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俺解釈三国志  作者: じる
第三話 陳竇の事(永康二年/168)
29/173

5 暗闘

 大将軍府の奥の間で竇武はうろうろと歩き回っていた。


(宦官は敵だ。外戚は必ず宦官に足をすくわれている。宦官の力を削がねば危ない)


 宦官の諂う力は想像以上で、既に娘の竇太后も宦官共の掌中に有ると竇武は判断していた。


 だが、「どうやって?」となると竇武にはどうにも思い付くものがなかった。


 翌日、竇武は朝堂へ赴いた。無論、朝議へ参加するためである。


 娘の竇太后は臨席しない。新帝も同じくである。

 宦官への肩入れをやめろ、そう言ってやりたかったがそもそも会うこともできないでいる。


 太傳、大将軍、三公で竇太后に裁可頂きたいことを議論して尚書にまとめさせる。


 尚書がまとめたものを確認の為読み上げている間、隣に座る陳蕃がひそひそ声で話掛けて来た。


「中常侍共は先帝の頃から国権を弄び、海内を濁り乱れさせ、百姓は恐怖におびえております。今、奴らを誅しなければ、必ず難にあうことになりますぞ」


 竇武は無言で深く頷いた。

 陳蕃はにこりと笑うと片手を竇武の手に重ね、同意を示した。


***


「私が長樂少府ちょうらくしょうふを拝命した李元禮だ。顔見知りが多くて助かる。以後従ってもらおう」


 趙忠は平伏しながら、ギ、という音を間近で聞いた。

 歯が軋む音である。確認するまでもない。張讓が立てた音だろう。


 快活に笑う李膺に、管覇はため息をついた。


(そう来たか)


 長樂少府は皇太后の座す長樂宮の長官である。


 皇帝の母の側近であるから、皇后の座す長秋宮の長官である大長秋よりも位は高い。今上にはまだ皇后が居ないので長秋宮自体まだ存在しないが。

 また、皇太后が長樂宮で親政なさっているのであるから、長樂少府こそは後宮の最高位である。


 そして宦官が就く大長秋と違い、長樂少府は士太夫が就いても不自然ではない官職である。皇太后の長樂宮の長官に、李膺をもってくる。あからさまな宦官圧迫であった。


「長樂少府様の御下命のままに」


 宦官一同は平伏し、声を揃えて回答したが、誰もが新しい戦いが始まったのだと確信していた。


 趙忠はちらりと張讓の様子を窺った。張讓は床に額を押しつけていて表情は読めなかった。だが趙忠には張讓が嘲っている、そう思えた。


***


「臣儵、お呼びにより参上致しました」


 徳陽殿の南に開けた謁見の間で、劉儵は新皇帝へ平伏した。

 しかし許しもなく顔を上げると、にこりと微笑んで少年に語りかけた。


「……半月ぶりでございます。お変わり無いようで安心いたしました」


 劉儵が見上げた少年は、美々しく皇帝の衣装を着せられてはいたが、

 冀州の片田舎で見た時とさほど変わっていないように見えた。


「頭が高い!それが陛下への口の効きようか!」


 右に立つ宦官から叱責が飛ぶ。


「あ、あの」


 少年がおずおずと右手を挙げ、宦官を止める。


「劉儵よ、朕の……うーーん、喋りづらいよこれ」


 少年は恥ずかしげに笑うと、姿勢を崩して言った。


「おじさん、僕の侍中ってのになってくれない?」


 左に居た宦官が不機嫌な顔で侍中の印綬を捧げ出て来る。


「なるほど。でもな少年。侍中ってのは帝の身近に侍って、さまざまな政務の相談を受ける役割なんだぜ。今の少年に必要かね?」

「そりゃ要るよ。退屈だもん、ここは」

「……なるほど。子守りで二千石とはさすが陛下は豪気ですな」


 劉儵は印綬を受け取った。


***


 数日の近侍で劉儵にも状況は飲みこめた。新帝劉宏の毎日は「なにもない一日」の連続なのである。


 帝が行なうべき全ての業務に関し、劉宏が単独で行なうことは禁じられている。政権を握っているのはあくまでも竇太后だからである。


 詔に押す六璽も劉宏は持っていない。竇太后の元に保管されている。


 劉宏は呼ばれない限り朝議にも出ることができない。竇太后がいない場で劉宏が決裁を求められるような事態が起きてはならないからである。


 そして竇太后は滅多なことで朝議にも参加しないので、劉宏の朝夕はこの北宮徳陽殿の限られた区画の中で終始する。


 身の回りにいるのは話題の乏しい宦官。竇一族の竇機や竇靖も、当初侍中として侍っていたが、転任しすぐに来なくなった。栄転の為だが、そもそもここにはあまりにすることがないからである。


「なるほどこれでは囚人みたいですな。だが豪華な檻で豪華な飯。結構、結構」


 そういえばこの徳陽殿は順帝が濟陰王であった時に住まわれていた場所である。

 少年に出来る事は、宛がわれた侍講の士太夫から教育を受けることだけであった。


「何が御不満で?当代一流の講師なんですがね」


 劉宏を教えるのは弘農の楊賜。かの楊震の孫にあたる。

 桓君章句……すなわち沛国桓氏から伝わる、欧陽尚書を伝授するよう、太傳の陳蕃が選んだ逸材である。


「でも面白くない!」


 少年は「勉強が嫌い」というのを全身で表明していた。


「……困りましたね」


 尚書は書経ともいい、伝説上の皇帝達の事蹟を学べる経典であり、欧陽氏流の解釈を施した尚書の伝授は、皇帝になるものへの必須科目となっていた。


「勉強ってものはですね。楽しい、と思えないと楽しくないものなんです」

「そんな事言っても……」

「なぜ尚書を学べ!って口やかましく言われるかご存知ですか?」

「えっと……確か帝にとって基本的な知識だから」

「その通りです。……で、どう基本的かお分かりですか?」

「……」


 劉儵は真顔に戻って答えた。


「臣下が陛下に何かお願いする時に古代の帝である堯やら舜やらを例えに出すからですよ」


 少年は呑み込めない、といった顔で戸惑っている。


「想像してみてください。今、陛下は百官が並ぶ朝議に臨席なさっています」


 少年は戸惑いながらも、その姿を想像しているようだ。


「臣下の一人が頭を下げ、小走りで前に出て言います。臣なにがし、稽首し頓首し申し上げます、と。何か陛下に物申したいようです」


 少年はあいまいに頷く。


「で、その臣下は奏ずるわけです。臣は聞きます。堯舜の道は──ってな感じで、献策なり、諌言なりを言うわけです。でもそいつの言ってることが判らなかったら、陛下は寂しいし恥ずかしくないですか?」

「寂しいし、恥ずかしい」


 劉儵はニヤリと笑った。


「判るだけでなく、すらりと古典から言い返して百官共に、さすが明君、と思われたらかっこよくないですか?」

「かっこいいかも!」


 河間の二人はにっこりと微笑みあった。


「ではお勉強しましょう。これまでの部分、私も見て差し上げます。復習もまた楽しからずや、です」


***


 数日が経った。


「では、今日も論語の講義をいたしましょうか」

「……」

「ありゃ?不服そうですな」


 帝は明らかにむくれていた。


「良く考えたら皇太后陛下が居られるから、そんなかっこいい事にならない」


 ほほを膨らませて言った少年に、劉儵は少しだけ考えてから答えた。


「勉強してもお使いになる機会はないのではと、そうご心配ですか……」


 うなずく劉宏。


「そうですね。皇太后陛下が居られる以上、しばらくはそんな機会はないかもしれませんな。陛下が元服前である以上、百官も皇太后陛下の親政を望むでしょうし」

「やっぱり。侍中は嘘つきじゃないか」

「いえいえ、まさかまさか」


 劉儵は手をぱたぱたと振って否定した。


「いまはまだ政務はおありでないですが、いずれ陛下が政務を執られることは必ずおありですとも。こう考えてみてください」


 劉儵の笑顔を少年皇帝の劉宏はうさんくさく思った。


「突然、皇帝陛下が政務を執られる事になった」


 何故、というのは敢えてぼかした。不敬で危険だからである。そして皇帝と皇太后の歳の差が少ししかない事、歴代皇帝が短命の傾向にあることに劉儵は目をつぶることにした。


「百官は思うわけです。帝におすがりするしかない、と。だが皆不安です。今まで帝は執政なされた経験はおありでないぞ、と」


 劉宏はごくりと唾を呑み込む。


「しかし、です。百官が子供と侮っていた少年皇帝はいつの間にか高い学識を手に入れていて、応答すること神の如し。百官の目に尊敬が浮かびます。……どうです?」

「うん、かっこいい」

「では勉強しましょう。学問は陛下にとって最高の武器なのですから」


***


「まずい。帝が侍中に心を許してる」

「だが、いまさら首にしろ、とは言えないぞ」


 皇帝と劉侍中の語らいの座をそっと離れた張讓と趙忠は宦官達の控室で対策を考えていた。


 張讓と趙忠の二人は徹底的に劉宏を甘やかす方針である。彼が宦官に依存し、何も考えなくなるように。


 その為、同郷の劉儵を側近にしたい、という要望も叶えた。曹節に竇太后の許可を取ってもらったのである。いまさら二人の接近を邪魔するわけには行かなかった。


「こちらでやろう」


 同席していた侯覽が助けの手を差しのべた。


***


「新帝のご即位に当たり、侍中の劉儵は多大な功績がございました。彼に報いる為に郡太守へ栄転をさせてやりとうございます。ちょうど泰山太守の任期が終ります。何卒河間劉儵を後任として頂きたく」


 侯覽は竇太后に対し、劉儵を昇進させる上申をした。竇太后はそれを了承した。どういう意味があることなのかは特に考えなかった。


 劉儵の元に勅使が訪れ、泰山太守の印綬を渡し、侍中の印綬を奪って行った。


「役義の無いものを通すわけには行かない」


 宦官達に阻止され、劉儵は徳陽殿前殿から奥への立ち入りも阻止された。


(陛下……)


 劉儵には挨拶も許されなかった。


***


「今日も侍中は来ないの?」


 劉宏は外を眺めながら張讓に聞いた。


「その件ですが……劉侍中は泰山太守に栄転なさったそうです」

「もう来てくれないって事?」

「はい」

「いやだよ!戻って来てもらってよ」


 劉宏がだだをこねはじめたが張讓達は薄く微笑んで応対した。


「皇太后陛下がお決めになったことですので、難しいかと」

「ひどいよ……」


 劉宏は落胆で足を崩して座り込んだ。


「こんなに何もすることが無いのに、どうやって過ごせばいいんだよ……」


 趙忠が進み出て提案する。


「陛下の御無聊をお慰めしたいと、都で評判の琴の名人が参っております。一曲お納め願えませんでしょうか?」


 宦官達自身に少年を楽しませる力がないなら、芸人を使えばよい。それが曹節らの判断であった。


 夕方頃には劉宏の機嫌も直っていた。


***


伯求はくきゅう君ではないか。よくここが判ったな」


 宿で出迎えたのは人物は郭泰かくたい、字は林宗りんそう。并州は太原郡界休県の人である。


 旅装で戸口に立っていた青年は何顒かぎょう、字は伯求という。荊州は南陽郡、襄郷県の人である。


「郭林宗がどこに泊まっているかなど、噂を辿れば簡単に判る。潁川に居たらなおさらだ」


 何顒がそういうには訳がある。


 李膺がかつて河南尹だった頃、その門前に客は列を為したが、李膺自身が客を選びに選ぶ人物だったため、会ってもらうだけでも大変な名誉とされた。

 彼に会うことは名声を呼び、出世すら期待出来るとの事で「登竜門」とまで呼ばれた。

 そんな中、李膺が好んで会っていたのが郭泰である。


 八尺の豊かな体躯に魁偉な容貌。旧籍に通じていながらそれでいて決して他人の悪口を言わず、美点だけを褒めるという温和な人柄。李膺に友と呼ばれた彼の名声は「洛陽を震わす」とまで言われた。彼が母を世話する為に故郷太原に帰る、となった時、見送る車が数千両あったという。


 郭泰は母を亡くしてからは各州郡国を自由きままに周遊していたが、その名声故にいつどこで誰が泊めた、どこで話をしたという噂は洛陽まで届いていたのである。


「卿がわざわざ来たのにはなにかわけがあろう?」


 郭泰と何顒はかつて洛陽への遊学時に親交を深めた間柄であるが、それでも旅先にまで来るのはただごとではない。


「俺を李元禮に紹介してほしい」


 郭泰は何顒をしばし見つめると、静かに答えた。


「卿も登竜門に入りたいのかね?今の元禮殿の立っている場所は生優しいものではないぞ?」

「出世したいわけではない。名が欲しいわけでもない」


 党錮で李膺は故郷に帰り、陽城山中に隠棲した。だが、彼の名声は高まるばかり。


 李膺の師友である苟淑には苟爽という息子がいる。

 かつて李膺の馬車を御しただけで大喜びした程、李膺に心酔していた。彼は李膺に信望が集まり続けるのを心配して信を送った。


 曰く「浮き沈みに任せ、時の抑揚と共にあってください」


 つまり時流に迎合しろ、と言ったのである。だが、李膺は永楽少府に就任した。その硬骨をまたも洛陽で振るうつもりなのだ。


「あの方と死生を共にすることになるぞ」

「それでいい。あの方の力になれればいいんだ。俺はまだまだ無名。元禮殿に使って頂くには信用が足りぬ」


 郭泰は呆れた顔で首を振った。


「どうしてそこまでして虎の尾を履みにいくのかね……」


 郭泰には周りの誰も彼もが死に急いでるようにしか思えなかった。


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