3 少年
侍御史の劉儵は困惑した。
「河間王家の係累に、父御の居られない、賢明な少年はご存知ないか?」
城門校尉の竇武に呼び出され、聞かれた内容がこれだったからである。侍御史と城門校尉の会話であるから、城内の治安に関する話かと合点していたのだが。
が、一呼吸したところで用向きが理解できた。
(…帝の後嗣をお探しなわけか。とっくに決まっているものと思っていたが)
先の帝には弟が居られる。勃海王の劉悝である。
(それはお望みではないわけだな)
勃海王を擁立するならわざわざ自分に質問することはないだろう。
先帝は河間国の出身、つまり七代前の章帝の血を引く方だった。
養子に取るなら同じく章帝の血筋がよいだろう。それで河間国出の自分に声が掛かったのだろう。游平殿のご存知ない河間国の事情に通じていることを期待されているわけだ。
自身政治を行なうには若すぎて、しかし邪魔な親のいない少年か…。
劉儵はここ数年の河間国での葬儀を思い返した。
自分だとか、弟の季承とかを推薦したらどうなるだろう?少しだけ考えた後、劉儵はその考えを振り払って言った。
「数年前お父上を亡くされ解瀆亭侯に世封された方がおられます。年の頃は十二だったかと」
「感謝する」
「新しい帝をお定めになるのですね」
きょとんとした顔で竇武がこちらを見ている。
なぜ、これが皇帝選びであるとバレないと思ったんだろう?
劉儵は苦笑して言った。
「竇校尉。近頃童たちがこんな風に歌っているとご存知ですか?『白蓋の小車、なんぞ延々。河間に来ればかなうだろう。河間に来ればかなうだろう。』」
童達が歌う、いわゆる童謡は、時に諷刺であり、時に予言である。これらは為政者が常に気に掛けるべきものなのだ。
河間国へ白い天蓋の帝の使者が押しかけるという事はつまりこれは新しい帝が河間国から出る、ということを予言した童謡だったのだろう。
「近小使車を御用意ください。書生が使者になりましょう」
近小使車は帝の使いの乗る馬車の一つで、白い天蓋を備えている。
皇太后の使いとして光禄大夫に昇進した劉儵は、信任を示す節を持ち、左右の羽林兵を供に、白い天蓋の近小使車で冀州河間国に旅立って行った。
***
さほど広くもない麦畑の中で、少年がまだ丈の低い麦を踏んでいる。
畑の畦には役人と多数の羽林兵が並び、平伏している。
野良着の少年、解瀆亭侯劉宏は、劉儵の方を見ようともせずまだ麦を踏み続けている。
劉儵は美々しい官服が汚れるのも気にもせず、畦で平伏している。
「……」
劉宏は黙々と作業を続ける。
劉儵は頭を上げないまま、再度言上する。
「臣儵謹んで申し上げます」
たが、少年の無言が続くと、顔を上げて言った。
「なぁ少年」
そして畦にどっかりと腰を降ろす。
「この先、帝に為られる方だとはいえ、今の少年は一介の亭侯に過ぎない。自分は二千石の光禄大夫として、皇太后陛下から信任の節を預かってここへ来ております。断わる目があると思うかい?」
少年は、はぁ、とため息をついて、答えた。
「なんで僕みたいなのが……もっと頭がよくて立派な大人が他にもいるでしょう?」
「そういう人は困るんですよ。めんどくさいですからね」
そういうと劉儵は膝に付いた土を払って続けた。
「あなたはお若い。そして父上も居られません。変な後ろ立てもないので皇太后陛下と対立なさいませんでしょう?ですから我々士太夫も楽ができるって次第。皇太后にも、その外戚にも、河間国にも、士太夫たちにも、一番都合がよくて、みんなが幸せになれるのがあなたなんです」
「……僕の幸せはどうなるんです?」
「そのうち見付かりますよ……多分」
「そうかなぁ」
少年……解瀆亭侯劉宏は、ため息をついて麦の上に仰向けに倒れこんだ。
「贅沢できるはまぁいいかもだけど、いろいろ固苦しそう。カツカツかもしれないけど、ここで麦や粟を作ってる方が気楽な気がするんだよなぁ」
「そうですな。率直に言って、当分は皇太后と外戚の木偶をやらされますな。面倒で窮屈で逆らえば危ない。だが連中は先に死にます。勉強だと思って頭を屈めときなさい」
「あああーーーーーーーーもうっ!」
少年は立ち上がると、自宅に駆け出していった。
「母上!母上!」
そう呼びながら自宅へ入る。
「母上!僕は都へ行って帝になるそうです!準備してください!」
「あらまぁ」
太った端女と一緒に台所の掃除をしていた母親は事情が飲み込めていないようだった。劉宏がたどたどしく説明していると、追い付いて来た劉儵が息を切らせて言った。
「ご母堂には……ご同行……いただけませんよ?」
「なんで!?」
「あなたの母上は……今後竇太后……お一人になるからです」
「そんな……」
「ご母堂は、当面河間国で面倒を見て頂きます」
少年の不安そうな顔に、横に居た太った端女が大きな胸を叩いて言った。
「ぼっちゃんの面倒はオラが見ますです」
「どなたです?」
「僕の……阿母です」
うんざりした顔で劉宏が答えた。




