8 謀議
管霸と蘇康の処刑によってほんの一時、宦官らはおとなしくなった。
だが、一月もしない間に二人の穴を埋めるように曹節が台頭した。侯覽や王甫も世を貪った。無論、阿母の趙嬈を隠れ蓑にしてである。
「これでは何も変わらんではないか!」
竇武は曹節らを誅す様、娘の竇太后に願いを出したが、これは認められなかった。
「阿母が陛下の側に居る以上、だれか別の宦官がそれを利用するだけか」
「だが阿母を排除するわけにもいかんだろう」
陳蕃と竇武は皇太后を変心させる事を半ばあきらめた。こうなれば武力で直接宦官を排除するのだ。
陳蕃の手腕により、着々と計画が進む。
陳蕃が始めたのはまず、中央人事の刷新である。
宦官達や、汚職官僚が関心を持つのはまず郡国の太守国相であり、県の令である。地方官となり現地で苛斂誅求に耽れば莫大な身入りが期待できるからである。
反面、中央官は人気がない。監視の目が厳しいからである。結果として宦官は地方官の任期、交替時期を注視するが、中央官の異動に鈍感なのだ。
陳蕃はそこを突いた。
中央官の宦官側で邪魔なものを地方に栄転させ、自分の味方を後任の中央官に就ける。僅かずつ時期をずらし、無関係な人事移動に紛れさせ、宦官を警戒させぬよう自分に有利な人事を押し進めたのだ。勃海の巴粛が実務を担当した。
朱宇を司隷校尉に、劉祐を河南尹に、虞祁を洛陽令に任命した。尚書令に尹勲を据えた。
巴粛、尹勲は「八顧」であり、朱宇、劉祐は「八俊」である。
そして竇武の兄の子竇紹と竇靖を歩兵校尉、監羽林左騎に抜擢した。洛陽とその周辺の治安維持の責任者を反宦官の者で固めたのである。
準備の間に三カ月が経った。
劉瑜という議郎が居た。天文をよくすることで知られていた。
高祖父が廣陵靖王の彼は、王族の連枝であることを誇りに思う男であり、先帝の頃は宦官を排除するよう上訴した事もある、そういう人物だった。
その劉瑜が天文を観測し、皇太后に上書した。
「太白が房宿の左驂を犯しました。将星が上り太微に入り、そこを占めたので宮門がまさに閉じられました。将相には不利、姦人が主の傍にあります。願わくば急ぎ防がれますよう」
そして劉瑜は陳蕃竇武らに密かに手紙を送り警告した。
「星辰に錯謬があり大臣の皆さんに不利です。大計がおありなら速断されるがよろしいかと」
陳蕃は竇武らに言った。
「陛下に改心を促そう。それで駄目なら、やるしかなかろう」
陳蕃は竇太后に上疏した。
「臣は聞いております。言葉を枉げるのは天を欺くことで、心の内を明かせば禍いに遭うと。どちらかを選ばねばならないのであれば臣は禍を選ぼうと思います。今、京師で噂されているのは、侯覽、曹節、王甫らの宦官と、帝の阿母趙夫人らが天下を乱している事です。彼らに追従するものは出世し、逆らうものは中傷されます。今、朝臣たちは河に浮かぶ木片のようです。東に西に揺れ動き、自分が官職を失わないかただ畏れております。陛下が摂政を始められた時、天に順じて蘇康、管覇らを誅されました。それにより天地は清明になり、人も霊も歓喜しました。なぜ数ヵ月で左右に宦官らを復させたのでしょうか?今急いで誅しなければ必ず乱を呼び、社稷が傾きその禍は計り知れません。願わくば臣の文を左右に示し、天下の悪人に臣が気に病んでいるとお知らせください」
阿母、宦官に対する弾劾である。最後通牒のつもりだった。
「どうでしたか?」
「答えは未だ頂けぬ。受け入れて頂けないのか宦官共が握りつぶしているのか……」
「同じ事ですな。宦官が君側に居てはまっとうな答えなぞ望めないということです」
「宦官共をことごとく誅廃せずには政りごとは成り立たんか」
ここに陳蕃は計画の実行を決断した。
竇武は味方に引き入れていた小黄門の山冰を黄門令に就ける様、後ろから手を廻した。
宦官達はこの人事に注目しなかった。
仲間の宦官が六百石の小黄門から、同じ六百石の黄門令に異動するだけの話で、千石の中常侍の職分を侵すものではないと思っていたからである。
だが、それこそが陳蕃の計画の要であった。
黄門令は黄門署を配下に収め、黄門北寺獄を管轄し、後宮内の宦官を監督する役割である。
陳蕃らは洛陽内外の監察組織の長に加え、後宮の監察官をも手に入れれたのである。
士太夫と黄門令が不逞の輩を逮捕、拷問し、自分自身と同僚の罪を自白させる。芋蔓式に汚職に耽る宦官達を捕まえて行く。洛陽の武力は将軍の最高位である大将軍の竇武の手に有り、万一の事態にも揺るぎない。
武力を持たない宦官共は抵抗もできずに捕らえられ、罪に応じ処刑されるだろう。
陳蕃はそう絵図面を描いた。
(勝てる!)
陳蕃はそう思った。
そうはならなかったのである。