2 張儉の事
走る、走る、走る。
五十の老体である。息は切れている。喉は乾き、既に切れる様に痛い。だが足を止めるわけにはいかなかった。
見知らぬ少年が訪れて言った。侯覽が讒言した、と。
官憲の手が迫っている。そうも言った。
真偽を正す必要はなかった。侯覽に恨まれている自覚は腐る程あった。
確かめていたら逃げ遅れるだろう。誤報ならそれでも構わない。逃げ遅れたら死ぬ。捕まった自分を侯覽めが生かしておくとはとても思えなかった。
山陽の町からとにかく東に走る。
洛陽とは逆の方向、自分に対する指名手配がまだ届いていないところへ向かって。まさか士太夫が馬車にも乗らずに街道を外れた野原を走っているとは思うまい。
捕縛命令は高平の県令に届けられる筈だ。もはや高平には居られなかった。
山陽郡の太守にも同じ命令が行くだろう。太守が他の県に命令を出すまでに、山陽を抜け出さなければいけない。
当然州の刺史にも手配が行くだろう。つまりもう兗州には居られなくなった、ということだ。
州境を越え豫州魯国に入れば一息つけるかもしれないが、魯国は東西と北を兗州に取り囲まれた飛び地のような場所だ。豫州にも手配が届けば袋の鼠である。早々に魯国を抜け、もう一度兗州太山郡を通り抜け、徐州へ逃げよう。
もし徐州に安息の地がなかったら?
更に東の青州へ行こう。
青州もダメだったら?
東莱から舟で渡って遼東にでも行くか。
張儉の頭に、従容として縛に就く、という発想はなかった。




