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俺解釈三国志  作者: じる
第三話 陳竇の事(永康二年/168)
30/173

6 褒美

(何の間違いでこんな事に?)


 陳蕃は思った。皇太后からの使いが陳蕃の家までやってきて、詔を読み上げたのである。


「善を勧めるには功を褒するに以ってし、俗を感化させるには義を表するを以ってするものです。徳無くて報いずとは大雅の詩でも歎じた所です。太傅の陳蕃は先帝を輔弼し内裏に出て年を累ねました。忠孝の美と徳は本朝に冠たるもので、へつらいの無いその操の固さは老いてますます盛んです。今、陳蕃を高陽侯に封じ、食邑三百戸を与えます」


 読み上げると盆に載せた金印紫綬を捧げた。


(爵や禄の為に動く男とでも思われたか?)


 そのまま突き返す失礼をする訳にも行かず、一旦は受け取った陳蕃だが、すぐに筆を取った。


 翌日の朝議。


 当然のように皇太后は欠席しているが、陳蕃は尚書を通し上訴した。


「使いの方が臣の庵に高陽郷侯の印綬を授けられましたが、臣は誠に心を痛め、どうしていいか判らないでおります。臣が聞きますに謙譲は人柄を表し徳をあきらかにするものです。名声を敢えて盗もうとはしないものです。ひそかに思いますに、領地を割いて封じるのは功と徳がある為です。臣は自身を省みましても、前後の歴職でとりたてて異能があったわけでもなく食禄に見合ったり見合わなかったりの働きしかしておりません。臣に虚栄の行ないが無いとはいえませんが、ひそかに慕う言葉に『君子は正しい方法で得られた富貴でなかれば必要としない』というものがあります。もし爵を受ければずっと顔を覆って生きねばならず、皇天は震え怒り、災いが民に下り、臣の身もまた寄る辺が無くなると思います。陛下におかれましては朽ち老いた臣を哀れみ、老人の物欲を戒めてください」


 そういって印綬を返上した。


 むろん、話はそれで終らなかった。翌日、竇太后の使者が尺一と金印紫綬とを捧げ、陳蕃の家を再訪した。


 陳蕃はこの展開を予想していたので驚きはなかった。


 過分な贈与や役職に関し、二度断わって、三度目にようやく受ける、という習慣がある。そういう美徳を発揮したものとして、陳蕃の辞退が扱われるかもしれない、それは昨日の段階で想定できていたのである。


 次の朝議で陳蕃は爵位を再度辞退した。

 そして予想通り三度目の竇太后の使者が陳蕃の家に訪れた。当然、次の朝議でも陳蕃は爵位を辞退した。


(これでお分かりになられただろう)


 本当に必要ないから、三回目も辞退したのである。

 陳蕃は清廉で知られた士太夫である。変な噂が立って評判に傷でもついたら困るのである。


(親愛を贈与でしか示せない方なのかな?)


 陳蕃は肩の荷が降りた気がした。


 次の日、竇太后の使者が尺一と金印紫綬とを捧げ、陳蕃の家に訪れた。


***


「疲れま果てるとはこのことか」


 大将軍府へ、げんなりした顔で陳蕃がやってきた。


 あの後、竇太后の使者は陳蕃宅を訪れ続けた。

 十回を超える賜爵と辞退が繰り返されたことでようやく竇太后も諦めたようだが、連日のやりとりが陳蕃をやつれさせていた。


「仲舉殿すまぬな。私は一族を列侯してしまった」


 竇武はきまり悪げにそう言った。彼は自身で根回しし、自らを聞喜侯に、子の竇機を侍中に、兄の子竇紹と竇靖も侯に封じていた。


「評判は散々のようだ」


 竇武は丸めた竹簡を差し出した。陳蕃は受け取り、広げる。私信であった。


「……春秋の義では后に子が無い時は親族の年長を、年が均しければ徳で、徳が均しければ占いで選んで後を嗣がせまるものです。今、そうしてあなたは今上に帝位を嗣がされましたが、それのどこに勲功がありましょうか?頂いた聞喜侯をお返ししなさい……?」

「盧子幹殿だ」

「ああ、あの」


 盧植ろしょく、字は子幹しかん

 幽州涿(たく)郡の学者である。

 かの馬融門下として、鄭玄と並び高名であった。


「放っておきなさい。田舎学者の言うことなど」


 彼の潔癖主義では宦官が悪なのと同じだけ、外戚も悪なのだろう。


 だが、洛陽で直接政治を執る我々はそうは考えない。宦官の害が著しい以上、外戚の害など今は語るに値しない。


 外戚は皇太后を輔け、宦官の力をそがねばならない。だが宦官の息の掛かった者は王朝の高位にも、全国に、蔓延っているのだ。外戚にはそれに対抗するための爵位と官位が必要なのだ。


 だが自分はそうではない。既に位人臣を極めている以上、不要な爵位など身を汚すだけのものである。


「……游平殿。皇太后陛下の手綱はどうなっておいでか?」


 陳蕃は竇武に尋ねた。


「残念ながら音沙汰が無い」


 皇太后は朝議に出ずに長樂宮に籠ったままである。竇武はこの件で娘を諌める為、長樂宮に私信を送っていた。

 だが返事はなかった。


「……それは宦官どもが握りつぶしているのかもしれませんぞ」

「だろうな……」


 外から皇帝へ届く文書の選択は尚書たちが行なう。だが、皇帝にせよ、皇太后にせよ、後宮に居る場合は尚書たちも謁見できない。全ての文は宦官が更に選択することになる。


「蕃の件も、本当に陛下の思し召しかどうかすら怪しいと思っております」

「どういうことです?」

「四回目からは陛下のご存知ないところで偽詔が発せられたのではないかと疑っております」


 宦官の使いが「皇太后の命令だからこういう詔を書け」と言ってきた場合、尚書がどうこうできる問題ではなくなる。まして今回は同様の文面の繰り返しである。陳蕃の上訴を握りつぶし、偽詔を出せば皇太后の関与しないところでこの話を終らせないようにすることができる。


「なんのために?仲舉殿を忙殺さる為か?」

「宦官どもの考えることですからな……程度が低すぎて読めませぬな」


 陳蕃はそういったものの、頭の片隅で(偽詔が通用するかを試しているのかもしれない)……ふとそう思った。


***


 陳蕃が十回に渡って竇太后からの爵位を拒んだ、という話は竇太后に伝わっていない……どころの話ではなかった。


「趙夫人、教えてくれてありがとう。陳太傅にお礼をしたわ」


 陳蕃はあっさりと爵位を受けたことになっていたのだ。


「太傅もお喜びだとお聞きしました。漢家の御為に、今後も力を奮っていただけるでしょう」


 食監の王甫が作り笑いで追従する。


 劉宏が皇帝に就くにあたり功績の有った陳蕃に爵位を追加する、というのは曹節の発案だが、曹節はこれを直接竇太后に持ち掛けなかった。劉宏の阿母の趙嬈ちょうぎょうに言い含め、彼女から提案させたのだ。


 清貧として知られる陳蕃の名声を傷付けるのが目的だったが、思わぬ副産物も得ることができた。


(尚書台の誰に頼めば偽詔を作らせることができるかよく判ったわ)


 金と脅しを前にして士太夫さえ必ずしも一枚岩にならないのだ。


 王甫が給仕している間に曹節は竇太后と趙嬈の話を誘導していく。


「陛下。阿母様にも御褒美をお与えになっては如何ですか?」

「あら、素敵ね。何がいいかしら?望みはある?」


 その言葉で趙嬈は竇太后に欲望にぎらついた笑顔を向けた。


 曹節は二人のやりとりを微笑みながら見守っていたが、内心では──よもやこんなに意気投合なさるとは──と驚嘆していた。


 皇太后の元へ趙嬈を参内させた時、曹節が頼んだのはただ一つ。


「義母となられる皇太后は帝がどういう方かご存知無い。帝の子供時代について皇太后にお話ししてあげてほしい」


 というものだった。つまり竇太后に疑似的に母の経験を積ませよう、という算段だったのである。


 竇太后の前に連れて来た趙嬈が、帝や自分の子達、農家の生活などをたどたどしく、脈絡無く、礼節もなにもない語り口で話はじめた時、竇太后の顔に困惑と嫌悪と侮蔑の表情が浮かんだのを曹節は覚えている。


(これは失敗したか?)


 そう思ったのだが、どういうわけか、そしていつの間にか竇太后は趙嬈を御気に召していた。なぜかは曹節のいまだ理解の及ばぬところである。


 その竇太后は、趙嬈に笑顔で応えながら、曹節の理解の及ばない事を考えていた。


(なんて醜いんでしょう……こんなのが存在するなんて信じられないわ)


 竇太后は、中常侍の曹節が、新帝の阿母という触れ込みの趙嬈を長樂宮に連れて来てくれた事に大いに感謝していた。


 この、下賎で教養もなく礼儀作法もなっていない、太って醜い、たくましくずうずうしいだけの女といると、竇太后は心から安らげるのである。


 竇太后は、家柄が良い、というだけで皇后になった。


 容貌も、体型も、身長も、どれも人に誇れると思ったことはない。

 教養も、機転も、品性も、どれも備わってるとは思えなかった。


 親の言うまま後宮に入り皇后になったが、皇帝にほとんど愛してもらえなかった。

 当然だと思った。


 後宮の貴人達は皆美しく聰明で自信に満ちている。わざわざ帝は自分なぞを寵愛する必要はないではないか。

 皇后と言う立場でありながら、貴人に遭えば見下されてると思い、宦官を見れば哀れまれていると思っていた。


 だがこの女は違う。自分より、ありとあらゆる面で劣っていて、自分を見下してきたりしてこない。頻繁なおねだりも、自分を必要としてくれていると思えばほほえましい。


「じゃ、じゃあうち息子のどっちかを郡の太守様にしてやって下せえ、いや、両方!」


 どうせ自分の腹が痛むことでもないのだ。


***


 長樂少府の役所は洛陽城の南宮、長樂宮の外にある。

 長樂宮内には宦官でもない長樂少府その人が入れないからである。その長樂少府に一人の青年が訪れた。


「李少府殿!」

「伯求君か」


 青年は少府に所属、守宮令丞、という文具管理をする下級の役人、何顒である。


「こんな閑職になんの御用かな?」


 何顒が見回すと、なるほど長樂少府は閑散としている。李膺の門弟から抜擢された士太夫が働いているが、宦官の被る高冠は一つも見えなかった。


「少府殿が宦官共を掌握していたのでは……?」


 何顒が前回ここに来た時は、緊迫した空気の中、宦官達が李少府の監査と詰問を受けていた。


「連中ならもうここに来ない」


 李膺はかぶりを振ると話を続けた。


「ここへの出頭を命じても、連中は皇太后陛下にすがって命令を反故にしてしまう。悪知恵ばかり回る連中だよ」

「少府の決裁もなしに長樂宮は回るんですか?」

「それが回るのさ。宦官共の仕事なんざ十年一日で同じことをしているだけだ。長樂少府の決裁を得なくとも日常業務は回る……ふん、盲点だったな。これでは宦官共を締めつけられん」


 李膺はひとつため息をついた。何事にも精力的で常時気力が横溢している筈のこの人物が、歳相応の老人の姿として何顒の目にも映った。


 李膺はちらりと周囲を見回してから話題を変えた。


「で、太傳殿はなんと?」


 何顒が李膺の元を訪れたのは個人的な親交を深める為ではない。陳蕃からの伝言を携えているから来ているのである。無論、文書でなく口頭である。


 党錮を解き、宦官を取り締まり、漢家を正常化する……陳蕃が主導するその謀を成就するため、何顒が買って出たのである。


 王宮への出入りの為、陳蕃は何顒を宮殿に出入りてきるよう下級役人に任命した。

 気位の高い士太夫は下級役人に就くことを嫌う。だが何顒は「目立つたなくてやりやすい」そう言って笑ったものである。

 その顔を見て、李膺は何顒を信頼することにした。それ以降、李膺は何顒を孫のように可愛がっている。実際それだけの歳の差もあった。


 何顒は声をひそめて言った。


「帝の阿母が皇太后陛下の君側の奸となった、そうお伝えせよと」


 何顒の説明は李膺の常識を超えていた。


 竇太后の使いの宦官が将作大匠府に届けた詔は、帝の阿母の為に豪華な第を建設せよ、というものだった。大司農府にはその為の金品の供出が、少府へは様々な帝室御物の下賜が命じられた。


「王聖を彷彿とさせるな」


 四十数年前、時の安帝は、阿母の王聖の為に第を建設させた。李膺はそれを言っているのである。

 だが、この詔は今上からではなく、皇太后から出ていると言う。


「また、阿母の息子二人が郡太守の印綬を受け取ったとの話です」

「二人の実績は?」

「官職にはいままで就いたことがありません。いや、字が書けるかもどうかも怪しいとか」

「酷いな」

「印綬を受けたのはその二人だけではないようです」


 聞いたこともない様な連中が様々な要職に就任しているという。


「市井では、阿母に口を利いてもらえばどんな職にでも就けると噂しているとか」

「…奇妙だな。帝の阿母と皇太后は仲良くなれる関係ではない筈だが?」


 普通、皇太后と皇帝の阿母は対立するものである。皇太后は皇帝に実権を渡そうとしないし、皇帝が実権を得なければ阿母に役得は行かないからである。


「常識的にはそうです。しかし太傳殿の言うには、阿母は皇太后陛下から片時も離れず、皇太后陛下もそれを受け入れているとの事。太傳も首を捻っておいでです」


 陳蕃は竇武の娘竇妙を後宮に入れた本人である。当然何人かの女官を耳目として送り込んでいた。ただ、この耳目は不遇な皇后時代は機能していたが、竇妙が皇太后となってからは宦官が手厚い世話をするようになり、女官が遠ざけられた為、確とした情報は手に入りにくくなっている。


 李膺は答えを導いた。


「宦官共は長樂少府の俺の目をごまかす為、阿母を使って矛先を逸らそうとしている?」


 それは陳蕃と同じ結論であった。


「弱ったな。相手が阿母では弾劾も処刑も───手が出せぬではないか」


 宦官が領地を横領するなら弾劾もできよう。だが阿母が、宦官の親族や宦官の斡旋する者に爵位や領地を与えて欲しいと皇太后にねだる。これは弾劾しようがない。


 阿母は皇帝の乳母であって役職ではない。役職上の不正として司隷校尉が取り締まったりはできない。そもそも、のさばっているとしても誰が皇帝の阿母を裁けようか?

 過去も士太夫が阿母を糾弾したことはあるが、すべて皇帝へ対し、阿母の重用をやめてほしい、という諌言としてて行われてきた。

 

「ですので阿母に関係ないところで行われて来た、より過去の不正に関し証拠を集めて欲しいとの事です」


 李膺が長樂少府についたのは、監督官として宦官共の不正を暴き、陳蕃らを助ける為である。答えは一つしかなかった。


「承知した」


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