なにしろあの侯覽母子とやりあっていたんだ。それくらいは覚悟の上だろう。

 だがなぜ自分まで追われるのか?さっぱり判らなかった。


 青年は気忙しく去って行ったのでその辺の事情までは教えてくれなかった。

 だが想像はついた。


(巻き添えだな、これ多分)


 自分ら二十四人は張儉を筆頭とする徒党を組んで、なにやらよからぬ事をしようとした、そう讒言がなされたに違いない。

 四年前の党錮以来、朝廷は儒者が徒党を組むのに過剰な反応を示す。迷惑な話である。


 そしてどうやら自分は逃げ遅れたようである。

 逃げるべきか、堂々と捕まるべきか、逡巡しているうちに機を逸したのである。


(とっとと逃げ出すべきだったのかなぁ)


 若い劉表と高平の小役人達は皆知り合いである。

 自分が視界に入ると目を背け、見ないようにしてくれている。

 が、こんな状態が続くはずがない。早晩山陽太守か兗州刺史の手が延びてくる筈である。いや県令が県尉に捕縛の命令を下せば、ここの役人達も動かざるを得なくなるだろう。


(でもなぁ。罪なんぞ無いのに逃げ出すのもなぁ)


 今更高平を出てもどこまでいけるか判ったものでもない。

 ここを離れてどこへどう行けばいいのかも判らない。

 どこかの亭の亭候に捕まえられる自分の姿が脳裏に浮かんだ。


(進退窮まった、という奴だこれ)


 手柄を高平の知己の役人にくれてやるかどうかを劉表が思案していたところ、意外な所から救いの手が差し述べられた。


「あんた様かね、この州から出たいって人は」


 ひょろりと細い、いま一つ風采のあがらない男が話しかけてきた。


「裏通りで大男が思案投首してるから、ここから連れ出してやれと頼まれたんでね」


 旅装である。さほど高い服を着てはいない。行商人だろうか、と思ったが、どちらかというと役人のように見える。


「誰に頼まれた?」

「さあ?若い男だったが名前は聞かなかったね」


 自分に危機を告げてくれた男だろうか。


「……怪しいと思わなかったか?」

「思いましたよそりゃ。でも、結構な銀を頂きましたからね」


(なるほど。逃し屋か。そうも見えないが、あ、それが秘訣ということか?)


 そう思った。


「フム、どうやって?」

「ま、後ろについておいでなさい」


 男はゆらりと踵を返すとぶらぶらと歩き出す。何の気負いもない悠然とした歩みであった。

 劉表は顎をボリボリと掻くと腹を決めた。三丈ほどの距離をおいて、男の後を続く。


(逃し屋というものは、もっとこそこそ、きょろきょろとしているものかと思っていたが、それでは目立ってしかたが無いわけか。いや、勉強になるな)


 しばらく歩いて行くうち、男が市場のある区画を通らないように大回りに迂回していることが劉表にも判った。役人が多く巡回しているからであろう。かなりの時間を掛けて、城の外周近くにある安宿の前に到着した。


 そこには男には似合わぬ立派な馬車と、色々雑多な荷物を積んだ何台かの荷車があり、何人かの男達がたむろしていた。だが隊商にしては荷物が少ない。


「んじゃ服を脱いで、これに着替えて」

「襤褸切れじゃないか」

「ご立派な士太夫様のままじゃ捕まるからね」

「小さいぞこれ」

「肌脱ぎなら着れますよ」

「下帯まで丸見えになりそうだ……」

「それくらい我慢しなさいよ。じゃぁ屈んで」

「泥!?なぜ泥を?!」

「肌が生っちろ過ぎますよ。そのご立派な冠を取ってこの布と藁で縛って」

「人前でか!?」

「馬車の陰でおやんなさい」


 しばらくして。


 高平の城門から馬車を先頭に荷車の一団が出て行こうととしていた。

 その馬車にはひょろりとした男がどっかとふんぞり返り、半裸の大男が御者として手綱を握っていた。


 いかにみすぼらしい恰好をしても知り合いの目をごまかせる筈もない。

 城門の役人達はくすくす笑いながら見逃してくれた。手を振るものさえいた。

 劉表は恥ずかしさに顔が上げられなかった。


 馬車は丘陵地帯をゆっくりと東へ向かい、荷車を引く人夫達も続く。


「君達はいったいどういう集まりだね?商人にしちゃ荷が少ない。それに馬車が立派すぎる」


 劉表はようやく抱いていた疑問を男に問い質した。


「ああ、これはね、都からの帰り道なんでさ。我々は琅邪ろうやの役所の者でね」


 琅邪は隣の州、徐州の海岸沿いにある王国である。


「今年の上計掾はさる名家の御子息でしてね。親御さんが道中を心配して太守に掛け合って護衛を付けさせたんですわ。それが我々でね。」


 上計掾は郡国の会計報告を洛陽に行って報告する役職である。

 通常、報告後の上計掾は郡や国には戻らず、そのまま都で郎に除される。現地の為に粉飾した報告をしない為に、上計掾と郡国を切り離すのが目的である。


「つまりこの一行は上計掾殿を都へ置いて帰った戻りの空荷というわけか」

「左様で。お蔭様で帰りに宴会ができるくらいは銭がいただけました」


 後ろの座席からのほがらかな回答に御車台の劉表は苦笑した。


「それに、高名な劉景升殿を御者にして馬車に乗ったのも一生の思い出でさぁ」


 自慢げな声色に劉表は声を出して笑ってから尋ねた。


「そういえばこの劉景升めがお乗せした、高貴の方のお名前を頂いておりませんでしたな」

「私なぞ国のしがない小吏に過ぎませんよ。お気になさらず」

「いやいやお教えください。命の恩人の名も知らぬでは切ないですからな」


 すこしためらった気配の後、


「ここなる書生は琅邪は陽都の出で、姓を諸葛。名を玄と申します、字を──」


 劉表の懇願に男はようやく答えを返した。


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